間章・彼女達の戦場2(9)
「…なんてね。何本気に受け止めてるんだい、全く…」
「…へ?」
そんな彼を、背筋も凍る様な笑みで暫く見遣る黒豹属の彼女。しかし突然、ムスッとした表情になったかと思うと、今なお情けなくペコペコと頭を下げる男性に対しそう告げる。
そんな彼女の反応に、思わずキョトンとした表情となって顔を上げた彼が、何とも間の抜けた声を上げながら聞き返す。それを一瞥して彼女は、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「え〜っと…怒ってるんじゃ無いのかい?」
「そりゃ怒ってるさ、当たり前だろ?あたしの思惑が、素人のあんたの所為でオジャンになったんだからね。」
「うっ…」
それに対し、男性が恐る恐ると言った感じで聞き返す。すると間髪入れず、不機嫌そうな彼女にそう責め立てられて、気弱を絵に描いたような彼は、当然の如く言葉に詰まりたじろいだ。
そんな彼に対し、更なる追い討ちを掛けるかと思いきや、しかし突然表情を緩める彼女。そして唐突に、まるで内に溜め込んでいた物を全て吐き出すかの様な、大きなため息を肩を落としながら盛大に吐き出した後、ジト目で男性を睨みつけた。
「…ただまぁ、素人のあんたに気配だけで察しろだなんて、そんな事要求する方が無茶ってなもんだろうよ。それにあんたはあんたで、善かれと思ってそう行動してたんだろ?なら、あたしが文句を言う筋合いじゃ無いだろうよ。」
「姐さん…」
その直後、困惑気味の表情を浮かべる男性に対し、不機嫌さを醸し出しながらぶっきら棒にそう告げる。彼女の言葉が、よっほど予想外だったのだろう、びっくりした表情をする男性からその呼び名が、本人も気付かぬ内に自然と口をついて出た様だった。
その呼び名に対し、たちまち不機嫌になった彼女から、すぐさま文句が上がるかと思いきや、しかし一向にそうなる様子は無い。どころか、男性の視線から逃れる様に顔を逸らした彼女は、照れ臭そうな表情で鼻を鳴らした。
しかしその次の瞬間――
――ピクンッ
「ッ!?」
「…ん?どうしたんだい姐さ――」
不意に、彼女の獣耳が天に向かってピンッと立った直後、その表情が急に引き締まり強張った。それを目の当たりした男性が、不審に思って声を掛け様としたその時――
『――巫山戯んじゃないよ!!』
「ッ!?」
――馬車の向こう側から、突如として聞こえてきた女性の罵声に驚いた彼が、聞こえてきた方向に当たりを付けてそちらへと振り向いた。しかし悲しいかな、彼が視線を向けた先には、馬車に張られた幌のみだ。
表に居る者達は、彼等が捕まる馬車から少し離れた所でやり取りしているらしい。その上、遠くから響く馬群の足音の所為で、元々彼に外の状況を知る術が一切ない。
聞こえて精々、会話と思しき物音程度。しかし、それが聞こえると言う事は、少なくとも助けに来た冒険者達は、未だ健在だという事に他ならない。
それに何より、人種の何倍もの聴力を持つ獣人の彼女が、今までずっと落ち着き払っているのを目の当たりにしていたのが、何よりの心の支えにもなっていたのだろう。
「今のは…一体どう言う意味だ?」
だがしかし、その彼女の表情が突然強張ったのだ。その上、先程聞こえてきた罵声以降、どんなに耳を澄ました所で、彼にそれ以降の会話を聞き取る事は出来無かった。
精神的支柱が揺らいだ上に、その事が余計に彼の不安を煽った様で、腰が引けた状態になった男性が、視線の先にある幌の布地を心配そうに見つめている。
「別に大した事じゃないよ。」
「えっ!?本当かい姐さん!!」
その最中、顔を背けた黒豹族の女性から、何とも投げやりな感じで声が投げかけられる。それに慌てた様子で振り向いた彼の表情には、僅かに期待の色が窺える。
男性と違い、外の状況をはっきり聞き分けるだけの聴力を、持っているだろう彼女のその言葉だ。例え投げやりだとしても、その言葉に俄然期待してしまうのも無理からぬ事だろう。
「ただちょっと状況が芳しくないってだけの事だよ。」
「…へ?」
だがしかし返っきた答えは、彼の期待していた物とはまるで真逆だったらしい。先程同様に、投げやりな感じで紡がれた彼女の言葉を耳にしても、すぐに理解出来なかったらしく、ぽかんとした間抜け面を晒している。
その間抜け面を向けられた彼女は、呆れた様子で彼に向かってため息を吐いた後、ふと視線をメアリーへと移した。
「ったく、こっちはこっちで反応無しかい。」
黒豹の彼女が視線を向けた先には、相変わらず虚ろな眼をしてジッと蹲る少女の姿があった。先程聞こえてきた罵声は疎か、今までの彼女達のやり取りでさえ、まるで興味無いと言った様子だ。
「…おい小娘、あんたに良い事を教えてやるよ。」
「あ、姐さん?」
そんな少女に対し黒豹の女性は、不機嫌そうに鼻を鳴らしたかと思うと、苛立たしげな様子で彼女に言葉をぶつける。しかし、まるで聞こえていないかの様に、肝心の少女が反応する事は無く、その変わりとばかりに有翼族の男性が怪訝そうに聞き返した。
「今表じゃね、あんたを助けに来た冒険者達と、これからあんたが向かう筈の国のお偉いさんが、あんたの身の振り方について話し合ってたのさ。」
しかし、そんな事お構い無しと言わんばかりに、尚も黒豹の彼女が言葉を続ける。それでも少女に目立った反応は現れない。
代わりに返ってきたのは、またも男性のハラハラと落ち着きの無い表情だった。自分の事では無いと言うのに、なんでそんなに気を揉むというのだろうか?
きっとそんな風に思ったのだろう。男性を一瞥してその表情を確認した彼女が、ふと口元を弛めて僅かに苦笑した様だった。
「その結果がさっき出たみたいだから教えてやるよ――」
しかしそれも一瞬、直ぐさま視線を元に戻した彼女は、険しい表情となって蹲る少女を見下ろした。そして――
「――残念だったね。交渉空しく、めでたくあんたは奴隷墜ちさ。」
「えぇっ!?」
――言い渡される方からすると、それはさながら死刑宣告と言った所か。その余りにも無慈悲で容赦の無い判決を、ただ淡々とした様子で黒豹の彼女は、希望を無くして蹲る少女へと言い渡す。
それに声を上げて反応したのは、言うまでも無く有翼族の男性だ。けれど返ってきた反応は、男性のそれだけでは無かった。
ほんの僅かではあるものの、少女の肩が僅かにピクリと上下した。よくよく目を凝らさなければ、きっと見過ごしていただろう程か細いものだったが、しかし決して気の所為では無い。
反応するだけの気力が残っていないだけで、ちゃんと聞こえては居るのだ。そして、諦めた様に見えるだけで、心の奥底で助かる事に一縷の望みも抱いている。
すぐそこに、助けの手が迫っているのだと知れば、誰しも淡い期待を抱いてしまう。地獄の底に居る様な心境のメアリーからしてみれば、さながら天上から垂らされた蜘蛛の糸と言って良い。
にも関わらず、残り滓の様な気力を振り絞って、その糸を掴む素振りさえ見せないのは、先に述べた通り――
今まで何度となく、助けを求めた。がしかし、ただの1度だって手を差し伸べられた事は無い。
身体中の水分が無くなってしまうのではないかと思う位、数え切れない程泣き喚いた。がしかし、誰1人として慰めてくれる者は居なかった。
恐怖に打ち震え、眠れぬ夜を毎夜過ごしてきた。がしかし、1度として気遣われた事は無かった。
――そんな日々を、まだ幼い少女が1人耐え忍んできた。期待するだけ無駄なのだと、心にそう刻み込まれるには、充分過ぎる仕打ちだろう。
だから彼女は、まず最初に助けを求める口を閉ざした。
だから彼女は、次に際限なく流れる涙を止めて瞳を閉ざした。
だから彼女は、最後に恐怖を植え付ける音を遮る為に耳を閉ざしたのだ。
「けど、寂しがる必要は無いよ?なんせ――」
そんな、襤褸切れみたいな精神性の彼女に向かって、ある種化物じみた精神性の彼女が、獣らしく牙を剥き出しに獰猛な笑みを浮かべ告げる――
「――あんたのお陰で、どうやら奴隷墜ちのお仲間が3人も増えるみたいだからねぇ。」
「えぇっ!?」
――まるで人を食った様な表情で、嫌みったらしいまでに態とらしく嬉々とした様子で。
そんな彼女の言葉に、声を上げて驚いたのは、やはりというか何と言うか、毎度おなじみの有翼族の男性だ。肝心の少女には、先程の様な目立った反応は現れていない。
だが――
「良かったねぇ。誰とも知れないあんたを助けに来る様な、そんなお人好しの奴等だ。きっとあんたと気が合うだろうさ。」
「ッ」
――その虚ろな瞳の奥に、微かだが確かに揺らぐのを目聡く見つけた彼女が、まるで責め立てるかの様に言葉を続ける。すると、それまで無反応だったメアリーにも変化が現れた。
眉間に僅かに皺が寄り、両膝を抱え込む手の平が、僅かに力が加わった様にも見える。明らかに気にしているのが見て取れる。
その様子を、まるで値踏みでもするかの様に、静かに見据える黒豹族の彼女。更に何か言おうと、その口を開き掛けた、ちょうどその時――
「ちょっ、ちょっと姐さん待ってくれよ!」
「あん?何だってんだい藪から棒に…」
――横から慌てた様子の男性に割って入られ、言いかけた言葉を寸での所で飲み込んだ。仕方なしに向き直った彼女は、嘆息混じりに彼に対し聞き返す。
「一体全体どういう事なんだよ!?表じゃ一体何が起こってるってのさ!!」
「どうもこうも、言葉通りの意味だっての…」
直後、捲し立てる様に説明を求めてくる男性に対し、再び嘆息した彼女が呆れ顔でそう呟いた後、面倒くさそうにしながらも説明する為口を開く。
「今、表で助けに来た冒険者と交渉している軍国のお偉いさんは、割かし話の解る奴だったみたいだけど…」
「そうなにか!?」
「ちゃんと話を聞けっての!確かに話の解る奴みたいだけど、今こっちに向かってる一団を取り仕切ってる奴が、そのお偉いさんと敵対してるらしくてね、そいつの前で下手な事をする訳にも行かないんだってさ。」
「そんな…」
「おまけに、そいつがこの子娘を買ったかも知れない奴なんだってさ。」
「な、何だって!?」
「なんであんたがそんなに驚くんだい?全く…んで、結局交渉は決裂。仮にその話が本当なら、みすみすそいつがこの娘を見逃すとも思え無いしね。だからとっとと逃げりゃ良いのに、表の奴等も退く気が無いらしくてね。いくらか腕に自信がある様だけど…」
「じゃぁまだ勝ちの目もあるって事か!?」
「だから変に期待すんじゃ無いよ、この抜け作!いくら腕に自信があるったって、多勢に無勢も良い所だよ。」
「うっ…」
「それに、交渉していた軍国のお偉いさんってのは、鬼シマズの異名を持つシマズ将軍だよ?」
「マ、マジかよ!?」
「あんたみたいな素人でも知ってる様な、有名な異世界人だ。助けに来たって冒険者の方には、かなり高位の術者が居るみたいだけど、多勢に無勢の上そんなのが相手となれば、旗色は悪いだろうね。」
「そ、そうか…」
面倒くさそうにしながらも、律儀に説明していく彼女の言葉に、面白いまでに一喜一憂の反応を見せる有翼族の男性。しかしそれも前半の方だけで、状況がかなり厳しいと解ると、最後落胆した様子で落ち込んでしまう。
「…待てよ?」ガバッ!!
「な、なんだい?」
しかし一旦間を空けた後、何やら閃いたのか突然顔を上げると、食い入る様に黒豹族の女性を見つめ出す男性。その勢いに、さしもの彼女も気圧されたのか、上体を反らして距離を取りつつ聞き返す。
「多勢に無勢だってんなら、そこに俺と姐さんが加わるってのはどうだ!?」
「なんだい?軍国側に付いて、奴等にすり寄ろうって考えかい?」
「なっ!?んな訳ねぇ~って、逆だよ逆!!」
その直後、さも良いアイデアだと言いたげな、今までになく明るい表情で、思い付きをそのまま口に出し始める男性。それを看破したらしい彼女が、呆れながらに冷やかしの言葉を口にする。
それを慌てて訂正する辺り、どうにも間抜けに見えたらしく、思わず鼻で笑う彼女。それにめげる事無く、尚も彼の提案は続く。
「枷をあっさり解錠出来た位なんだし、この牢屋の錠前だって姐さんなら解錠出来るんだろう?」
「まぁね。」
「なら話は簡単だ!この牢屋から早く出て、俺達も助けに来てくれた冒険者達に加勢しようぜ!?ここから出さえすれば、俺だって魔術が使える様になるから役に立てる…ぜ?」
彼が言葉を続ける毎に、その語り口調にどんどん力が入っていくのが、手に取る様に伝わって来る。だが逆に、彼が言葉を続ければ続ける程に、さながら奪われていくかの如く、彼女から熱が引いていった。
「あ、あれ…?」
それまで、勢いのまま熱く語っていた彼だったが、流石に氷の様に冷たい彼女の態度が伝わったらしい。当初こそ熱弁を振るっていたが、今はもう見る影も無い。
そんな彼に対し、深いため息を吐いた黒豹族の彼女が、ぽつりと一言――
「――どうして立ち向かう事前提で話してんだい?」




