396『誰が味方か、誰が敵か? (カケルのターン)』
岐阜城を出て、織田家と武田家の最前線・鶴岡山を目指すカケル(肉体は嶋左近)たちは、多治見の里にその日の宿をとることにした。
カケルと駒を並べる信長の最側近・長谷川秀一と、同じく親衛隊的側面の近い大柄な稲葉一鉄が先頭を進む。
秀一が、カケルに尋ねた。
「左近殿は、大殿(信長のこと)が狙い撃ちされた石山本願寺が守る新堀城に一番乗りされたと聞くが、武田と気脈を通じる本願寺とはどのような者たちなのだ?」
秀一は、信長が石山本願寺攻めで、鉄兜に銃弾を受けた時は、岐阜城に残って兵站を預かっていた。前線へ出て兵を率いた経験が少ない。
「新堀城を守っていたのは、下間頼廉さんてお坊さんで、一言で言えば……、本物のお坊さん!」
「おっ、そうか」
秀一は、カケルの言葉足らずに、一瞬眉を曇らせたが、言及しなかった。武勇の士は、言葉ではなく、勘で話す――。織田家猛将・柴田勝家などがそうだ。嶋左近も同じ部類だとみられたのだ。
カケルは、首を捻って、
「いや、頼廉さんは、ただのお坊さんって訳でもなかったな。もっと、視点が高い。空の上から地上を見てるっていうか……」
また、尻切れトンボだ。
ポツリと、一鉄が言った。
「鷹の眼だ」
「そう、それ! 一鉄さん、さすがだスーパー武将!」
一同は、カケルが何を言っているかはわからずとにかく笑ったが、秀一は、聞き慣れない言葉に首を捻った。
すかさず、カケルのすぐ後ろに控えた菅沼大膳がしゃしゃり出て言葉を足す。
「ワシは、佐近とは長い付き合いだが、たまにこうして南蛮の言葉を使いおるのだ。おそらく、『スーパーなんとか』もそれだ」
秀一は、目を丸くして、カケルを見た。
「左近殿は、もしかして京の都で、宣教師の”ルイス・フロイス”殿にでも言葉を習われたか? 某も、役目柄、南蛮語を学びたいとは思っておるのだが、いかんせん岐阜ではのう」
一鉄がポツリと、
「ノン・ア・プログレマ」
秀一が、まさかの一鉄の口から南蛮語が聞けるとは思わず、二度見した。
「一鉄殿、どこで、その言葉を?」
「大殿の評定の時、側に居って、色んな客人の話を聞いて居ったら、自然にわかった」
稲葉一鉄、スゴイ記憶力だ。兵を率いても一流、この様子だと知略を用いてもおそらく――。だが、少々、身内には固執して意固地なるところが欠点か。
一鉄がつづける。
「それはそうと、鶴岡山には、赤いのが采配を振るってると聞いたが?」
秀一は、ニヤリと鼻で笑った。
「一鉄殿は、耳が早い。鶴岡山を守は、武田の”赤備え”山県昌景ですが、今は居りません」
「うん?」
一鉄が、理解できずに眉を寄せた。
これには、己の師でもある昌景のことだ、カケルも身を乗り出した。大膳も、もちろん、娘のお虎も、気持ち馬を寄せる。
「昌景は、武田の若殿が鞭打って、まともに動けませぬ」
秀一のその言葉を聞いたカケルが、お虎に目を送った。
お虎は、目を見開き、尚一層、手綱を握りしめ、グッと顎を引き兜の庇で表情を隠した。
カケルの目と大膳の目が合った。静かに大膳が頷いた。
「秀一さん、あの山県昌景がどうして、味方であるはずの武田勝頼に鞭を受けたんですか?」
秀一は、口元を少し上げて答えた。
「明智光秀が放った間者が武田家中枢に潜り込んだのよ」
お虎の顔が真っ青になり、手綱を強く握りしめた。
秀一の言葉に、カケルも、大膳も言葉が出ない。
あの武田信玄の元で、三方ヶ原で徳川家康を打ち破る強さを見せた武田家に、綻びが走っているのだ。それも、これから命を狙う明智光秀が黒幕だと言う。
カケルは、慎重に言葉を選んで、秀一に尋ねた。
「光秀さんは、どんな間者を放ったのですか?」
秀一は、カケルに馬を寄せ、耳打ちした。
「はっ!」
秀一が告げた名前は、三方ヶ原へ向かう信玄の陣中で、お腹が痛くなってもよおし、草むらに入って用を足している時、見かけた――。”木曽義昌”の名だった。
三方ヶ原の折は、義昌の後姿を見たに過ぎず。その後、徳川家の忍者の頭領・服部半蔵が現れうやむやになりすっかり忘れていたが、点と線がつながった。
(もしかすると、信玄の大殿の体調の急変の裏に、義昌さんがあったのかも……)
木曽義昌は、上杉謙信としのぎを削っていた頃の武田家の西の最前線だ。木曽谷の領主、義昌は、信玄の娘をもらい受け一門衆に名を連ねている。いわば、身内だ。まさか、その義昌が織田家の明智光秀と通じていたとは夢にも思わなかった。
「木曽……」
と、言いかけてカケルは、お虎の心中を慮った。この事実を聞けば、お虎は一人でも父の元へ帰って、獅子身中の虫・木曾義昌を討ち取りに駆け出すかもしれない。お虎一人を行かせるわけにはいかない。カケルは、いつになく言葉を堪えた。
一鉄が、前を見ながら独り言のように言った。
「虫は、他にもおる……」
カケルと大膳、お虎は、一鉄の言葉を受け止め、昌景を、武田家を中から腐らせる虫を退治しなければいけないと、心に刻んだ。
「おお、あそこに見えるのが本日の宿となる根本城。元は武田家に連なる縁者であったとかいう若尾元昌殿の城だ。まったく、誰が味方で、誰が敵になるかわからぬ者よな戦国の世は――」
秀一は、カケルたちの心を知らず呑気なことを言った。一鉄は、薄っすらと霧のかかる館つくりの根本城の曲輪に目を凝らした。
つづく