間章・彼女達の戦場(5)
当時、エイミーは既にノルンと言う、地の上位精霊と契約を結んでいた。当時はまだよく解っていなかったから、複数の精霊とは契約出来ないなんて、そんな初歩的な事も知らなかった。
ただ単に、エイミーと行動を共にしていて、彼女に惹かれて自分も将来力を付けたら、彼女と契約を結びたい。エイミー以外に、自分が仕えるべき精霊使いは居ないとそう感じたから、自分もいずれ契約を結びたいのだと申し出た。
その時エイミーは、勿論複数の契約は出来ない事を知っていたけれど、幼いアクアがまだその事を知らない事を察し、幼心を傷付けたくないと言う想いと、いずれ気が付くだろうという考えから、困ったような笑顔を浮かべながら承諾したのだった。
それから暫くして、ノルンが戦死する事になるが、エイミーが彼女の前に姿を現す事は無く、彼女もそれを不思議に思う事は無かった。その頃には、個人契約という物が自分達にとって、どんなに神聖な物かを、正しく理解していたからだ。
むしろ、エイミーの契約精霊が居なくなったと知った際に、『エイミーが自分を迎えに来てくれるのでは――』等と、一瞬でも不謹慎な事を考えてしまった自分を恥じた。
個人契約を結ぶという事は、それこそ生涯を共にする者同士に成るという事だ。本来、互いに替えなど効かぬ者同士の間に、取り交わされるべき契約なのだ。
互いに合意の上でならまだしも、契約相手が居なくなったから次をすぐに見つけて契約する等、恥知らずと罵られても仕方の無い行為なのである。そして少なくとも、彼女が惹かれたエイミーは、決して恥知らずでは無かっただけの事。
それからおよそ千年、下位精霊が上位精霊になるには十分だったし、喪に服すにしても充分過ぎる時間が経っただろう。その間にも様々な事があって、エイミーが冒険者稼業を休業している事も、アクアはちゃんと知っていた。
それも仕方ないと思ったし、冒険者を休業しているのなら、個人契約なども必要無い。約束もきっと覚えられていないだろうと、そんな風にアクアは諦めていた。
そんな折りに、新たな精霊王誕生の報せと、その精霊王がウィンディーネの元に訪ねてくる事。そしてその同行者が、彼女の惹かれた相手であるエイミーである事と、その2人が個人契約を結んでいる事を伝え聞いた。
最初は、何故また自分じゃ無いのかという気持ちに駆られたけれど、それ以上に再びエイミーに会えるという気持ちが勝っていた。だから、新たな精霊王が、ウィンディーネの試練を受けると聞いて、その役目を買って出たのだ。
勿論、一般の精霊使いに出す試練とは訳が違い、クロノスが邪神との決戦に備えて、イリナスに召喚させたのだ。他の精霊王達が守護する地を巡る道程で、何が起きても対処出来るよう――最悪の場合、新たな精霊王を身を挺してでも、守れなければと言われて、取り合って貰えなかったが。
それでも食い下がったアクアに、カーラ達も驚いたのだろう。結局、個人契約を済ませたエイミーに、当時の事――特に個人契約の口約束の事を、蒸し返すと困らせるからと言う理由で、エイミーと初対面である風を装えと厳命されたが、優姫達の旅に同行する事を認めて貰えたのだった。
そう言った経緯があったからこそなのだが、実を言うとアクアは、エイミーの契約者でもある優姫に対して、当初はささやかな対抗心を燃やしていた。だからこそ、厳しい目で優姫を見定めようと思っていた。
意地でも認める物かという気こそ無かった物の、エイミーの契約者に相応しくない様なら、決して認めてやる物かという気概はあった。けれど、そんな気概もたった1日で心変わりしてしまう様な出来事が起きる。
他でも無い、優姫とガイアースの1戦だ。
ガイアースと面識の無いアクアだったが、地の精霊達の内情は有名だった。どうにかしたくとも、かの王は他の精霊王達の話にも、耳を貸さずに長い間孤立していた。
何より、アクアにとって地の精霊は、エイミーが最初に個人契約を交わしていたと言う事も在るし、何より盗み聞きする形になってしまったけれど、優姫とエイミーが前日に話していた内容を彼女も耳にして、ガイアースに対して憤りさえ感じていた。
けれど彼女は、それを表に出して表現する事が出来無かった。にも関わらず、新たに誕生した精霊王とは言え、中位程度の魔力しか持たない優姫が堂々と異を唱え、勝ち目が無いと解っていながらガイアースに、挑んで行く姿を目の当たりにしたのだ。
優姫を認めない訳にはいかなかったし、同時に彼女がエイミーのパートナーで、本当に良かったとさえ思ってしまったのだ。勝手に対抗意識を燃やしておいて、たった1日で敗北を認めてしまったのである。
「…戦意が無いのであれば、足手まといにさえなりません。何時までも立ち尽くしていないで、早く母上の元にお戻りなさい。」
冷たく言い放つ長姉に対し、アクアは大粒の涙を瞳に堪えて、ギュッと拳を握りしめる。同時に、カーラの言う通りだと胸の内で独白する。
ウィンディーネ達には、もしも優姫に力を渡しても、そのまま彼女達の旅に同行したいと――それだけの覚悟があると、そう告げてやって来ていた。その気持ちに嘘は無く、例えエイミーと個人契約出来なくとも――当時の思い出話さえ出来無いとしても、それでも彼女の役に立ちたいのだと。
その気持ちが伝わったからこそ、ウィンディーネ達もそれを了承し、アクアを送り出してくれたのだ。だと言うのに、ガイアースに立ち向かう優姫の姿を見て、敵わないと思ってしまったのだ。
2人の側に、果たして自分は必要なのかと、そう考えてしまった。旅立つ際に抱いた気持ちに嘘は無いし、エイミーの役に立ちたいと思う気持ちも、確かにあるのだけれど――
「そんな中途半端な気持ちで、戦場に立たれては迷惑です…今すぐ妾の前から消えなさい。」
――今の彼女は、その気持ちを整理しきれずに、勢いの惰性という我が儘任せに、彼女達に着いて来てしまった。その事を、瞬時に見透かしたカーラが、冷たい口調でアクアを突き放す。
彼女は、カーラの言葉に反論出来ずに、ただ肩を震わせて押し黙るほか無かった。そんな彼女を前に、カーラは疲れたようなため息を漏らした後、何かに気が付き視線を妹から彷徨わせる。
「…上位種。妾の力に反応して向かってきましたか。ククリの方に行かずにこちらに来るなんて、なかなかに見所がありますわね。」
遠く、手下を従えてやって来る一団を睨み付け、不機嫌そうに鼻を鳴らしながらカーラは告げる。そして、今尚俯くアクアを一瞥した後、再びため息を吐いてから、飛来する蟲人達に向き直った。
「…いつまでそうしているつもりですかマリー?いい加減、目障りですわよ。」
飛来する敵を迎え撃つ為、移動を開始したカーラは、アクアの横を通り過ぎる際に、とどめと言わんばかりに冷たく告げる。しかし、彼女が期待する反応はやはり返ってこずに、三度ため息を吐いた。
一瞬間を置き、ただ黙って動けずに居る彼女が、このままでは良い的になってしまう事を恐れ、その周囲に結界を張って、彼女から離れて闘おうとようやくカーラが踏ん切りを付けた、その時――
「…御姉様。」
静かに呼ばれて、カーラはアクアの背中を注視する。
「御姉様の言う通りです。私、あんなに威勢の良い事を言って出てきたのに、なんで今ここに立っているのか、解らないんです。私なんて居なくても、2人は凄い強いし…姫華ちゃんだって…」
「…迷いがあるのならば、母上の元に戻りなさい。母上も貴女の事を心配して…」
「それでも――」
独り言でも呟くように、俯いたまま背中越しに語り出したアクア。その反応に、どこかガッカリした様子で、諭すように語りかけるカーラだったが、その言葉を遮るようにして、再び彼女が口を開く。
「優姫さんが言うんですよ。それでも――それでも――って。勝ち目が無くても、何の得が無くっても…」
それは、昨日のガイアースとの戦いでの一幕だ。
「偽善と蔑まれても、綺麗事だと馬鹿にされても、綺麗事の何がいけないんだって…それでも自分の気持ちに正直に居たいんだって。それ聞いて私、絶対に敵わないなって、そんな風に思っちゃいました。」
そう語って振り返ったアクアは、瞳から滴を溢しながら自嘲気味に苦笑する。
「御姉様にハッキリ言われて、自分は本当に駄目だなって――みんなの足を引っ張りたくないから、ママの所に戻ろうって。そうするべきなんだって考えれば考えるほど、昨日の光景が過るんです。それでも、それでも――って。」
「…ならば貴女は、一体どうしたいのですか?」
「自分の気持ちに素直でいたいです!!」
尚も語るアクアに対し、カーラは真剣な表情で見つめて静かに問い掛けると、ハッキリとした口調で、直ぐさま返答してきた。先程まで散々問い掛けても、うんともすんとも言わなかったのに、しかしようやく期待していた答えが返ってきたからか、カーラは何処か嬉しそうに苦笑する。
「エイミーさんの――エイミーの役に立ちたいって、そう思った気持ちに嘘は無いんです!例え我が儘だとしても、もっとみんなの側に居たいって、そう思ったんです!!だから――」
そこで一旦言葉を区切ると、一瞬言葉に詰まって言い淀む。しかしすぐに意を決して、カーラを睨むように力強く見据えて、実に彼女らしい言葉を口にする。
「――足手纏いのままでも良いですか!?」
恥ずかしげも無く、そんな事を大声で叫ぶアクアに、しかしカーラは真っ直ぐとその言葉を受け止めて、怒るでも呆れるでも蔑むでも無く、ようやくかといった雰囲気でため息を吐いた。
「…そんな事、元より百も承知の上で妾がこうしてきているのですよ。」
「御姉様…」
「2度と泣き言は聞きませんからね、マリン。これは貴女が選んだ道なのですから。」
「は、はい!」
不機嫌そうにそう言いながら、アクアに向けていた視線を前へと戻すと、カーラはそのまま蟲人達に向かって飛び立つ。それを一瞬きょとんとした表情で見送った後、ハッと我に返ったアクアが、慌ててその後を追って飛び立った。
「それと…」
「は、はい?」
「2度と自分の事を『なんて』等と、蔑んだ言い方をしない様に。聞いていて、いい気なんてしませんからね。」
「ご、ごめんなさい御姉様…」
「解れば良いのですよ。ではアレを迎え撃ちますわよ?」
「はい!頑張ります!!」
そう告げて、飛ぶ速度を上げるカーラに対し、アクアも元気よく返事を返して、その後に続いていく。そして――
「調子が出てきたようですわね?なら頑張って上位の蟲人の相手をお願いしますわね。」
「はッ…い?え、あの御姉様?下位の蟲人相手に、全然ダメダメだった私が、上位種の相手を…ですか?」
――事も無げにそう告げられて、勢い余って一瞬頷き掛けたアクアだったが、その言葉の意味する事を理解したのか、恐る恐る隣を飛ぶ長姉に聞き返す。
すると、目が一切笑っていない冷笑を向けられて、寒さに耐性が在る筈なのに、悪寒に背筋が一気に凍り付いた。
「調子を取り戻したのは結構な事ですが、妾の手をここまで煩わせたのです。その仕置きを受けるのは当然の事でしょう?」
「ふぁっ!?」
それが至極当然と、有無を言わせない雰囲気でそう言われて、一瞬アクアの身体が宙を飛ぶ姿勢のまま、その場に縫い付けられたかのように硬直する。それを置き去りにして、飛び去ったカーラの背後から、一旦間を置いた後に――
「ア、アババアアアァァァーーーッ!!」
――なんとも奇妙なアクアの悲鳴が、辺り一帯に響き渡る。それを耳にしたカーラが、可笑しそうに微笑んだのだった。




