9恋のキューピッド(戦国、カケルのターン)チェック済み
――元亀3年(1572年)、南信濃諏訪高島城。
評定の間に絵図面を拡げ軍義を交わす、眉間にシワをよせ、一同を虎のように睨めつける副将の秋山虎繁と、始終ナマズヒゲを指先でなぞって話を聞いてるのか聞いていないのかあやしい大将、山県昌景。
副将、秋山虎繁が、「信玄」に「月」と月光印された花押の文を一同に示して、
「ついに御館様(武田信玄のこと)から三河攻めの下致が届いた。我らは織田の後背からの進入を防ぐべくまずは美濃国岩村城をたたく! 前述の軍義どおり我が秋山隊3000が岩村へ攻めかかり、本隊5000の山県殿は、援軍の織田に備えていただきたい! なにか、反論はあるか! 」
秋山虎繁は、一同を睨みつけた。反論は寄せ付けない。
やはり、山県昌景はなにか思案でもしてるように、ツルリツルリとナマズヒゲをなぞっては伸ばし、なぞっては伸ばし弄んでいる。
――と、そこへ伝令の足軽が駆け込んで来た。
「殿! ただいま嶋左近殿が、巨馬と馬群を従えて戻りました」
「そうか! やりおったか!! 」
山県昌景は、なにか閃いたように活顔して、ひらいた左の手を右の拳でポンッとたたいた。
厳めしい表情の秋山虎繁が、山県昌景に顔を向け、
「山県殿、またぞろなにか良からぬことを閃きましたな?」
「岩村城攻めの名案が浮かんだのじゃ、ウフフ……」
――美濃国岩村城。
中山道の信濃路を美濃国へ抜ける交通の要所に岩村城はある。
歴々の遠山氏のこの城は、時勢に応じてコロコロと、美濃の斎藤道三、織田信長が美濃を治めてはその風下についた。
当代の当主は、遠山景任で、織田信長の叔母、おつやの方を妻に迎え信長と良好な関係を築いて来た。前年、当主景任がはやり病に倒れ、後継がいないまま世を去った。
すぐさま信長は、自身の五男御坊丸を景任の養子に入れ、叔母のおつやの方を後見に立てた。
当代の実質上の城主はこの織田信長の叔母、おつやの方なのである。
――高島城の山県昌景の居間。
障子に差し込む月明りもほどほどに、山県昌景と秋山虎繁が、薄暗い蝋燭一本を囲んで額を付き合わせている。
ナマズヒゲの山県昌景が、秋山虎繁に、
「実はの秋山殿、独り身のお主に嫁を取ろうと思うのじゃが……」
虎の目をした秋山虎繁が眉を曇らせ、困った表情を浮かべ、
「して、山県殿のことでござりましょうから、まともな縁組みではござりませんでしょうな」
「分かるか虎繁殿」
と、山県昌景はニヤリ。
「長い付合いですからな」
と、虎繁も不敵に返す。
「ではな、虎繁殿……」
と、山県昌景は、秋山虎繁の耳元で囁いた。それを聞いた秋山虎繁は喝采して、
「それは妙案にござる」
「しかし、この計略の胆は誰が命懸けの文の取次を受持つかじゃが……」
山県昌景は、適任者が思いつかづ思案にくれる。
秋山虎繁が、
「居るではないですか適任者が一人! 」
秋山虎繁は、コソコソと山県昌景の耳元で囁いた。
「ニヤリ」と、山県昌景。
「あやつしか居るまい」
――中山道、恵那。
翌朝、高島城を出陣した山県昌景を大将とする8000の兵は、中山道を辿って南信濃を抜け、美濃国渓谷の恵那へ差し掛かかった。
「まったく、寒さが凍みるようだわい。嶋左近! 嶋左近殿此へ」
ほーっと、白い息を吐いた馬上の山県昌景のナマズヒゲが凍っている。
山県昌景に呼ばれた一際大きい巨馬に股がった嶋左近が馬首を寄せた。昌景は、頭を寄せてゴニョゴニョと言った後で、一通の文を左近へ渡した。
「なんッスかこれ? 」
「嶋左近殿、実はな、お主を男と見込んで頼みたいのじゃ」
「はい……」
「これは、ほれ(山県昌景は、秋山虎繁へ顔を向け)秋山殿の恋文じゃ」
嶋左近ことカケルは、ビックリして、
「エエッ! あのヤクザみたいに恐い顔した秋山さんがラブレターっすか、いったい誰に?! 」
山県昌景は凍ったナマズヒゲを指でなぞって溶かしながら、霧の向うに見える岩村城を指さした。
「相手はあの岩村城に居る」
カケルは、なにも怯えもなく素直に、
「オオッ! 戦国のロミジュリ(「ロミオとジュリエット」W・シェイクスピア著)ですね」
山県昌景は、カケルのたとえを全然分かっていないが、深くコクりとうなずいて、
「そうじゃ、ロミジュリのラブレターじゃ」
カケルは、やはり愛だの恋だのに目がない高校生、はしゃいだように、
「いいッスね。オレも月代ちゃんと結ばれてぇ~」
山県昌景は、聞き覚えでもあるのか片眉上げて、
「月代?! (いいよどんだが、話を先にすすめ)実はお主に頼まれてほしい。この秋山殿の恋を叶える橋渡しを、男! 嶋左近殿に頼まれてほしいのだ」
カケルは少し考え、
「恋のキューピッドか……いいッスよ」
それが、敵陣に乗り込む命懸けの恋のキューピッドとも知らず、おのが命も気前よく、「了解!」と二つ返事で親指を突き立て満面の笑顔でカケルはこたえた。
つづく