94三河武士の意地を(戦国、カケルのターン)
元亀三年(一五七二年)――。
徳川の最期の支城、二俣城を攻略した武田信玄は、後継者の武田勝頼、重臣の山県昌景、その家臣の嶋左近ことカケル以下、全軍三〇〇〇〇を引き連れ、敵の大将、徳川家康の籠る浜松城へ向けて南下した。
徳川家康の籠る浜松城は、三方ヶ原台地の斜面に天守曲輪、本丸、二の丸、三の丸とほぼ一直線に連なる「梯郭式」だ。(梯子のように平地に横一列にならんでいる方式)
迎え撃つ徳川方は、武田の1/3の兵力、およそ一〇〇〇〇。まともにぶつかっては勝てる見込みはない。
「殿、二俣城が落ちました」
今年、三一歳になった青年期の絶頂を迎えている家康は、ジリジリと確実に真綿で首を絞めつけるように、人生をかけて守り、拡大していった三河、遠江の領地を武田信玄に削り取られて行くのを苦虫をかみ殺したような顔で報告をうけた。
家康は、精神的に追いつめられ動揺すると爪を噛む癖がある。
「殿、殿!」
側近の本多正信が、動揺の隠せない家康を制す。
「ええい、正信! 織田の援軍はまだか!」
「何度も、織田殿へは、援軍の要請は願い出ておるのですが、織田殿も正面の敵、武田信玄と連携をとり活動する浅井・朝倉に手を取られ動くに動けないとのこと。ただ、待たれよと……」
「なに、ならば織田殿は、我らにこのまま武田に蹂躙されよと申すのか」
「いえ、決してそのようなことは!」
と、そこへ、
「殿、注進でござります。ただいま、尾張(愛知県)より織田殿の援軍が到着いたしました」
「おお来たか、すぐに、織田殿へ挨拶へ参ろう」
「いえ、それが、織田殿はお越しになられませぬ」
「どういうことだ?」
「織田殿は、浅井・朝倉に手が離せぬゆへ、重臣の佐久間信盛様、林秀貞殿を派遣なさいました」
「うむ、して、兵はいかほどか?」
「はい、総勢三〇〇〇!」
「なに、それでは焼け石にみずではないか! 織田殿は形だけ援軍を送って、実質は、我らを見殺しにする所存ではないか!」
と、徳川の軍議の席へ、甲冑を付けた佐久間信盛、林秀貞が現れた。
「何を声を荒げて居る徳川殿、我らの強力では不満か?」
家康は軍議の上座を、佐久間信盛へ譲って、
「いえ、そのようなことは」
と、奥歯を噛み締めた。
家康の心を代弁するように、本多正信が、
「佐久間殿、敵対する武田の兵力は三〇〇〇〇、対する我らは、一〇〇〇〇。織田殿の援軍を含めましても、一三〇〇〇。半分にも満たない兵力では、老練な戦巧者の武田信玄を相手にするには不安が残りまする。どうか、もう一度、織田殿へ援軍の増援の使者を出してくだされ」
それを聞いた佐久間信盛は、ツバを吐き出さんばかりに口をとがらせて、
「信長様は、これ以上、兵はだせぬと申して居る。徳川殿、つべこべ申すのならば、こんな貧乏くじ誰が引きたいものか、我らも引き上げてもよいのだぞ」
それを聞いた、末席に控えていた本多忠勝が、この場で、今にも刀を抜かんばかりに立ち上がった。
「やめよ、忠勝!」
となりに座る榊原康政が、忠勝を押しとどめる。
それでも、三河武士の意地を言ってやりたい忠勝は、
「援軍の期待できないこの戦。織田は、どう戦う一存か?」
「信長様の作戦は、この浜松に総勢で引籠る籠城じゃ」
「籠城?!」
「そうじゃ、籠城じゃ、このまま我らは、武田があきらめて引き上げるまでこの浜松城へ引籠ってやり過ごす」
「あいや、待たれよ佐久間殿」
「お主は誰であったかの?」
「徳川家家老、酒井忠次にござる」
「なんじゃ、酒井か、申してみよ」
「本来、籠城とは寡兵(少数の兵のこと)にて、大軍を待ち受けること、武田がもしこのまま浜松城を攻めず包囲だけして持久戦に持ち込まれれば、我らの兵糧では一三〇〇〇を食わせるには一月、二月が関の山にござる。やはり、織田殿にもう一度掛け合って、我らが、ここで持ちこたえていしくお願いいたします。間に、武田の側面を織田殿が突き、挟み撃ちにすれば勝機がありまする。どうか、もう一度、織田殿に援軍の要請をどうか、どうか」
「無理じゃ」
そういうと、佐久間信盛は腰の刀、押切長谷部をギラリと抜いた。
「ワシは、信長様より、愛刀の押切長谷部を預かっておる。よいか、ワシの言葉は信長様の言葉としてようく心して聞かれよ。我らの作戦は、籠城じゃ。不服があるならば、徳川だけで武田にぶつかったらよろしい」
佐久間信盛の高圧的な物言いを、膝で拳を握りしめ、必死で、耐えて聞いていた家康が、静かに思いを押し殺したような声で切り出した。
「織田殿の作戦は分かり申した。佐久間殿以下、織田方には、この城に籠って籠城の手筈を整えていただきましょう」
「ようやく理解したか徳川殿」
「しかし、我ら、徳川はみすみす敵の大将首、武田信玄が見えておるのに戦わない選択は、三河武士の恥じ。我ら徳川は、三方ヶ原にて、武田を迎え撃つ! 忠次、忠勝、康正! 我ら、三河武士の意地を武田の者にみせてやろうぞ!」
家康は、そういうと、キリリと頭に鉢巻を巻いて立ち上げって城を飛び出して行った。
つづく