300.陣痛
「ぅおおおお!! ふぁ、ファイトォォォ!! いっぱーーーッ、あ゛ーーーぃた、痛い!! ファイト一発しても痛いものは痛ィーー!!」
リビングで痛みにもがき、もんどりうつ私。
残念ながら誰も帰ってくる気配はない。
この痛みって、陣痛ってやつ? いや、まだ8ヶ月ですけど!? 出産は“とつきとおか”って言うじゃないか!! まさか早産!?
どうしよう…と痛むお腹を押さえて蒼白になる。
出産経験が皆無の私は、家にたった独りで不安しかない。
こうなったら…ッ
ラグマットの上でゴロゴロしていたが、ぐっと拳を握り決意した。
助けを求めよう!!
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ルーベンス視点
集中して書類を捌く。この作業をはじめて9時間…そろそろ終わろうかと、眉間の辺りを摘まんでマッサージしていると、
「イタタタターーーー!!」
静かな執務室に、突然奇声が上がったのだ。
「なんなのだね、一体…」
どうせミヤビ殿が転移してきたのだろうと見れば、やはり想像通りで、しかし、床に転がったまま起き上がろうとしないのだ。
「ミヤビ殿…?」
「ぃた…ッ うぅ…お腹、痛いです…っ」
それを聞いた私は驚き、すぐさま駆け寄った。
ふくれた腹を触ると、かなり張っているようだった。
「いつから痛みがあるのかね」
「ぅ……さっきから…っ」
「ふむ…陣痛ならばいずれ痛みが引くだろうが…すぐに医師と第3師団長を呼ぶ。待っていなさい」
ミヤビ殿をソファに運び、外に居る者に声を掛ける。
「出産には早いだろうが、神王ともなると人間とは違うのかもしれんしな…」
「ぅ~~ッ」
額に浮かぶ玉のような汗をハンカチで拭ってやっていると、少し痛みが落ち着いてきたのか、きつく閉じていた瞳を薄く開いたのが見えた。
「痛みが引いたかね?」
私の言葉に頷くミヤビ殿は、少し楽になったのか身体を起こして、「突然すみませんでした。家に誰も居なくて…急に痛みだしたからびっくりして…」と謝るので、家に誰も居ないとはどういう事だとこちらが驚いたのだ。
「ミヤビ殿、神王様である貴女のそばに、使用人が誰も居ないとはどういう事だね」
「え?」
「いくらつがいの本能で他を寄せ付けたくはないといっても、留守にするならば使用人を置いておくのが常識。まして君は妊娠しているのだ」
「あ、いや~…」
いつもはトモコやショコラが家に居るのだと言うが、彼女らは友人で使用人ではないだろうと言えば、頷いて、使用人…? と首を傾げるので呆れるしかない。
もしかしたら本当に世話人が居ないのだろうか…?
「ミヤビ!!!!」
バチバチと雷のような音と光を散らし、またも突然私の部屋に転移してきた者が……。
「第3師団長、君はノックをして扉から入ってくる事は出来んのかね」
「るせぇ!! それよりミヤビは!?」
「今は痛みも治まっている。陣痛だろう」
「陣…!? ミヤビ!! 大丈夫か!? 産まれるのか!? ど、どうすりゃ…っ そうだっ医者!! すぐ医者に連れてってやるからな!!」
ミヤビ殿の姿を見つけ、駆け寄った第3師団長は目に見えて狼狽えている。
「初めての出産でパニックになる気持ちは分からんでもないが、医師はもうここに呼んであるので向かう必要はない。それよりも、神王様の出産は人間と同じように考えても良いのかね?」
それに、妊婦を家に一人にするとはどういう事だと募れば、師団長は慌てて神獣様の名前を叫び出したのだ。
「ヴェリウス!!!! すぐルーテル宰相の執務室に来てくれ!! ガキが産まれそうなんだ!!」
刹那、私の執務室の温度が急に下がり、美しい氷の結晶が舞ったかと思うと、
『ミヤビ様!! 御子が産まれそうとは誠ですか!?』
また増えた…。
「ルーベンスさんは陣痛だって…」
不安そうに私を見るミヤビ殿は、第3師団長の腕の中に大切そうに閉じ込められている。
『ルーベンスよ、誠か!?』
「医師に診せてはおりませんので断言は出来ませんが」
『ふむ…昼に診た時は多少活発化していたが、問題はなかったはず…』
神獣様が唸っているが、どうやら自らミヤビ殿の診察をしているらしい。
『ミヤビ様、失礼致します』
前足をミヤビ殿の腹の上に置くと、その前足が青白く光る。
魔力…いや、神力を流して腹の中を診ているのか…。
『ふむ…確かに今にも出てきそうな程御子様の神力が活性化しております…』
「じゃあ、あの痛みは陣痛? でも陣痛って破水してからくるものじゃ…??」
やはり出産間近のようだ。
ミヤビ殿は初めての出産に戸惑いが隠せないようだが、しかし、神獣様も初めてなのだろう。一見冷静そうに見えるが、戸惑いが見え隠れしている。
「ミヤビ殿、陣痛や破水の順番は人それぞれなのだよ」
「へぇ、さすがルーベンスさん!!」
痛みが引き、余裕が出たのだろう。いつもの笑顔を見せてくる。
「神獣様。神王様の御出産は人間と同じ方法なのですか? それとも…」
『…ミヤビ様の“器”自体は人の構造と変わりはないが、魂は神王様のそれである。正直こんな事は初めてなのでな……わからぬのだ。
しかし、神の出産も人と変わりないが、出産する時は神域からは出る事はない』
「…出産時は力が弱まるから危険という事でしょうか?」
『神の場合はな。ミヤビ様にそれが当てはまるとは思えぬが…』
どうやら手探り状態のようだ。
どう考えても私の執務室から移動した方が良い気がするのだが。
「神王様の神域に助産師はいらっしゃるのですか?」
ミヤビ殿には世話人すらいないような状態だと推測される。もしや助産師など居ないのではないかと確認すれば、神獣様は居ると答えられた。
それならば何故…?
「ミヤビ殿、何故助産師の所へ行かず、私の執務室に来たのだね」
「え? 助産師?? だって私の知り合いではルーベンスさんが一番出産の知識があるし、頼りになるから」
「待て。君はもしかして君専用の助産師が居る事を知らなかったのか」
ミヤビ殿の反応に、まさか…と聞けば、そのまさかのようだった。
「第3師団長! 妊婦に世話人を付けないどころか、助産師の存在も知らせんとはッ 君はつがいを殺す気でいるのか!?」
「はぁ!? んなわけあるか!! ミヤビの世話は俺が居ない時はヴェリウス、トモコ、ショコラが見ている!! 助産師は出産まで必要ねぇんだから、ミヤビにどこにいるか言う必要はねぇだろ」
「必要ないわけがないだろう!! 助産師は、妊婦に出産の知識を与えたり、悩みの相談を受けたりしてくれる存在でもあるのだ!! 出産間近のミヤビ殿の知識がここまで乏しいなど有り得ぬ事だぞ!!」
妊娠、出産に関する知識が無い状態は、どれ程不安だっただろうか。その不安がお腹の子供や母体を危険にさらす事もあるのだと第3師団長を叱れば、彼は意気消沈し、蒼白になっていた。
「とにかく、すぐにその助産師の元へ」




