63リーゼルのそういうとこ(現代、左近のターン)
大阪難波での出来事はまるで幻だった。
サングラスの男が巻き起こした現実は、左近とリーゼル、それと清美、白雷と鬼乃貴をのぞいては、誰も知らない。
左近は、あのような非現実の世界を体験したのでは、これからの相撲道に影響が出ると読み、リーゼルに頼んで、白雷と鬼乃貴の記憶を書き換えた。それでも残る現実の鬼乃貴の脱臼は、稽古熱心で痛んだ古傷が本場所で表面化したことにし、辻褄を合わせた。
奈良の平群へ帰ってきた三人は、リビングで、テレビのニュースで、鬼乃貴の休場を知った。
「あら、鬼乃貴、綱取りの場所だったのに、休場なんて残念ね」
清美は、キレイすっきり、記憶を洗われているから、この上なくのんきでさっぱりしたものである。
「鬼乃貴、良い漢であったのに、まことに残念じゃ」
左近は、理由の真実を知っているから、鬼乃貴の休場に責任すら感じている。
「仕方ない事よ、左近、これあなたの現代での戦いの序章。戦いには犠牲はつきものよ」
リーゼルは冷たい。感情のないアンドロイドだということもあるが、すべてを論理でありのままに分析する。左近の胸にはクールな論理が刺さるような気がした。
数多の戦場を潜り抜けて来た左近だが、どんな戦において数多の人の命を奪ったかといっても、人の死に慣れはしない。槍で突けば、その男は腹を押さえて藻掻き、口から嘔吐のように血を吐く。刀で切りつければ、血しぶきが飛び上がり、自己の顔に返り血を浴びる。やがて、その血は、刀の束にこびりつき刀を握った手を固めてしまう。
戦が終わって、興奮から覚めてしまえば後悔しかない。その夜は、酒を浴びるようにのんで気絶でもしなければ眠りにも入れないのだ。さもなければ、命を奪われた武者たちの亡霊が、左近の魂を冥途へ引き込みに引きずり込む。
人の命を奪い人生を終わらすとは、奪った相手の無念を受け止めることなのだ。
「そうかも知れないわね。そこが、ゲームやシュミレーションとは違う実感というものね」
左近は、リーゼルの感想にビックリした。
「こら、リーゼル。ワシの頭の中を勝手に読み取るな!」
リーゼルは「何か問題でも?」とでも言わんばかりに、左近を見返して、
「どうして?」
「人は皆、心の内にそっと、秘めて居る心があるのだ。それを土足で踏み荒らすような真似をするのは、ルール違反じゃ」
「わかったわ。これからは、必要な時だけにするわ」
「バカ者、どんな時でも、心の声を覗いてはならぬのじゃ!」
「不思議な事を言うわね左近、あなたも良く、相手の心を読んで話をするじゃない」
「それは推量というものじゃ。ワシが、人生で積み重ねた経験から、相手の心を慮って導き出した言葉を、相手にとって良い方向に向かうように告げる助言じゃ」
リーゼルは、首をかしげて、
「左近、わたしがやってることと、あなたのやってること、何が違うの? 心の声を分析して解を導き出す同じじゃない」
「ちがうぞ、リーゼル」
「何が違うの、左近」
左近は、胸を押さえて、
「ここじゃ、ここ」
リーゼルは、また、逆に首をかしげて、
「左近、あなたは心が心臓にあるように勘違いしているようだけど、心とは思考のことだから、正しくは(頭を指差して)ここがすべてよ」
「ばっかもん!」
「何? 突然、血圧を上げて?」
「そういうところじゃ、そういうところに気働きがないからいかぬのじゃ。まことの人ならば、ワシの言葉で胸をうたれ、ストンと胸に落ち、涙するものじゃ」
リーゼルは、またまた、小首をかしげて、
「いいえ、左近、思考は胸、心臓には落ちてこないわ」
「は~っ」左近は呆れて、これ以上のリーゼルとの議論は堂々巡りだと悟った。
「よし、できた!」
と、突然、清美が冷蔵庫を開けて声を上げた。
「突然、何事でござる、ママ上」
「できたのよ」
「だから、なにがでござる?」
「これ」
清美が冷蔵庫から取り出したのはタッパーに入った野菜である。
「これこれ、キュウリの酢の物」
「キュウリの酢の物でござるか?」
「そう、キュウリの酢の物。今までは、スーパーで買ってきてたんだけど、お友達から、作り方教えてもらったから自分で作ってみたの」
左近は、確かに、酢は手に入っても砂糖は南方から輸送せねばならない高級品ゆえ、なかなかの難儀であると感心した。
清美は、冷蔵庫から、ペットボトルを取り出して、左近に見せた。
「これ、カンタン酢。これを使うと、キュウリを切って、ちりめんじゃこを振って、乾燥わかめをちらして、なみなみに、カンタン酢に浸しておけば出来ちゃうの」
「そんなはずは」左近は、信じられないといった表情を浮かべた。
瞳を爛々(らんらん)と清美はタッパのキュウリの酢の物を左近に差し出して、
「だまされたと思って食べてみて?」
「それでは」と、左近を箸で一掴みキュウリを口に放り込んだ。
「これは!」
左近の目が輝いた。
「どう、カケル。とっても美味しいでしょう?」
「おうおう、これならばいくらでも食べられる。まっこと、ママ上は料理の天才にござるな」
「えっへん!」清美はどんなもんだいと、自慢顔。
そこは、リーゼル冷静に、
「それはママ上の味ではありません。ミツカンの味付けということです」
左近と、清美が、人気の若手芸人ばりに、声をそろえて、
「そういうとこ!」×2
こうして、時生家の団欒は更けていった。
つづく




