394『光秀の首、稲葉一鉄動く!(カケルのターン)』
「光秀の首と……」
信長の館を出た後もカケルの脳裡では、信長の言葉が木霊している。
(信長さん、俺の身体で戦国に来た本物の島左近さんが持ち込んだ歴史の教科書で、『本能寺の変』を知っていた。そしてえ、光秀さんの首を……)
「……おい、左近、話を聞いておるか?」
岐阜城の麓にある控えの間で、仲間の菅沼大膳と山県お虎の元へ戻ったカケル(肉体は、嶋左近)、信長の命を受けた長谷川秀一から、東美濃・遠山氏の守る明知城への援軍として、信長の嫡男・信忠が指揮する陣へ向かい。家老として従事する明智光秀に隙あらば亡き者にせよと密命を告げられた。
表向きは、鶴岡山攻略の後詰・さらなる援軍として、実質は味方である光秀の首を獲ること――。
「聞いてるよ。大膳さん」
カケルは、その場を取り繕う言葉を発したが、頭の中では、自分の行動次第で現代の歴史が書き換わってしまうことへの恐怖と不安が渦巻いていた。
信長からそれとなく話を聞いた長谷川秀一は、カケルの胸の内を推量し、「致し方なかろうと」と大膳とお虎に具体的な話をする。
秀一がひとしきり話し終えたところで、
「援軍には、大殿の目付として某と、曽根城にひかえる稲葉一鉄殿の兵を遊軍の大将として出張っていただく手筈になっております」
「稲葉一鉄?」
秀一が、記憶を振り返るように一鉄について話しだした。
「稲葉一鉄殿は……」
稲葉一鉄、かつて美濃国が斎藤氏の支配下にあった頃、一鉄と、竹中半兵衛の舅・安藤守就と、伊勢一向一揆で敗戦した織田軍の殿軍を引き受けた氏家卜全の3人は、美濃三人衆とよばれ、彼らを当時の木下藤吉郎(現在の羽柴秀吉)が籠絡して織田に味方させ斎藤氏の本拠・稲葉山城(現・岐阜城)攻略を果たした重鎮だ。
その後も、一鉄は、朝倉家討伐の兵(金ケ崎の戦い)を挙げた信長が、妹・お市の婿、浅井長政の裏切りに合い。前方に朝倉、後方に浅井と挟み撃ちに合い絶体絶命の撤退戦を強いられた時、殿軍を引き受けた羽柴秀吉と、徳川家康が、信長から、
「徳川殿、猿はともかく、同盟相手のそなたに殿軍を任せるのは申し訳ない。誰か、与力はいらぬか?」
と、問うと、即答で、
「では、稲葉一鉄殿を御貸し願いたい」と言った。
「ほう、一鉄か、なぜだ?」
信長にとって美濃三人衆、中でも一鉄は兵を動かすのも巧みで、何より稲葉家家中の結束が固く精強である。そのことを知ってかしらずか、一鉄を指名した家康の目利きが気になった。
「いえ、信長殿、徳川家はまだ忠勝にしても、康政してもウチのは若いゆえ、一鉄殿ような戦の要諦を掴んだ御仁をお貸しいただきたい」
「一鉄か……」
信長も退却は決め逃亡戦を重ねねばならない。もちろん、その時脇を固める精鋭として一鉄の兵は一番残しておきたい。だが、信長が逃亡を図るにしても、敵を足止めする防波堤になる殿軍になれば、生きて帰る可能性は極めて低い。そこに、精鋭一鉄を行かせてよいものか……。信長は、思案した。
「大殿、某ならば、徳川殿を生きて帰還させてご覧にいれます」
と、いつも黙って口数の少ない一鉄が自分からいい出した。
信長は、確信めいた自信みなぎる一鉄の言葉に、「うむ、一鉄よ任せた。徳川殿を無事に連れ帰れ!」と命じ、見事、言葉通りに数えるほどの損害で無事帰還したから信任は一層深まった。以来、信長は将棋で言うところの金将としての役どころで、常に自分の隣を固めさせ、いざとなれば動かす副将のような役回りを暗に担わせていた。
(金ケ崎の撤退戦で、秀吉さんも、徳川家康さんも生きて帰れたのは、この一鉄さんの隠れた功績だったのか、……歴史マニアの俺でも知らなかった。……しかし、その大事な一鉄さんを「光秀の首獲り」に動かすのだろう)
秀一に呼ばれて部屋へ一鉄が入って来た。
「でかい!」
(俺、嶋左近さんの身体もこの時代では相当でかいが同じくらいある)
「おや、ワシは嶋左近殿と会うのは初めてだが、以前、どこかで会ったことがあるような不思議な感覚だ……」
と、首を捻った。
一鉄の言う不思議な感覚は、あながち錯覚ではない。一鉄はカケルが借りるこの嶋左近の肉体の持ち主、当時、明智家家臣・渡辺勘兵衛を名乗た島左近と、派手好きを辞めれない姉・三芳野が領内で起こる人身御供事件を依頼したことで会っている。魂と肉体、別に入っていても元は島左近に違いはない。それを一鉄の鋭い嗅覚が嗅ぎ分けたのだろう。
しかし、嶋左近の肉体もでかいが、それと同じくらい一鉄は大きい。返って同時に入って来たおそらく息子の方が一回り小さい。
”頑固一徹”の語源になった人物だけあり、老齢であっても肌の血色は良く、眉は太く白髪などない。筋骨は流々として、並んで入った若い嫡男・貞道の方が小さく頼りなく見えるぐらいだ。
貞道が、一鉄に怒りを含んだ口調で同調を求める。
「父上、これで、同じ織田家中に在りながら義兄を引き抜いた。仁義に劣る明智光秀めに復讐が果たせますな」
貞道の言葉に、一鉄は返事も頷きもしない。
「復讐?」
カケルは、歴史ゲームで稲葉一鉄がかなり使える武将なのは知っている。だが、信長が一鉄を動かす本当の理由までは想像が及ばなかった。
秀一は、一鉄本人の手前、耳打ちするように、小声でカケルに言った。
「一鉄殿の娘婿・斎藤利三を明智光秀が引き抜いたのよ。それを一門の結束第一の稲葉の家では根に持っておるのよ」
すると、一鉄が静かな決意を込めて言った。
「大殿直々の命だ。ワシは光秀から正式に利三を連れ戻す」
一鉄は、恨みでも辛みでも憎しみでもなく、心から稲葉家結束第一に確信をもって断言した。
(でも、待てよ。この一鉄さんが本気を出したら、俺の知ってる歴史そもそもがなくなっちゃうかもしれない。信長さんが生き残り、光秀さんは”長篠の戦い”の前に首を獲られる。……うわ~ん、どうなっちゃうの歴史!)
心中で葛藤するカケルを見た大膳が声をかける。
「おい、左近、顔が真っ青だぞ」
お虎も心配してつづく。
「左近、まさか、お前父上のことで……」
つづく