403『鶴岡山の激突・七 織田の後詰(左近のターン)』
山岡、吉良見を攻めた池田恒興と河尻秀隆の軍勢が信忠の本陣目指して雪崩をうって敗走してくる。
山岡の逃口に陣を張る明智光秀、吉良見の逃口に陣を張る長谷川秀一とカケル(肉体は嶋左近)は、敗走兵に飲み込まれるよう何とか大地に幟を突き立て踏ん張っている。
辺りには、夜の闇が迫り、薄い霧が漂って来た。
光秀の視界も、秀一、カケルの視界も霞んできた。
ボワッ!
その時だ、山岡の逃口から、光秀の陣に火矢が陣幕に刺さった。たちまち炎が立ち上がり明智の陣を照らした。
「皆の者、目指すは立ち上がる炎、あそこにお前たちの立身出世の大将首が待っておるぞ。者どもかかれ!」
武藤喜兵衛(後の真田昌幸)の機略で、霧の中の強攻が決められ、山県昌満率いる“赤備え”が馬を蹴って突撃した。
光秀は、冷静だ。
「皆の者、この陣を囮にして、我らは若殿の元、本陣へ下がるぞ!」
光秀、躊躇がない。
一方、吉良見の逃口では、長谷川秀一とカケルが額を突き合わせていた。
「左近、我らはどうする?」
秀一は、光秀の躊躇ない撤退を横目で見ながら、カケルに尋ねた。
「俺たちは、光秀さんは自分で布陣したけど、俺たちは若殿が打った一手。ここで、ねばりましょうよ」
秀一は、眉を寄せる。
「しかし、左近よ。あちら(光秀の陣)があのように簡単に下がられては、我らもそうそう持ちこたえられぬぞ」
「そうだなあ……、そうだ長谷川さん、俺に三十でいいんで別動隊を任せてください」
カケルの突然の申し出に、秀一も、面食らっている。
「左近、それだけの兵で一体どうするつもりだ?」
「簡単です。あそこを落とします!」
カケルは、鶴岡山の頂を指さした。
「まったく、噂には聞いていたが、筒井の嶋左近という男は、何を思いつくか、想像を超えておる。まあ、助力は出来ぬがいいだろう」
吉良見の逃口に、河尻秀隆を追いやった秋山虎繁と島左近が出てきた。
左近は、一見するととても大将首には見えない武将を縄で縛って引っ立ててきた。
虎繁が、引っ張られる武将に一瞥して、
「誰だそいつは?」
左近は、静かに言った。
「河尻の息子でござる」
「ほう、それは、面白い駒を捕まえたな」
「頼む、俺はなんでもするから殺さないでくれ」
秀長は、自分の首が獲られるものと危ぶんで狼狽している。
左近は、縄を引っ張り、自分に秀隆を引き寄せて、
「安心せい、首は獲らん。お前は交渉の道具にする」
「本当か、約束だぞ! 俺はまだまだ死にたくないんだ」
虎繁、一瞥して吐き捨てた。
「情けない奴だ。これが、あの武勇の士、河尻秀隆の息子か」
左近は、目を凝らして、正面の長谷川秀一の陣を見定めた。
「新手、ですな」
虎繁は、臆する様子は微塵もない。
「織田の若造だろう」
「おや⁉」
左近の目に、霧と夜陰に紛れて、動く影が見えた気がした。
「まさか!」
「どうした、左近!」
「あの陣に、我らの穴に気づいた者が居るやもしれませぬ!」
虎繁は、左近に顔を向けた。
「詳しく話せ」
「織田は、これまで鶴岡山を無視して、北と南の里を落とすことに必死でした。ですが、真の要は、鶴岡山が立ちはだかること、それが我らの強さであり弱点にございます」
「しかし、あそこには罠と、芥子武者が控えておるだろう。心配には及ばぬさ」
秀一とから分かれた別動隊では、カケルと菅沼大膳、山県お虎が脇を固める。
「左近よ、さっきからお虎が黙り込んでおるぞ。ほれ、“赤備え”の親父殿と戦かうのに気が進まんのであろう」
カケルは、お虎に振り返り尋ねた。
「お虎さん、いいんだよ。今回の戦は、山県のオジサンも居るかもだから、無理して着いてこなくて」
お虎は、眉間に皺を寄せてカケルに返事をする。
「左近、お前の配慮はありがたいが、余計なお世話だ。私は、お前に着いて行くと決めた日から、父の元へは帰らぬと決めた」
お虎とカケルには、そんなつもりは毛頭ないであろうが、横で聞いてる大膳にはわかった。
(お虎、もしかして、お前は左近のことを好いておるのか!)
大膳、今頃である。
カケルは、落ち着いた声でお虎に語り掛けた。
「お虎さん、もし山県のオジサンや、三枝の義兄さん、家老の二人と戦うようなことがあれば躊躇なく、引くんだ。親子、家族と戦っちゃいけない!」
カケルの言葉に、大膳が、いつになく厳しい顔を見せる。
「おい、左近。俺たちは長い付き合いだが、今は戦国の世だ。たとえ親子であっても相争えば命を奪う。それが条理だ」
大膳に諭されたカケルだが、引かない。
「大膳さん、わかってる。それでも、親子、家族は戦っちゃいけない。戦うぐらいなら逃げるんだ」
「左近、馬鹿を申すな! それが出来ぬのがこの時代だ」
カケルと大膳が言い争うのを、黙って聞いていたお虎が呟いた。
「左近、私の主はお前だ。主の命令なら従うよりあるまい」
大膳が、驚く。
「おい、お虎、まさかお前ここで離脱するのか?」
お虎は静かに首を振る。
「いいや、父上と家族とは争わない。しかし、左近に襲い来る者あらば、例え父でも斬る!」
お虎の覚悟は正直だった。熱い目で真っすぐカケルの背中を見つめている。
カケルは、背中を向けたまま、お虎に言った。
「お虎さん、ありがとう。俺の背中は預けたよ」
つづく




