間章・彼女達の戦場2(2)
――ガンッ!
「ッ!?」
ちょうどその時、御者台側から甲高い音が響き渡る。その瞬間、身体を竦めつつ彼がそちらを見やると、どうやら手綱を握っていない方の男が、鞘に納めたままの剣で檻を殴ったらしい事が解った。
「その女の言う通りだ。おまえ等に逃げ場なんてねぇんだよ。」
「な、なんでだよ?」
檻を殴ったその男は、先程まであれだけ狼狽えていたと言うのに、今は意味深な笑みを浮かべ余裕の表情を見せ、何故かそうはっきりと断言する。まだバージナルまで距離が在るのに、何時追っ手に追い着かれても、可笑しくないこの状況でだ。
その言葉に疑問を感じた有翼族の彼が、恐る恐る男に対しそう問い掛ける。黒豹族の彼女も、男の言い分が気になったのか、薄く目を開けて視線をそちらへと向ける。
直後、男が口角を吊り上げニヤリと笑うと同時、彼女の耳が一瞬大きくピクリと跳ねた。すると突然、忌々しそうな表情に成って舌打ちする。
「見ろ!あの土煙を!!」
「ッ!?」
そんな彼女の様子を知ってか知らずか、御者台に座る男が勝ち誇った表情で、行く手に遠く見えるバージナルを指差し告げる。その指差す先を視線で追って、有翼種の彼が愕然とした表情に成る。
彼が目を向けた先、遠くバージナルの見える方角には、男が得意げに宣言した通り土煙が上がっているのが見える。その意味成す所は――
「――バージナルからの救援だ!ハッハァーッ!!」
「そ、そんな…」
目にした光景と男の言葉を、檻の中でただ受け入れる他無い彼は、呆然とした様子でそう吐き出すほか無かった。男の言葉通り、あの土煙の正体がバージナルからの救援ならば、救助の対象は――
「これで後ろの奴等は、おめおめと尻尾を巻いて逃げる他無くなったって言う訳だ!!」
――この馬車に乗る、檻に入れられて居る自分達以外の乗組員に他ならない。それが解るからこその、彼のその反応なのだ。
今更ながらこの3人の男達は、世界中に拠点を持つ非合法組織の人間で、言ってしまえば犯罪者だ。この者達は下っ端だが、幹部の者なら懸賞金も相当額掛けられているし、アジトが見つかればギルドは勿論、国の騎士団さえも動く程に厄介な連中だ。
しかし、バージナルに限って言えば、例え世界の転覆を目論む秘密結社だろうと、そんな事は関係ない。人種人族で在るならばだ。
犯罪者だろうと何だろうと、『亜人』と言う商品を運び『亜人』達から追われている人族を優先的に助ける。それが、他種族達が見捨てたこの大陸で、今尚踏み止まって自分達の領地を守り続ける、軍国バージナルと言う国なのだ。
怨嗟の様な国礎を掲げ、国民達がそれを盲目的に守り続けている。限られた人族にとってのユートピアにして、それ以外の種族にとってのディストピア。
そんな国から派兵がされたと成れば、男が勝ち誇った様子で言った通り、馬車を追ってここまで来た者達も間もなく諦めるだろう。彼等が例え正義の徒だとしても、人族で無いと言うだけで裁かれる側になるのだから。
ミイラになると解っていて、ミイラ取りに赴く者など居ない。致し方ない事だと、土煙を目にした瞬間、彼もすぐに理解し諦めた。
が、割と期待が大きかった反面、それが打ち砕かれてしまい、今にも膝から崩れ落ちそうだ。それでも必死に持ちこたえ、憂いを帯びた眼差しでメアリーを見つめる。
今のやり取りも何もかも、『聞き入れたく無い』のだろう。相変わらずの恰好で、自分の殻に閉じこもったままだった。
痛々しい姿を見せるメアリーに対し、あからさまに落胆した様子で肩を落とし、深いため息を吐く有翼族の男性。その姿からは、せめてこの子だけでもと言う思いが伝わってくる。
そんな彼の様子を、ずっと薄目を開けて見ていた黒豹族の女性が、呆れた様な表情でため息を吐く。そして徐に、それまで寝そべっていた身体を起こしたかと思うと、鉄の床の上であぐらをかき背伸びする。
ちょうどその時だった――
「――おい!何余裕かましてやがるんだ!!奴等仕掛けてくるぞ!!」
「「ッ!」」
それまで後方を見張っていた男が、焦った様子で御者台の男達に向けそう叫ぶ。仲間の男達がその声に反応するよりも早く、悲壮感に包まれていた彼と、何やら行動を起こそうとしていた彼女が、驚いた表情で馬車の後方に顔を向けた。
「な、なにっ!?」
「馬鹿なっ!!」
遅れて御者台の2人も、驚いた様子で返事を返した。この状況下で、この馬車に迫る者達が予想外の行動をしようとしているのだから、彼等が驚くのも当然だろう。
まさか、前方の土煙が見えていない?いやまさか、はっきり見えているんだし、そんな筈も無いだろう。
ならば後方から迫る者達は、ミイラになる危険を冒して、わざわざミイラ取りを行おうというのか?下手をすれば、この世界に置ける5大大国の1つと、事を構えるかも知れないというのに?
答えはまさかのその通りだ。有翼族の男性も黒豹族の女性も、あの時確かに耳にした筈だ。
あの夜中のミッドガル港で、彼女の心に決めた覚悟の言葉を――
………
……
…
――ドドドッ!ドドドッ!ドドドッ!!
遮る物が何も無い赤茶けた荒野の大地に、地響きが遠くに向かって鳴り響いている。その間断の無い低く重苦しい馬の蹄の音は、さながら重機関銃か何かの様だ。
土煙を上げ全力疾走で疾走する馬が、都合4頭も居るのだから、さもありなんと言った所だろう。実の所、先程まではもっと居たのだが、乗っていた柄の悪い男達と共に次々リタイアしていった。
なので今は、先行して疾走する2頭牽きの馬車と、遅れてその後を追う彼女達の馬のみだ。
片方の馬には、自身の身の丈程在りそうな巨大な戦斧を、軽々と片手に構えたビキニアーマー姿の女戦士、銀等級女傑リンダ。彼女は空いた方の手で馬の手綱を握りしめ、身を乗り出す様にして1人馬に跨がっている。
そしてもう片方の馬を駆るのは、外の世界に憧れてエルフの里を飛び出した、駆け出し冒険者のジョン。そしてその彼の背中に、自身の豊満な胸を押しつけ馬の手綱を握りしめる金等級冒険者、白銀の魔女シフォンだ。
「大将!残るは本命のみさね!!」
少し先を走るリンダが、横目でチラリとシフォン達の駆る馬に目をやり叫ぶ。武器を片手に獰猛な笑みを浮かべ、巧みに馬を駆るその姿は、立派なギャング――もとい、西部劇の保安官の様だ。
「解っていますわよリンダ!ジョンさんも、ここが正念場ですわ。心して掛かりますわよ!!」
「応!!」
「は、はい!」
リンダの言葉を受けて、最年長にして最高位冒険者のシフォンが、2人に対し檄を飛ばす。その貫禄たるは、小柄な彼女が倍位に見える程だ。
それはさておき、檄を飛ばした直後にシフォンは、足で馬の腹を叩き手綱をしならせる。瞬間、それに応えようと馬の速度が僅かに上がる。
それに続く様に、リンダの駆る馬も速度を速めた。しかし元より全力疾走だったので、思った以上に速度が伸びない。
「大将!テイルウィンドが切れてやしないかい!?」
そんな状態が暫く続き、もう痺れを切らしたらしいリンダが、シフォンに向かって声を張り上げ確認する。加速を初めてまだ3分と経っていないというのに、堪え性が無いにも程がある。
まぁしかし、その気持ちも解らなくは無い。なにせダリア大陸からずっと追い続けた相手が、あと少しで手の届く範囲に居ると言うのに、その差がなかなか縮まらないのだから。
「しっかり発動させてますわよ。恐らく向こうも、何かしら補助具を使っているんですわ。」
痺れを切らした彼女の問い掛けに、すかさず落ち着いた声音でシフォンがそう返した。まるで対照的に見えるが、努めて冷静に振る舞っているだけで、腹の内は実の所リンダと一緒だ。
その証拠に彼女は、先を征く馬車を眉間に深い皺を無数に刻んで睨み付けているし、手綱を握る力も増した様子だ。もどかしくて仕方無いと言う気持ちが、内からにじみ出ているのが、簡単に見て取れる。
それを察したのだろう、リンダもそれ以上何か言うでも無く視線を戻すと、歯がゆそうに先を征く馬車を睨んだ。先を征く馬車との距離は、約10mと言った所か。
この距離ならば、余裕でシフォンの魔術が届く。銀翼の魔女の異名を持つ彼女だ、馬車を走行不能にするなんて簡単だろう。
しかしそれは、人的被害を一切考慮しなければの話だ。馬車の速度がかなり出てしまっている状況で、車輪1つだけ壊したり動かなくしただけで、大惨事になりかねない。
保護対象があの中に居る以上、馬車自体を攻めるのは難しい。御者だけを狙うにしても、後方からではやはり馬車が邪魔だ。
ならば飛翔魔術で上空から業者を狙うという手もあるが、それもやはり現実的では無い。幾ら飛べても、馬程の速度が出る訳では無いので、あっという間に引き離されるのが目に見えているからだ。
瞬間移動の類いを使って、馬車に飛び移るのはどうか?無論彼女は、空間湾曲系も光速移動系も会得しているが、これもやはり難しい。
空間湾曲系は、基本的に転移先の明確な情報が必要になってくるし、1から術を構築するとなったら時間も掛かる。光速移動系は、動体を対象に移動するのは危険極まりないし、よしんば成功したとしても、シフォンが魔術抜きで馬車を制圧するのは難しい。
可能性があるとすれば、馬車を追い越す形で移動して、迎え撃つ形で業者を魔術で攻撃するだろうか。しかしそれも、シフォンの光速移動での最長移動距離と、前を走る馬車の速度を考えると、チャンスは良くて一瞬だ。
そんな不確かな、ほんの一瞬のチャンスに賭ける位なら、地道に追い上げリンダに任せた方が確実だ。少しづつでは在るが、しかし確実に馬車との距離が詰まってきている。
荷馬車を牽かせると人を乗せるでは、やはり後者の方が幾分有利と言う訳だろう。気が付けば、目算で7mにまで距離が縮まった。
「…もう少しさね!」
はやる気持ちを隠そうともせず、リンダが口に出してそう呟く。早く速くという気持ちが籠もったその言葉は、言霊となって天に通じたのか、次の瞬間6mに迄縮まった。
「も、もう少し!」
「あと少しですわ!!」
その様子を、少し後方から熱い視線で見守る2人も、正に手に汗握ると言った面持ちだ。そしてもう間もなく、リンダの駆る馬と馬車の距離が5mを切ろうとした瞬間、突然ジョンがギョッとした表情を浮かべる。
「シ、シフォンさん!リンダさん!!前を見て下さい!!」
「「ッ!!」」
直後に彼は、遠く軍国の街並みが見える方を指差し叫ぶ。彼の声に反応した彼女達が、直ぐさま視線をそちらへ向けると、2人の表情が僅かに強張った。
馬車が向かう街並みの手前に、うっすら土煙が登っているのを確認出来たからだ。それの意味する所が、解らない2人では無い。
あと少し――もう少しで、確実に手が届くというのに、もう間もなく余計な横やりが来るらしい。それが来てしまったのなら今の立場が逆転し、次追われる身は彼女達だ。
ここが引き返す分水嶺だ。見誤れば、身を滅ぼしかねない。
ここまで来て、何の成果も無く骨折り損も良い所だが、自分達の身の安全には変えられない。囚われの者達には、余計な希望を見せてしまったが、ここで彼女達が逃げ出しても、きっと仕方無いと解ってくれるだろう。
彼女達は十分に頑張った。誰に頼まれた訳でも無く、見ず知らずの異世界人の為に、こうして危険を顧みず、ダリア大陸からルアナ大陸まで渡ってきたのだ。
と、この状況であっさり折れる者であれば、この程度の言い訳いくらでも思い付き、自分を正当化して引き返しただろう。だが――
「大将!!」
「えぇ!!」
――彼女達が、この程度で折れる様な心だったならば、最初からこんな所まで追っ手など来やしない。2人の瞳は、この状況下に在って尚、強い意志が炎の様に灯っている。
彼女達の胸の内にも、優姫と同じ折れぬ一刀が存在しているに違いない。逆境に立つ毎に、研ぎ澄まされて鋭さを増していくそんな刃が。