間章・そして集った者達(7)
………
……
…
――同時刻、風の谷外縁・風の壁の向こう側…
意思を持った荒れ狂う風が、行く手を阻んで立ち塞がるその地点に、フード付きのマントを身に付けた2人組が立っていた。片方は、フードを目深に被った大柄な人物で、背には立派な槍を背負っている。
そしてその隣に並び立つのは、腰に刀を差したとても小柄な人物だった。隣の大柄な人物と比較すると、その背の低さがより一層際立ち、見る者からすればその身長差は、巨人と小人と言っても差し支えないだろう。
その2人こそ、この世界で14名しか存在しない白金等級の冒険者にして、女神教が定めた7人の守護者の内の2人、『希望のスメラギ』と『正義のユズリハ』だった。彼女達は、つい1時間程前まで、この風の谷からほど近い港町クローウェルズにて、ライン大陸に渡る為の準備をしていた。
そこで風の谷の異変に気が付き、こうして駆けつけたのだが、彼女達は驚く事に、馬を使わずにここまで自分達の足で駆けつけたのである。いくらクローウェルズからここまで程近いとは言え、乗合馬車で3時間は掛かる。
早馬に単身で乗っても1時間と少しは優に掛かる距離を、彼女達は1時間切るタイムで走破しただけでなく、息一つ乱した様子所か着衣の乱れさえなかった。背の低い彼女――『希望のスメラギ』は、聳える風の壁を見上げる様にして、目深に被ったフードを取る。
フードの下から現れたのは、年の頃14~5と言った、あどけなささえ残る幼い顔立ちだった。そして、その額には汗一つかいた形跡さえなかった。
そんな幼い顔立ちの彼女が、風の壁を見上げながら、その顔に似つかわしくない獰猛な笑みを浮かべる。
「…この気配から察するに、どうやらあちら側は、うじゃうじゃと蟲共がひしめきあっておる様子じゃ。蟲以外の巨大な気配も幾つか居る様子じゃし。」
そう言いながら、肩を上下させて愉快そうに嗤う姿は、幼い容姿の人物がするには余りにも不釣り合いだった。一周回って、不気味とさえ言って良いだろう。
そんな事、気にした素振りもなく彼女は続ける。
「喜べ譲羽よ。儂等の分の得物は、まだまだ残っておるようじゃぞ。何、『趣味が悪い』じゃと?余計なお世話じゃ。」
話を振った譲羽に、呆れた様子でため息を吐かれながら、手話でそう切って捨てられて、皇は拗ねた様に鼻を鳴らし、そっぽを向いて呟いた。そう言った仕草の方が容姿相応なのだが、言った所で仕方の無い事だろう。
「…しかし、風の精霊王殿はお優しいのぉ。こんな物を張って、周囲に邪蟲共が拡散するのを防いだつもりか。自身の力が大幅に削がれると解っていて、その様な事をするとはのぉ。精霊王程の存在でもなければ、ただの自殺志願者にしか思えんわ。」
再び皇が、風の壁に視線を向けてそう呟くと、譲羽が手話で『お気に召しませんか』と問い掛けてくる。
「別にそういう訳では無いよ。ただ純粋に、随分とお優しいなと思っただけよ。」
譲羽の問いに、苦笑を漏らしながらそう答える。シルフィードと彼女達は、互いに世界の守護者という立場でありながら、今まで一切の面識が無かった。
しかし、事精霊王に関して言えば、その存在は神代の頃より生きる、いわば生きた伝説の様な存在だ。寝物語の題材にだってされてきたし、吟遊詩人の詩にだって多く出てくる。
その物語に出てくる頃の風の精霊王は、邪神に深い恨みを持っていて、大地の精霊王と共に一騎当千の活躍をしたというのが一般的で、勇猛果敢な姿が描かれていた。その時代から優に数千年は経っているし、一時期は蔑まれたりもしたのだが、神代戦争時代の英雄譚しか知らない者からすれば、その反応も無理からぬ事だろう。
「まぁ、ともあれ向かうとしようかのぉ…うん?」
――ドドドドドド…
そう言って、徐に動こうとした瞬間、遠くから馬の蹄の音が幾つも鳴り響いてくる。彼女達は一応警戒しながら振り返り、自分達も通ってきた森の方へと視線を向ける。
音はどんどんと大きくなっていき、それに併せて段々と振動も伝わってくる。その事から考えても、こちらに向かってきている数は、少なくとも10は軽く超える数だろう。
程なくして、森の中から馬に乗った者達が勢いよく飛び出してくる。その数は34名で、彼等は森を抜け出すと、2人の側まで来た所で次々と馬を止めていく。
「どう!どうどうどう!!」
「なんじゃおぬし等、意外と早かったではないか。」
「貴女方が早過ぎるんですよ!一体どんな脚力をしているんですか…」
一番最初に、森から飛び出した馬に乗った鎧を身につけた男が、馬を引いて落ち着かせてから飛び降りながら、皇の言葉にムッとした表情で返した。
「そんな事言われてものぉ。儂等からしてみたらこの程度、準備運動でしか無いからのぉ~」
「この距離を、息一つ乱さずに全力疾走出来無ければ、白金等級には成れないと言うのであれば、我々全員一生金銀等級のままでしょうね。」
「なんじゃ。やけに絡むではないか。確か…ラッツォとか言ったか?」
ラッツォと呼ばれたその男は、皇の言葉に不機嫌そうに応えつつ、全力で走り続けた所為で息が絶え絶えになっている馬を労う。彼は、クローウェルズのギルドに所属する、金等級の冒険者だ。
各街の冒険者ギルドには、街の大きさやギルドの規模によって多少違うが、ギルドお抱えの冒険者と言うのが何名か在籍している。流れの冒険者達が集まる様な場所だけに、性質上何かといざこざが絶えないのも、冒険者ギルドという場所なのだ。
そう言った冒険者間のトラブルの仲裁をしたり、兵士が常駐していない様な、小さな村から依頼されて、長期契約で自警団の真似事をしたりだとか、根無し草が多い冒険者稼業からすると、少し毛色の違う者達が居る。有事の際には、冒険者達を率いたりもするので、半分ギルド職員の様な扱いを受ける為、報酬や優遇面でも成りたがる者は多い。
しかし、仕事の内容が内容だけに、腕っ節は当然として、信頼と実績を積んだ銀等級以上の実力者でなければ成れない。ラッツォと呼ばれた彼も、クローウェルズギルドのお抱え冒険者を長年勤め、今では筆頭として活躍する実力者だ。
当然、今回の異変をいち早く察知して、緊急の依頼を作成。冒険者を広く募り、風の谷に向かう準備をしていたのが、つい1時間程前の事だ。
そんなタイミングで、白金等級にして女神教の定める守護者が、2人もクローウェルズに滞在していると知れば、戦列に加わって貰える様に打診するのは当然の流れだろう。かくしてラッツォは、2人に接触を図った訳なのだが…
『協力はする。が、協調はせぬ。おぬし等の準備を儂等は待つ気は無い。着いてくる分には構わぬが、付いて来れぬならば置いてゆくだけじゃ。』
そう一蹴されて、彼女達は先行してしまったのだ。そんな事を、見た目幼女に言われたままでは、金等級としてのプライドも傷付くというものだ。
かくして彼は、すぐに動ける者の中でも実力に申し分の無い者だけを馬に乗せ、彼女達の後を追う事にしたのだった。時間が無かったというのに、34名も連れてこれたのは、クローウェルズがダリア大陸でも、最も大きな海洋拠点だったお陰だろう。
「まぁ、何にせよじゃ。ここまで来たのであれば、精々役に立つ事じゃな…」
そんなラッツォの頑張りを、労うどころか更に挑発するような事を告げて、彼女達は今し方着いた冒険者達に背を向ける。既に彼等に対する興味を失ったのか、準備を待つ素振りさえ見せなかった。
「なっ!?待てください!何処に行こうというのだ!?こちらの準備待てば、精霊使いに…」
「だぁ~から!そんな事を言っておるから、協調は出来ぬと言っておるのじゃ、戯けめ!!付いて来れぬのならば置いて行くと言ったじゃろうが。」
止めに動こうとしたラッツォを一喝して制止させ、怯んだ姿を見てつまらなさそうに鼻を鳴らす。そして再び歩を進め、風の壁の目の前で立ち止まる。
一連のやりとりがあったのだ、ただでさえ彼女達に視線が集まっていた。どうせ無理だろうと、高を括っている者達の視線や、これから何が起こるのかという好奇の視線、忌々しそうな視線はラッツォか。
様々な視線を一身に受けて、しかし全く意に介した様子はない。そして彼女は、口の端をつり上げて獰猛に嗤う。
「見せ場じゃぞ、譲羽。」
その一言に、隣に立つ譲羽が反応する。目深に被ったフードをマントごと脱ぎ捨てて、その姿を衆人の前へと晒す。
その顔立ちはとても凜々しく精悍で、長い艶のある黒髪は三つ編みにされ、それが彼女の身に纏った純白の装束に巻き付くように身体を巡らされていた。そしてその髪の先端には、鉄製の輪が結びつけられており、それが装束にも結びつかれていて固定されて動かない様になっていた。
マントを脱ぎ捨てると同時、譲羽は腰を落として重心を下げ、背に負っていた槍を掴んで構える。すり足で左足を前に出し、風の壁に対して半身となり、その身を限界までねじり狙いを定める。
「…ッ!!」ボッ!!
タイミングを見計らい、限界まで引き絞られた弦から放たれた矢の如く、全てを貫かんとする槍は空気の壁を軽々と貫き、音速を超えて風の壁へと吸い込まれていく。そしてその瞬間周りの者達は、あれだけ荒れ狂っていた風の壁に穴が開き、向こう側の景色を確かに目撃した。
――…ヒュボゥンッ!!
「「うわあぁ!?」」
それもほんの一瞬の事で、次の瞬間には彼女が抉った分の風が、剛風となって彼等の身体をさらおうと暴れ出す。それにあらがって目をつぶり踏んばったのは、ほんのまばたき程度の時間だっただろう、風が収まり目を開けた時には、既に2人の姿がその場には無かった。
あれだけ荒れ狂っていた風の壁に、穴を空けただけでも凄い事だが、開いた穴はそこまでの大きさはなく、人1人が身を屈めて通れるかどうかの大きさの物だった。それもまばたき程度の僅かな時間で、その刹那の瞬間に彼女達は、その穴を潜って向こう側に向かったのだと、その場に居た全員が確信していた。
何故なら、風の壁に穴を空けた譲羽が、スキルや魔術の類いを一切使わずに、己の肉体と技のみでアレを成し遂げたのを目の当たりにしたからだ。自然の猛威に身体能力のみ勝るなど、馬鹿げた話の様にも思えるのだが、実際に目の当たりにしたのだから疑いの余地はない。
「す、すげぇ…」
「あれが、白金等級…」
ただただ呆然と、目にした出来事を咀嚼するしかない者達は、譫言の様に呟く。そしてラッツォも同じ様に、信じがたい現実を目の当たりにして呆けていたのだが、周囲の者達の譫言を耳にしてハッと我に返った。
「何を呆けている!!我々がここに来た理由を忘れたのか!?」
その檄に、周囲の者達が我に返り、慌てた様子で作業を再開していく。
「風の精霊使いは風の精霊を召喚して、我々が通れる道を作らせろ!そして然るべき後、道を閉ざして後続の部隊と合流せよ!!他の者達は3~4人でパーティーを組むのだ!」
各所に的確な指示を出しつつ、自身も装備の検めを始める辺りは、流石の金等級と言った所だろう。
「良いかおまえ達!!白金等級だか守護者だか知らんが、あんな小娘共に虚仮にされたまま、街に帰ってうまい酒が飲めると思うなよ!!奴等に冒険者の意地を見せ付けるぞぉー!!」
「「おおー!!」」
準備を終えて、隊列を組んだ冒険者達を前に、そう言って士気を高めるため鼓舞するラッツォと、それに呼応する様に、各々手にした武器を掲げて、雄叫びを上げる冒険者達だった。
一方、風の壁の向こう側に向かった2人はと言えば…
『おおー…』
「…うるさいのぉ~少なくとも儂は、あの坊主よりも年上じゃと思うんじゃがな。」
風の壁を挟んだ向こう側から聞こえてくる、くぐもった雄叫びを耳にして、ウンザリした様子で皇は呟いた。そんな彼女の足下には、邪蟲の死骸が大量に転がっている。
どうという事は無い。穴をくぐり抜けた先に、大量の邪蟲が群れを成していたから、露払いでもするかの様に、その全てを切り捨てただけの事だ。
「何?『どう見ても年下にしか見えん』じゃと?うっさいわ!ほっとけ!!」
同じく、邪蟲の死骸に囲まれて立つ譲羽に、手話でそんな風に言われて思わず叫ぶ。そして、今し方通り抜けてきた風の壁に視線を向けて、彼女は面白そうに意地の悪い笑みを浮かべた。
「しかし、譲羽のアレを見て奮い立つとはな。なかなかに見所がありそうな連中じゃな。」
そう呟いて視線を譲羽に向けると、『意地が悪いですね』と手話で語られ、彼女は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「意地が悪いのはどっちじゃ!!おぬし、あやつ等に遠慮してか知らんが、威力を抑えたであろう?危うく儂の身体が、元に戻る風に挟まれる所であったぞ。」
その言葉に対する譲羽の手話は、『大丈夫通れると思っていました』と言うもので、最後に笑みを浮かべてのサムズアップポーズ。
「どう言う意味じゃワレェ!?」
そのサインで確信犯だと悟った皇は、思わず激高して腰に下げた刀に手を掛ける。しかしそれを告げた当の本人は、彼女の様子など全く異に返した素振りも見せず、むしろ興味を失ったかの様にプイっと顔を背ける。
と言うか、何かを見つけたのだろう、手招きして皇を呼び寄せる譲羽に、思う所は在ったもののそれらを飲み込んで近づいていく。
「なんじゃ一体…うん?この轍の跡は…」
地面に転がる邪蟲の死骸を蹴飛ばす譲羽に近づき、彼女もその地面に視線を向けると、そこに真新しいタイヤ痕を発見する。
「馬車…ではないな。それに、ここへ来て引き返した痕もない…」
彼女の言う通りそのタイヤ痕は、引き返した痕もなければ、先に続きもなく途中で途切れて無くなっる、そんな奇妙な痕だった。その場で何かが止まったのであるならば、その場に物が無ければ可笑しいのだが、見渡す限りそれらしい物は一切無い。
何より、この世界では見慣れないタイヤ痕だ。何かがここに来てここに在ったが、いつの間にか消えてしまった位にしか、情報として読み取る事は出来無かっただろう。
しかし、何かに思い至った皇は、したり顔で笑みを浮かべる。
「おぬし、鴻の分家の娘の事が気になっておったな。どうやら、あの娘もここに来ておるようじゃぞ。」
ニヤリと笑い、風の谷の方角へと視線を向ける。既に戦闘が始まっているのだろう、あちこちからその残響が響いてくる。
「こうしては居れんな。風の精霊王殿とも初対面なのだ…」バサァ…
そう言いながら、自身のマントに手を掛けて脱ぎ捨てる、そして露わになったその姿は、譲羽と同じ白装束姿。
「『舞を以て武を制し、刃を以て神を殺す。故に我等武神流』――」
どちらからともなく、谷へと向かい堂々と歩き出し、敵に見つけてくれと言わんばかりに、撒き餌の様に殺気と闘気をまき散らす。譲羽は厳格な表情で顔を引きしめ、一歩皇は幼い顔立ちに似つかわしくない、あの獰猛な笑みで愉快そうに嗤いながら。
「――さて、挨拶がてら、骸の山でも築くとしようかのぉ。」