間章・将軍島津加々久2(3)
沈黙が続く間、どちらも身動ぎ一つ取ろうとしない。ともすれば、時が止まってしまったかと錯覚しそうになりそうだった。
「…黒豹の彼女はどうだ?」
そんな中、先に沈黙を破ったのは島津将軍だった。彼は、書類に視線を落としたまま、重苦しい口調で呟く。
「そちらも、現状では如何ともし難く。」
「そうか…」
先の質問に対し、申し訳なさそうにシュタイナーが答える。その返事を受け将軍は、険しい表情でため息を吐くと手にした書類を机に投げ出した。
そして顔を上げ、再びシュタイナーへと向き直る。見るとその表情は、多少だが穏やかなものになっていた。
「何時も苦労を掛けてすまんな。引き続きよろしく頼む。」
「ハッ!了解です!」
直後に告げられた島津将軍の言葉に、シュタイナーは軍人らしく姿勢を正し、部屋中に反響しそうな勇ましい声で返事を返した。そんな彼の姿を見てか、将軍の口元が僅かに緩んだ様に見えた。
しかしその様に見えたのも一瞬。次の瞬間には、シュタイナーから視線を外すと、先程机に投げた書類を拾って一つに纏め始める。
「ところで将軍。」
「ん?」
その将軍に対し、姿勢を楽にしたシュタイナーが不意に話しかける。直後、手を止めた島津将軍は、三度彼へと視線を向けた。
「昼過ぎに我が部隊にも一報がありましたが、守護者2名が無申請でルアナ入りしたとか?」
「あぁ、その事か…そうだ。上陸したのは、皇旺殿と天津譲羽殿の両名だそうだな。」
そう答えつつ島津将軍は、1つに纏めた書類を机の引き出しの中へと仕舞う。
「なんでもリク港で行方を眩ましたそうですね?」
「その様だな。」
「その後の足取りについて、何か解りましたか?」
「いや…見失ったと報告を受けて以降、何の音沙汰も無いよ。」
「そうですか…」
島津将軍の返答を聞き、考え込む仕草を見せるシュタイナー。
「何か気掛かりでもあるのか?」
「気掛かりと言いますか、陛下が酷く不審がられておいでだそうで…」
「そうか。まぁ、それも無理からぬ事であろうな。」
「…逆に将軍は、随分と落ち着いてらっしゃるのですね?」
「うん?あぁ、まぁ…」
不意に、怪訝そうな表情をしながら、島津将軍に対しそう問うシュタイナー。それを受け将軍は、思わずと言った様子で自嘲気味に苦笑すると、返事に困ったのか言い淀む。
「…あの2人が突拍子も無い行動を起こすなんて事、今に始まった話では無いからな。もう慣れたよ。」
一瞬間を開けて、島津将軍の口から語られたのは、諦めたと言わんばかりのそんな言葉だった。先の問いに対する、その返事を受けてシュタイナーは、呆れた表情でため息を吐き出した。
「慣れたからって、寛容に振る舞う様な事でも無いと思いますが…」
「確かにそうで在るな。」
部下の手厳しいその一言に将軍は、再び苦笑を浮かべると、椅子の背もたれに深く身体を預けた――
「…将軍?」
――かと思った次の瞬間、突然身体を起こして廊下側の扉へと顔を向けた。
それを目の当たりにしたシュタイナーは、訝しがりながら声を掛けた。しかし島津将軍は、それに対し何も応えず突然手を彼に向かって翳し出す。
その挙動を向けられたシュタイナーが、意図を察して口を閉ざすと同時、今度は空いた側の手で自分の頭を指し示す島津将軍。それが、顔を隠せというジェスチャーだと気が付いた彼は、その指示に素直に従い手に持つ兜を頭にはめ込む。
一瞥してその様子を確認した島津将軍は、両手を下ろすと同時に立ち上がる。そしてそのまま、廊下に通じる扉の方へと向かって歩き出した。
その様子を兜越しに眺めていたシュタイナーだったが、不意に部屋の外が騒がしくなっている事に気が付いた。心無しか、床が震えているようにも思う。
恐らくは、複数の人間が廊下を忙しなく走っているのだろう。そしてその内の1人と思しき足音が、段々と大きくなってきていた。
――ガチャッ…
「うわっ!?し、シマズ将軍!!」
その足音がこの部屋へ辿り着くよりも少し早く、島津将軍が扉の前へと到着する。続け様、ドアノブに手を掛けたかと思えば、そのまま一気に扉を開け放った。
すると、ちょうど部屋の前に辿り着いた足音の主が、突然開いた扉とそこに立つ人物の姿を目の当たりにし、目を見開いて素っ頓狂な声を上げる。その様子からして、さぞ驚いたのだろう。
「し、失礼しました!!」
廊下を走って姿を見せた人物は、どうやら文官らしい。彼は直ぐさまハッとして、腰を折って謝罪の言葉を口にする。
「構わんよ。こちらこそ、驚かせてしまってすまんな。」
文官の口にした謝罪が、素っ頓狂な声を上げてしまった事についてと、そう判断したのだろう。深く頭を下げる彼に対し、苦笑を漏らしながら謝る島津将軍。
しかしそんな表情を見せたのも一瞬。直ぐさま表情を引き締めた将軍は、文官が走ってやってきた方へと視線を向ける。
「それよりも、騒がしいようだが何かあったのかね?」
「は、はい!それが…」
視線を向けた先――思った通り幾人もの兵士や文官達が、行き交う姿を見やりながら、未だ頭を下げる彼に向かって静かに訪ねる。
その問い掛けに文官は、勢いよく頭を上げて何か言いかけた後、表情を真っ青にして固唾を飲み込む。明らかに、余裕の無い様子が窺える。
その表情を見て、嫌な予感を覚える島津将軍。しかしだからと言って、急かすような事はせずに、文官が落ち着くのを辛抱強く待ち続ける。
「…今し方、フェミル湖の監視台から報告があり――」
程なくして、意を決したらしい文官が語り出す。そしてその口から、言葉が紡がれる度に島津将軍の表情が、段々と強張っていった。
青ざめた表情をした、余裕の無さそうな人物の口から語られる、フェミル湖というキーワード。その意味する所は――
「――ユニコーンが2頭とも森から出陣しました!!」
「何だと!?」
予想だにしていなかったその報告に、ずっと部屋の中で息を潜めるようにしていたにも関わらず、シュタイナーが声を荒らげる。今受けた報告が、それ程までに重大という事なのだろう。
しかしそんな彼とはまるで対照的に、報告を受けて直ぐ難しい表情を浮かべ、考えを巡らせ始め島津将軍。
「それは本当か!?」
「は、はい!間違いありません!!」
「2頭同時に?」
「2頭同時にです!!」
その考え込む将軍を間に挟んで、文官とシュタイナーのやり取りが続く。しかも面白い事に、文官の位置からシュタイナーの姿は見えない為、会話は成立している様だが、彼は将軍と話しているつもりでいるらしい。
普通なら気が付きそうなものだが…そんな事にも気が付けない程、動揺していると言う事か。
「2頭同時なんですが…」
「どうしたのかね?」
そんな折、不意にハッとした様子になった文官が、今し方語った言葉を改めてくり返す。その様子を島津将軍が見逃す筈も無く、ようやくそこで口を開いた。
「それが…何時もと様子がおかしいのです。」
「…様子がおかしい?」
「どういう事かね。」
「は、はい。報告では、確かに森からユニコーンが2頭、出陣したと受けたのですが…眷属であるペガサス達の姿が無かったそうなのです。」
「何?」
困惑した様子で語る文官からの報告を受け、途端に島津将軍の目付きが鋭く変わる。その反応からして、どうやら異例の事態であるらしい。
「…王にこの事は?」
「はい、他の者が向かった筈です。」
「そうか…」
そう呟いた後将軍は、再び黙り込んで考えを巡らせ始める。その様子を、オロオロしながらも黙って見守る文官と、微動だにせず待ち続けるシュタイナー。
誰も喋らなくなった事によって、廊下の先から伝わってくる慌ただしさが、一層鮮明になる。そのお陰か、重苦しい沈黙にならずに済んだ。
「…君。」
待ち続ける事暫く。ようやく考えが纏まったらしい島津将軍が、文官に視線を送り口を開いた。
「は、はい!」
「騎士達の招集令は、既に行っているな?」
「勿論であります!」
「よし。では急ぎ司令部に戻り、各部隊長を招集して待機させるよう通達してほしい。」
「ハッ!」
「それと諸外国への通達は、私が司令部に向かうまで待つようにとも伝えてくれ。少し様子を見たい。」
「了解しました!!」
淡々とした口調で、今後の事を口答で指示していく島津将軍。その指示を受けた文官が、先程とは打って変わって、威勢良くハキハキと返事を返すと同時、踵を返し駆け足で去って行く。
その後ろ姿を見送った将軍は、扉を開けたまま机まで引き返すと、鎧台に飾られた深紅の甲冑に手の伸ばす。
「大変な事になりましたね。まさかユニコーン達が動き出すとは…」
「そうだな。」
甲冑に手を伸ばした直後、不意にシュタイナーが話を切り出す。それに振り返る事無く答えながら島津将軍は、甲冑の着用を始めた。
「しかし、ペガサス達が動き出さないのは妙ですね?今回の大規模侵攻は、何時もと規模が違うのでしょうか?」
「さて、どうであろうな。」
「ペガサス達の身に、何かあったんでしょうか…」
そう呟いて、不思議そうに首を傾げるシュタイナー。
そんな、全身甲冑のまま首を傾げる彼が、よほど面白かったのだろう。肩越しにその姿を一瞥した島津将軍が、不意に苦笑を浮かべる。
「…或いは、侵攻自体起きていないかもしれんな。」
「え?それは一体…」
そしてその彼に向かって、独り言でも言うかのようにぽつりと呟く。その思わせぶりな発言に、直ぐさまシュタイナーが食い付いた直後――
「――将軍!シマズ将軍!!」
開け放たれたままと成っていた扉の向こうから、突如として呼びたてる声が響いた。
「やれやれ。今日は何と忙しない1日なのだろうか…」
その声を聞いた途端島津将軍は、廊下側へと視線を向け苦笑交じりため息を吐き出し呟く。そして鎧の着用を一旦止めて、扉側へと再び向かっていく。
程なくして、廊下の向こう側からガチャガチャと音を響かせ、全身甲冑を着込んだ騎士が姿を現す。見たところ、シュタイナーが身に着けている鎧よりも、造りや細工が凝っていた。
「時久の部下か…どうしたのかね?」
その鎧を確認し、直ぐさま王直属の近衛兵だと察した島津将軍が、幾分驚いた様子で用向きを問い質す。
「ハッ!陛下が至急、将軍にお目にかかりたいとの事でして。」
「ユニコーン達が動いた件でだな、解っている。ちょうど私も王の間に伺おうと支度していた所だ。」
近衛兵の用件を聞いて、納得した様子でそう返す島津将軍。邪神軍の大規模侵攻が予期された際には、王の間にて各大臣も集めて、情報の摺り合わせを行うのが通例だった。
その呼び出しだろうと、安易に思ったのだが…
「いえ、それが…将軍には王の間では無く、先に私室に来るようにとの仰せでして。そこでまず、2人きりで今回の件について話したいと仰せです。」
直後、近衛兵にそう告げられて将軍は、怪訝そうな表情をしながらシュタイナーと顔を見合わせるのだった――