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剣道少女が異世界に精霊として召喚されました  作者: 武壱
第四章 軍国編
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間章・彼のこと(4)

 ――そこに書かれている文面を、すぐ理解出来なかった。何の冗談かとも思ったが、しかしそれにしては質が悪過ぎる。


 しかして彼は、今まで読めずに積み重ねてきた実家からの手紙を、新しい方から順に中を確認し始めた。すると、ずっと妹からだとばかり思っていたその手紙が、ここ2月程は兄から送られてきていた事が解った。


 その兄からの最初の手紙に、妹・アイリスが今は亡き母親と、同じ病に罹患したという事と、その彼女の担当医に、兄が成ったという事が書かれていた。『絶対に助けてみせる。だからおまえも取り乱すな』と、一筆添えられて。


 しかしそれから1月たった後の手紙には、バァートンが何の連絡もよこさない事に対する不満と共に、一向に回復の兆しが見られない事が書かれていた。様々な治療を施しているにも関わらず、成果が上がらない事に対する焦りが、その文面からは読み取れた。


 そしてその後――バァートンが1度は不信に思いながらも、結局開かなかった手紙だ。それは、すでに医師として確かな実力を持っていた筈の兄から、出来損ないと呼ばれた弟への救援要請だった。


 様々な治療法を試したが、遂に思いつく限り全ての案を試してしまい、兄にはもう思いつく手立てが無く、万策尽きたという。そこでバァートンの知恵を借りたいと、そう書かれてあったのだ。


 なぜ現職の医師が、医師の資格すら持たない彼に助けを求めたのか?それは彼の医学に関する知識量が、並外れて凄まじかったからだ。


 医師としての道を諦めざるを得なかった彼が、それでも医療に携わり、かつ妹の期待に応える為には、知識に特化するより他に道が無かった。実家の書斎に並ぶ医学書は、空で読める程に読み込んだ。


 そうまで成ったら今度は、毎日のように国立図書館へと通うようになった。通い詰めて、本人の知らない所で図書館の主とまで呼ばれたぐらいだ。


 そうやって医学書を読み漁り、着実に知識の海を広げ続けた彼は、新たな海域を求めた。その求めた先は、異世界――地球の医学だった。


 親に頼み込んで、かなり値の張る異世界の医学書の翻訳本を入手したり。家の人脈を最大限に活用して、元の世界で医師だった異世界人を招いたり。


 ありとあらゆる手を講じて、必死に妹の期待に応え様としていたのだ。そうやって、息継ぎも忘れて頑張り過ぎた結果、知識の海で溺死しかけてしまったのだが…


 無理をしている事は明白だったが、一心不乱に頑張るバァートンの姿を見守っていた家族は、彼の事を勿論評価していた。それ故の、兄からの救援要請だったのだ。


 彼のこれまでの努力は、現職医師が感服し認められるまでに至った、比類無き武器となっていたのだ。そうやって磨き鍛え抜かれたその武器は、しかし自身の心の弱さによって、使い所を失ってしまった。


 ともあれ状況が飲み込めた彼は、急ぎ実家へと向かい、そしてもの言わぬ妹と対面した。遠い昔に見た、苦しんで亡くなった母とは、まるで違う穏やかな表情をしていた。


 ただ眠っているだけなんじゃ無いか?或いは次の瞬間、ひょっこり目を覚ますんじゃ無いか?


 そんな風にさえ感じられる、妹の安らかな死に顔を目に絶望し…息を引き取るその瞬間に立ち会えなかった、自分の愚かさに深く後悔した。


 だと言うのに――何故か、不思議と涙が出なかった。妹の死を前にして、彼の中で何か大事なものが、プツリと切れてしまったのだ。


 そこから先は、絵に描いたような転落人生だった…


 残り1年とまで迫っていた従軍任期を、自主的に切り上げた彼は――酒に溺れ、女に溺れ、ギャンブルに溺れるようになった。


 昔からバァートンを知る者は、その豹変ぶりにたいそう驚いたそうだ。ずっと勉強に励んでいたイメージしか無かったのだから、その反応も無理ない話だろう。


 そんな、分かり易くやさぐれた彼に対し、しかして周囲の者達は、特に諫めるような事はしなかった。最愛の妹を失った悲しみを紛らわす為だというのは、誰が見ても明らかだったからだ。


 それに何より、彼の事だからきっと、また立ち直ってくれるものと信じていた。


 幼い頃に母を病で亡くし、その悲しみを乗り越え医師を目指した時のように。医師になるべく邁進してきたのに、よもや自分にその資格が無いと知った時、それでも妹の励ましで立ち上がった時のように。


 母の命を奪った病が、挫けそうになった自分を支えてくれた妹の命まで、時を経て奪ったのだ。憎かろう、悔しかろう…その思いを原動力にして、自ら立ち直ってくれると――


 しかして、そうは成成らなかった。1年2年とそんな状態が続くにつれて、1人また1人と彼の側から離れていき、終には父親までもが見限った。


 そうして彼は、フォークライム家を勘当され、ただのバァートンとなった。そこから奴隷として売られる迄、そう時間は掛からなかった。


 かくしてバァートンは、全てを失ってここに居る。そんな彼が…1度は、何にしがみついても立ち上がれなくなった男が、何の面識も無い異世界人の少女の為に、身を投げ出した理由――


「――何でだろうな…どうしてだろうな…全然、似てないって…言うのに、あの子を…メアリーを見てると…妹の死に顔が、嫌でも思い浮かんじまうんだよ…」

「あぁ?急に何言ってんだ、おまえ。自分の置かれてる状況解ってんのか?オイッ!」グイッ!!

「ぐっ…」


 髪を強引に引っ張られているというのに、むしろ朗らかな表情を浮かべた彼の独白が続く。その様子を間近で見ていたチェコロビッチは、ドスの効いた声で凄むと同時、握りしめた彼の髪を更に強く引っ張った。


 これにはさしものバァートンも、苦悶の表情を浮かべる。しかしそれも一瞬で、すぐさま口角をつり上げて、苦悶の表情で無理矢理に笑みを作る。


「もちろん…解ってるさ。でもよぉ…あそこで、メアリーを見捨てちまったら…もうあの世でも、妹に会えなくなるような…そんな気がしてよぉ…」


 直後にそう呟き、そして――


「俺にとっちゃ、そっちの方があんたに殺されるよりも、よっぽど恐ろしいんだよ。」


 ――残った気力を振り絞り、凄むチェコロビッチを逆に睨み付けて、憮然とした態度でハッキリそう宣言した。いくら痛めつけられようと、決して心は屈しないという、そんな強い気持ちの表れだった。


 そんなバァートンの恣意表明を受け、チェコロビッチが黙っていられる筈も無い。すぐさま怒りを露わに激高する――


「…そうかよ。」


 ――とばかり思われたのだが、その予想とは裏腹にチェコロビッチの反応は、まるで大人しかった。むしろこの場合、その大人しさが逆に恐ろしく見える。


 程なく、その予感は的中する事となった。それまで、力任せに掴んでいた髪を急に手放したかと思うと、まるでバァートンから興味を失ったかのように、急に無表情となって徐に立ち上がる。


 その様子を、少なからず戸惑った表情で見上げるバァートン。そんな彼を、まるでゴミでも見るかのように見下し――


「なら死ね。」ゴッ!!

「ッ!?」


 ――事も無げにそう呟くと同時、見上げる彼の顎を思い切り蹴り上げた。その突然の蛮行に、当然反応なんて出来よう筈もなく、悲鳴すら上げる事も出来ずに、大きく首を仰け反らせるバァートン。


「ッ!」ガシャンッ!!「ウゥーッ!!」


 一瞬遅れてメアリが、飛びかかろうと身を翻すも、首輪の鎖に阻まれ唸り声を上げるに止まった。そんな彼女を、酷く冷たい視線で一瞥したチェコロビッチは、しかしすぐに興味を失ったようで、再びバァートンへとその冷たい視線を向けた。


「…ぅっ、あがっ…あ…」


 見るとバァートンは、口からダラダラと血を流しながら、苦痛に顔を歪め呻いている所だった。先程蹴られた為だろう、何本か歯が無くなっていた。


 そんな彼に対しチェコロビッチは、無言のまま拳を握ると、大きく振りかぶる。そして――


「そこまでです隊長!王命をお忘れですか⁉︎」


 ――振り下ろされようとしたまさにその瞬間、シュナイダーが声を張り上げ呼び止めた。静止するよう促したその声に、意外にも素直に従ったチェコロビッチは、振り上げた拳はそのままに、忌々しそうに舌打ちする。


 その後ゆっくり拳を下ろすと、暫く苦しげに呻くバァートンの姿を殺意の篭もった視線で見下して、不意に彼に対し背を向け歩き出した。と、そこへ――


「ふ、フフ…」


 ――背を向けた筈の背後より、呻き声ではなく笑い声が不意に聞こえてくる。その声を耳に、踏み出した足をぴたりと止めて、肩越しに振り返るチェコロビッチ。


「…じ、自分の…思い通りに、ならないのが…随分ご不満、みたいだな…異世界人。ふ、ふふふ…」


 その背中に向かって、口から止めどなく血を流しながら弱々しく頭を上げ――けれど不敵な笑みを浮かべていた。


 またぞろ痛め付けられるだろうとわかりながらも、しかして彼は言葉を――口撃を続ける。


「解るぜ、その気持ち。なんせ、俺は…これまで一度だって…自分の、思い通りに…なった事なんて、なかった…からよ…」


 幼い日に夢見た、医者なって母と同じ病に苦しむ人々を、救う事は出来なかった。


 兄として、妹の期待に応えてやる事も出来なかった。所か、その最期の瞬間に立ち会う事さえ出来なかった。


 そんな、駄目な奴でしか無かった。けれど――


「そんな俺が…初めて思い通りの結果を、この手に掴んだんだ…自分の願った通りに…」


 ――全て無くして、墜ちる所まで墜ちた果てに…たった一人だけれども、泣いてる女の子を助ける事が出来た。


「こんなに、嬉しい事…なんてない…」


 そしてそこまで告げると、不意に視線を移し表情を和らげる。向けた先は――


「だから俺は…大丈夫さ、メアリの姐さん。」


 ――彼女に対しそう告げて、精一杯の笑顔を浮かべる。突然そう振られたメアリは、彼のその姿に驚きを禁じ得なかった様子で、それまで上げていた唸り声をぴたりと止めて驚きに目を見開く。


 そんな2人の間を、まるで割くかのように――


 ――ドゴッ!!「ッ!グホォッ!!」


 ――鋭く容赦の無い蹴りが、バァートンの鳩尾に叩き込まれた。たまらず咳き込むその姿を見下ろし、チェコロビッチがつまらなさそうに鼻を鳴らす。


「…亜人風情が鬱陶しい。解ったような口をきいてんじゃねぇぞ。」

「グホッ、ゴホッ…」


 そして冷徹にそう告げると、彼の腹にめり込ませた足を退かして、再び踵を返し歩き出す。けれど、すぐさまその歩みを止めた彼は、行く手に見えたメアリの姿を前に、苛立たしげに舌打ちする。


 またぞろ牙を剥き出しに、チェコロビッチを威嚇する――なんてことは決して無く、むしろその逆だった。


 バァートンを痛めつける度に、あれだけ唸り声を上げていた彼女が、今はまるで静かだった。無論、敵意こそ未だ放ってはいるが、その表情に怒りの色は無い。


 所か、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。『獣人の感情は、表情よりも尻尾にこそ表れる』なんて諺がある位、彼女達の心理状態は、包み隠さず必ずそこに現れる。


 それなのに、尻尾が通常の状態に戻っている。彼が痛めつけられるのを目の当たりにし、何も感じなくなった――なんて理由では、決して無い。


 では何故か?そんなもの、彼の想像以上の覚悟を知って、自分の心配なんて微塵も必要ないと、そう悟ったからだ。


 実力至上主義の獣人がそんな風に思える相手は、自分と対等か格上以外にあり得ない。メアリがバァートンの事を、真に対等の存在だと認めた瞬間だった。


 とはいえ、チェコロビッチに彼女のそんな想いが、理解出来る筈も無かった。ただ単に、もうバァートンを痛めつけても、期待する反応が返ってこないと悟り、苛立っただけだ――


「…ふ、ふふっ…」


 ――その苛立ちを、まるで見透かして嘲笑うかのように、再び背後から笑い声が響いてくる。


「わ、解らない、だろう…な、あんたには…俺や、姐さんの…覚悟なんて、よ…ふ、ふふふ…」

「ッ!」


 その台詞を耳にした瞬間、反射的に暴行しようと動くチェコロビッチ。あわや暴行再びと思われた瞬間、しかしピタリと動きを止めた。


 どれだけ同じ事を繰り返そうと――それこそ、バァートンを殺したとしても、決して屈服しないと理解したんだろう。


 むしろここで手を出したなら、バァートンの煽りに乗った自分の負けだと。このままここに留まる限り、この苛立ちは決して収まらないと。


 その位の事が解る冷静さを、まだ残していた暴虐の徒は、ギシギシと音を立てて歯噛みすると、バァートンに背を向け歩き出した。


 そして、我慢した怒気を吐き出すかの様に、無骨な足取りでズカズカと歩み、メアリの横を通り過ぎていく。そのまま歩を進めると、彼女の背後に立っているシュナイダーを睨み付けた。


「…寄越せ。」

「は、はい。」


 口数少なく、ドスの効いた声でそう告げると、それだけで意味を察したのだろう、手にした鎖をチェコロビッチへと差し出した。それを、ひったくる様に奪ったかと思いきや、力任せに引っ張っり歩き始める。


 直後、鎖から伝わってきた感触に、更に怒気を膨れ上がらせた。何故なら彼の予想よりも、全然軽い感触だったからだ。


 それはつまり、チェコロビッチが強引に引っ張るよりも先に、メアリが動き始めていたという事だ。一切の抵抗もせず、自ら進んで着いてきた。


 それが無性に腹立たしく、チェコロビッチの神経を逆なでした。が、決して振り返ろうとはしなかった。


 ここで振り返り、感情のまま一発殴った所で、この苛立ちは収まらない。その程度では、この2人は屈服しない。


 ならば相手にするだけ時間の無駄だと、そう判断したのだろう。そのまま変わらぬ足取りで、鎖に繋がれたメアリを引き連れ、地下牢獄の出口を通り、坂を上っていくチェコロビッチ。


「…ふっ、ふふっ…ふふふっ…」


 そんな彼を追いかける様に、バァートンの笑い声が地下に反響するのだった――

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