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突然怒鳴られたから咄嗟に煽った話

作者: 豆々駄

「いらっしゃいませぇ」


 土曜日の午後2時。道路脇の小さなコンビニ。

 店内にお客を1人維持できれば良いほどの過疎具合。いつ潰れるだろうかと、頼りない店長を見て胸の内に思う。

 当の本人は『暇だから』とシフトも入っていないのに出勤し、事務所で携帯ゲームをしている。監視カメラがある以上下手にだらけることはできない。


 適当に掃除をして時間を潰す。


 バイトを始めて1年。店員が入れ替わり立ち替わりするのは半数が外国人だからだろうか。無断欠勤した次の日には来なくなる。曰く、『怒られるのが嫌いだから』。『日本人は怒りやすいよ。そんなに怒る必要なんてない』と、とある外国人が言っていた。


 そんな彼は寝坊をして遅刻が確定しても連絡はしないらしい。何故なら『今更連絡しても遅刻することには変わりないから』。彼はお国柄だと主張するが、私は理解できなかった。


 兎にも角にもたった1年。だというのに、私は4番目の古株になってしまった。店長、夜勤の人、パートさん、そして私。

 今日も同じ時間に入っていたはずの外国人の男が遅刻していた。その内クビになるだろう。また新しい人が入るだけだ。

 それよりもいくら店長が事務所にいたとしても1人で店を回していることに納得がいかない。古株だといっても1年しか経っていない。まあ、この時間帯はお客が少ないからいいんだけども。


 そうして掃除をしていると、1人の男が店に入ってきた。


「いらっしゃいませぇ」


 歳は50代くらい。

 短髪で大柄。くたびれたシャツと使い古されたパンツ。

 眉間に皺の痕を刻んだその男が真っ直ぐにレジに向かう。慌ててレジに戻れば男は不機嫌そうにこちらを睨んだ。


「コーヒー」


 吐き捨てるようなその言葉に思わず苛立ちを覚えるが、そっと笑顔に隠す。


「サイズはどういたしますか?」

「S」

「かしこまりました。100円でございます」


 私がコップを用意する間、男は怠そうに財布を取り出して100円玉を台に投げた。そしてポイントカードも出す。


 あ、面倒だな。と胸の内に思う。


 本来200円で1ポイントだ。けれど、それを言うと怒るお客がいる。前にもタバコにはポイントがつかないことを説明すると「そんなの分かってんだよ。ポイントつかねぇなら出しちゃいけねぇのか?」と怒られたことがあった。

 いや。出しちゃいけないことはないですけど意味ないですよ?

 なんて正直に言えないからカードを出されたら何も言わずに通すようになった。今回もその通りにカードを通して返す。


「ありがとうございましたぁ」


 レシートを見ればポイントがついていないことがバレてしまう。どうかポイントがついていないことに気づいて理不尽に怒りませんように。そう願いながらワントーン高い声でお客を見送る。

 コーヒーマシンは出入り口すぐ側。男はカップをマシンに設置すると、あろうことかレシートに目を通し始めた。


 最悪だ。


 男がギロリとこちらを見る。

 目が合った。


 やってしまった。


 そう思った瞬間、男が口を開く。


「なにガンつけてんだよ!」


 ドスの効いた声を店内に響かせるその男に内心大きなため息をつく。

 そんなに大きな声を出すなよ。良い歳した大人が。図体がデカいだけでも威圧的なのにわざわざ威嚇する必要ないでしょ。


 相手が女で、しかも小柄だから。

 だから強い態度に出た。そう確信した。


 私はニコリと笑顔を浮かべた。加えて煽りたい衝動に駆られてしまった。相手より優位に立ちたかったのかもしれない。


「ガンなんてつけてません。ただお客様がいらしゃったから。…あ、いらっしゃいませぇ」


 ちょうどよく来店したお客に挨拶をする。

 面白くなかったのだろう。男はさらに目を釣り上げた。


「何が“いらっしゃいませ”だよ、気持ちわりぃ。」

「お客様がいらっしゃったらそう言う決まりですので」

「あ?俺のこと馬鹿にしてんか?」

「いえ、そんなことはしていません。不快に感じたのなら申し訳ございません」


 微塵にも思っていない謝罪を口にして申し訳なさそうな顔をすれば、男は何故か納得した様子を見せた。

 え?これで?何に満足したの?まさか謝罪の言葉で?

 寧ろ彼の行動に興味すらわき始めていたが、男がカップを持ったのを見てすかさず送り出しの言葉を述べる。


「ありがとうございましたぁ」

「ああ?なにが“ありがとうございました”だよ??」


 再び戻ってくる男。

 え?なに?どれが癇に障ったの?


「え?いや、コーヒー買っていただいたので、ありがとうございましたと言っただけですよ?」

「はあ?気持ちわりぃこと言ってんじゃねぇぞ?」

「???」

「てめぇ!おい!こっち来い!!」

「はい?なんでしょうか?」


 私と男の間にはレジの台が1枚。これほどこの台に感謝したことはないだろう。

 今にも飛びかかってきそうな男と距離をとりながら言われた通りに近づく。男は175くらい。私は155。見上げる形。それでも笑顔は絶やさずに。


 男はレシートを取り出すとそれを強く指差した。言わずもがなポイントのところである。


「俺はさっきコーヒーを買ったんだよ。お前がレジをしたよなぁ?けど、ポイントが入ってねぇんだよ。これボッタクリだよなぁ?」


 あー。やっぱり。


 いや。この人は単純に知らなかったのだ。知らずに疑問に思い、疑問が疑心に変わっただけ。これは最初に説明しなかったこちらに非がある。


「申し訳ございませんが、ポイントは200円で1ポイントとなっております。コーヒーは100円ですのでポイントにならないんですよ。申し訳ございません」


 何に謝っているか分からない状態で謝罪の言葉を並べれば、男は何故か呆れたような顔をした。


「それじゃあ、ボッタクリじゃねぇか」

「???」

「こんな店すぐ潰れるわ。ボッタクリするような店だもんなぁ」


 店内にいる他のお客に聞こえるように声を張る男。カップルがこちらを見てクスクスと笑っている。おそらく男の奇行に対してではない。男に絡まれている哀れな私に対してだ。


 ボッタクリボッタクリと壊れた機械のように繰り返す男に私は思わず同情してしまった。


 何故彼はこんな奇行に走っているのか。何が彼をここまでさせているのか。もしかしたら何か障害があるのかもしれない。


 我慢をするという能力は3歳までに身につくらしい。脳による指令だ。しかし発達障害があるとこの能力を身に付けるのが難しくなる。


 だとしたら自分で衝動を抑制するのは難しいのだから同情するのはおかしいのではないか?障がい者に対して同情するのは侮辱に当たるのではないか?

 けれどこんなにも暴れる彼の衝動を私は受け止めきれる自信がない。どんな気持ちで受け止めればいいのだ?


 目の前の男を私はただ見つめた。

 男は私のそれを侮辱と捉えたらしい。

 突然「袋を寄越せ」と言ってきた。

 言われた通りに袋を渡すと、彼は私を見ながらコーヒーマシンの側に置いてあったガムシロップやおしぼり、砂糖なんかを袋に入れ始めた。

 その目はまるで私の反応を試しているようで。


『この人は怒る人か』『どこまでしたら怒られるのか』と子どもが悪さをしながら大人の反応を見る、試し行動と重ねてしまった。


「これ貰っていいんだよなぁ?」

「はい。それは無料なので」

「じゃあ、全部持っていってもいいよなぁ?」

「どうぞ。お好きなだけ」


 私の対応に男がカッとなっておしぼりを投げつけた。

 重さも厚さもないおしぼりは私の目の前でヒラヒラと落ちる。


 無力だ。


 男は相変わらず私の反応を見ていたけれど、私はゆっくりとおしぼりを回収した。そうして回収したおしぼりはそっと棚の下に隠した。男は隠したおしぼりを出すよう要求はしなかった。


 殴ろうと思えば殴れる距離なのに殴らない。

 ガムシロップを投げれば多少痛みを与えられるだろうに投げない。

 コーヒーをかければ火傷を負わせられるだろうにかけない。

『死ね』だの『殺す』だの攻撃的な言葉も使わない。


 弱い。男はとても弱かった。


 私は待つという選択肢を取ることにした。子どもに対しても大人に対しても気持ちを整理する時間というものが必要である。急かせば焦ってしまう。焦ればパニックに繋がる。

 私は彼の衝動を尊重して、待つのが彼にとって最善であると判断した。

 そこに漸く外国人が来た。1時間の遅刻。彼は息を切らしながらレジに入るなり、その客を見て戸惑ったような顔をした。


「あれ、止めなくていいの?」


 止めたければ止めればいいのに。外国人は止めようとしない。あくまでも私にやらせようとする。

 今だ男は私を睨んでいるのに、男と私の間に入ることすらしない。

 店長も監視カメラで見ているはずなのに助けに来ない。


 ねぇ、弱いよ。


 私は緩く首を振った。そして外国人に言う。


「いいんですよ。あのままで」


 外国人は納得していなかったけれど、かといって男を止めることもしなかった。

 それにしても偉いじゃないですか。遅刻したのにちゃんと来るなんて。

 そんな嫌味は飲み込んで男の動向を探る。


「警察に通報するか?いいぜ?してみろよ」

「しませんよ。これくらいのことで」


 試し行動を続ける男に素っ気なく返せば、また袋に詰め始める。『何だその態度は』と怒るかと思ったのに。男の衝動は萎みつつあるらしい。

 やがて袋がいっぱいになると男はニマニマ笑いながら手を振った。


「じゃあな、ありがとよ」

「はい。ありがとうございました」


 最後に笑顔を返してあげれば男は再び顔を険しくして店を出た。最後の最後まで煽ってしまった。


 男の背中を見送った後、途端に体が震えだす。

 これでも怖かったのだ、一応。

 煽ったのもきっと強気に出て誤魔化すため。笑顔を作れたのも弱い自分を隠すため。防衛本能。


 祖母は私の顔を器量が悪いと言う。不貞腐れているような顔が良くない、口角を上げろと。馬鹿にしているのかと怒られて。だからお前は嫌われるんだと怒られて。顔が悪いだけで責められた私は緊張すると笑うようになった。


「怖かったですよぉ」


 ヘラリと笑いながら外国人に言えば、彼は眉間にシワを寄せて言う。


「あれ、見逃してよかったんですか」


 あら。私への慰めは無いのね。

 じゃあ、あなたが止めればよかったじゃないですか。とは言えない。


「いいんですよ。下手に指摘してはいけないんです」


 曖昧にボカして言えば、やはり彼は納得しなかった。けれど追及はしない。見逃さないならどうするの?と話したところで現実的な解決策は生まれないからだ。

 なかったことにしよう。色々盗られたのも店長が止めなかったのだから黙認してくれるはずだ。

 そう思って掃除を再開しようとした刹那、再び自動ドアが開いた。そこに立っていたのは先ほどの男である。

 しかし少し様子が違う。


 男はニコニコと笑っていた。


「なあ、ねぇちゃん。この店のカード作りてぇんだけど教えてくんねぇか?」


 散々殴った後に優しくする。DVの手法だ。

 私はニコリと微笑んだ。


「ええ、いいですよ」


 カードは店に設置してある機械で登録する。今度はレジの壁もない。男の気配をすぐ背後に感じながら私は説明をした。男はずっとニコニコしていて、最後に「さっきは怒って悪かったな」と言った。


 私は「大丈夫ですよ」と笑顔を返した。


 男を見送った後。

 近くのベンチを見れば大量のおしぼりやらガムシロップやらが乱雑に捨てられていた。


 物を捨てることで衝動的な感情を殺し、笑顔で戻ってきたことが推測できた。


 私は性善説を信じている。


 どうすれば彼を満足させてあげることができたのだろうか。

 どうすれば彼を良の気持ちで満たしてあげることができたのだろうか。

 聖人君子なら彼の感情をどうやっていい方向に導けただろうか。


 しかし善人らしい思考を纏うのは随分疲れる。


「掃除面倒くさ。ゴミ箱近いんだからそこに捨てればいいのに」


 私は“客を煽った店員”として毒を吐いた。


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