54赤備えの風林火山(戦国、カケルのターン)チェック済み
――裏山。
「やややッ!」
野糞に入った林でカケルは身なりの整った小姓の死体を見つけた。
カケルは、流れる鮮血が乾いていない小姓の首の切り傷を指先で触って確かめた。
(血が固まっていないことを見ると、この小姓の死はまだ時間がたっていないな……よし)
そう思うと、カケルは小姓の死体を担いで山県隊の陣所へ戻った。
――山県隊の陣所。
作手亀山城で奪取するはずであった兵糧米の確保を透かされた山県隊の陣所では、進軍、撤退の激論が交わされていた。
「織田信長の傀儡にされた京の足利将軍様を補佐し室町幕府の権威を回復するというお館様(武田信玄のこと)の意思は曲げられん。ここで我らが西上作戦を断念していては武田は疎か、この山県昌景は天下の笑い者、無理は承知で次の長篠城に進まねばならぬ」
と、言い切ると山県昌景は立ち上がって、腰から刀を抜き作戦絵図の広げられた机を真っ二つに叩き切った。
軍議は長篠城への進軍に決まった。
――お開きになった帷幕。
足軽たちが帷幕をバラシしはじめる中で、中央の山県昌景は一人どかりと腰を据え、絵図面を睨んでいる。この昌景の三河方面軍が敗北、撤退ともなれば、浜松の徳川家康を東西から挟み撃ちにするという武田信玄の作戦が瓦解する。昌景の敗北すなわち、これを転機に感じた織田信長は黙っていないだろう。すぐさま、美濃の岐阜城から出兵し信濃路を通って、岩村城の秋山虎繁とおつやの方様をせめる。
昌景はここでたとえ命を失うことになろうとも一歩も引けないのだ。
「山県のおじさん」
と、そこへのんびりした声で、小姓の死体を肩に担いだカケルが戻ってきた。
「ややや!」
地に降ろされた小姓の死体を見るなり昌景は、近づいてきて、検分をはじめた。
「この顔、確かに武田の陣中にあった。しかと見覚えがあるのだが思い出せぬ。左近よ、この者をどこで見つけたのだ」
カケルは、恥ずかしそうに頬を赤らめながら、
「裏山で見つけました」
「この陣の後背の山とな?」
「コクリ」とカケルは頷いた。
「う~む、まさかな…」
昌景は、なにか思い当たるところはあるように見えたが、口にはださなかった。
――翌朝。
漆黒の巨馬、霧風にまたがり軍装を赤で統一した一際でかいカケルと、菅沼父子の三人を先頭に、武田の赤備え山県昌景の隊列が長篠城へとつづく街道を行く。
疾きこと”風”の如く
第一陣を、嶋左近と菅沼父子。
徐かなること”林”のごとく
二陣を山県昌景の兄、虎昌以来の家老、孕石源右衛門。
侵略すること”火”の如く
三陣を昌景の娘婿の三枝昌貞と、山県家の付家老、広瀬景房。
不動かざること”山”のごとし
本陣を、山県昌景が務める。
中国の軍学者孫子にはじまる武田家の旗指物”風林火山”の神髄を直にお館様(武田信玄)から学んだ山県昌景が颯爽と行く。
赤備えの後方をトロトロと、後詰めとして、南信濃の豪族で武田信玄の娘を娶った木曽義正がつづく。
先頭を行くカケルの元へサササと、武田忍び透波者のくノ一望月千代女が近づき胸から文を取り出した。
「山県昌景殿より文にございます」
文を受け取ったカケルはパラリと文を開いたのだが、昌景の文は達筆すぎて読めやしない。カケルは人懐っこい笑みを浮かべて、千代女に読んでほしいと頼んだ。
「山県殿は、兵糧が少ない故に攻城戦の長陣を嫌い、本陣を長篠城にほど近い設楽原へ設けるそうにございます。嶋左近殿への命令は、長篠城に籠る菅沼昌貞、奥平定能、貞昌親子を城から設楽原へ誘い出せとのことにございます」
「でた、山県のおじさんのムチャぶり!」
――長篠城。
川を堀代わりに中州に城を築いた、要害長篠城。
菅沼昌貞を中心に、兵糧ともども城中へ逃げ込んだ奥平定能、昌貞親子が居並び軍議の真っ最中だ。
扇子で口を隠し感情を読まれまいと、奥平定能が口を開く。
「我ら、奥平の米があれば、徳川織田の連合軍が援軍に来るまでこの城へ引籠っておれば一年でも、二年でも、武田の兵糧が尽きるまで引籠っておれますぞ。無傷の長篠の兵と、我ら作手亀山が団結して守れば武田の赤備え恐るるにあらずでございますぞ」
菅沼昌貞が不安そうに、叔父で後見役の菅沼満貞の顔色をうかがって、
「作手の奥平殿はこう申しておるが、叔父上はどう思うな?」
菅沼満貞は髭を触りながら、
「確かに、長篠城へ籠れば、武田の赤備え、たとえ山県昌景とはいえそう易々とこの城は落とせますまい。だが……」
城主の菅沼昌貞は早くに父を失ってからは、この一癖も、二癖もある叔父、満貞へまずは相談し、自分で判断をなかなか下さない愚図い性格だ。この時も、昌貞は、言いよどんだ叔父の言葉で、乗りかけた籠城の心が簡単にぐらついた。
「叔父上、だがなんじゃ?早う教えて下され」
「う~む」と、満貞は髭をさすって、
「籠城なぞしたら、経済的損失がバカになりませぬ。ここは先に武田へ下った同族の田峯の菅沼父子を頼って降伏して武田へ与するのはどうかと……」
「う~む、難題じゃ。難題じゃ。少し時間をくれ、少し考える時間をくれ」
と、言って菅沼昌貞は軍議を放り投げて下がっていった。
――それから2日。
設楽原へ到着した武田の赤備え。
漆黒の巨馬、霧風に跨る嶋左近が一騎スルスルすると陣を離れ、長篠城の大門の前まで来た。
なんと、その時の馬上のカケルはふんどし一枚の裸であった。
つづく