390『信長が語る信玄死の秘密(カケルのターン)』
カケル(体が嶋左近)は、信長の側近・長谷川秀一の後をついて、岐阜城の麓の館の回廊を抜け、突き当りの襖の前に立った。
秀一は、襖の前まで来ると、立ち止まった。しばらくすると、子供の声で、中から声がかかる。
「天下……」
中からの声に、秀一が落ち着いた声で応えた。
「……布武」
すると、中から襖が開き、さらに奥へと進む回廊が広がった。
秀一は、襖の内に侍る少年へ声を掛けた。
「蘭丸、ご苦労」
秀一にそう呼ばれた少年二人の名前には、カケルも学校の教科書か、ゲームの中で聞いた覚えがある。
蘭丸とは、織田信長が“本能寺の変”の時に傍に仕えていた小姓の名だ。とても、美少年であったと聞く。
秀一に声を掛けられた蘭丸は、少し顔を上げた。
カケルは、蘭丸の顔を見ると、まだ、幼さは残るが、眉目秀麗で聡明さが滲み出た目鼻立ちをしている。
(この子が、森蘭丸か、女の子と見間違うくらいまつ毛が長い)
カケルが、一瞬、蘭丸に心を奪われていると、秀一が「ゴホンッ!」と咳ばらいをした。
「左近殿、鬼武蔵の噂は聞いておるか?」
秀一の“鬼武蔵”の言葉に、カケルは首を捻った。
「鬼武蔵、どこかで聞いたあるような……」
秀一は嬉しそうに、笑った。
「さすがの“鬼武蔵“森長可でも、大和国まで噂は届いておらぬか」
(森長可っていえば、確か、織田家に古くから武将がいたな……森可成だったかな?)
カケルは、ここで、ゲームで得た余計な知識をひけらかさずに「はて、聞いたこと、あるような、ないような……」と言葉を濁しておいた。
「はっはっは、これは嬉しい。私は、長可が羨ましいのだ。不幸にも親父殿が戦死し、私や秀政と同期だというのに、一人家を継ぎ当主に収まり、戦場に出ている。私など、まだ書状を書いたり、大殿の取次が仕事だというのに……」
おそらく秀一は、同期の森長可や、堀秀政と信忠の次期政権でどの位置に立つかを争っている。
長可は、信忠の元で先陣を切りすでに戦っている。しかし、自分はまだ取次だ。
好敵手に引き離されるのが悔しいのだろう。しかも、
「蘭丸は、長可の弟で、こやつは秀才。将来は私やこの後に合う久太郎(堀秀政のこと)を凌ぐ逸材になると大殿にも見込まれている困ったものだ」
と、秀一は、眉を掻いた。
すると、カケルは、そこに胡坐をかき蘭丸に視線を合わせて声を掛けた。
「えっと、俺は、大和国・筒井家家臣・島左近です。これから、順慶さんを支えるために顔を合わすことが増えるかもしれません。よろしくお願いします」
と、深く頭を下げ、腰の二本差しを渡した。
カケルのこの行動に、蘭丸は目を丸くして、秀一を見た。
秀一は、イタズラ仲間を見つけたように、微笑んで蘭丸に頷いた。
蘭丸は、カケルの誠実な人柄が一目で気に入ったのか、満面の笑みを浮かべて返事をした。
「森蘭丸です。私は将来、大殿の小姓に選ばれるため、日々、勉学に励み自分自身を磨いているところです。まだまだ、若輩者です。左近様、噂ではあなた様の活躍は耳に入っております。機会があれば、私に武術なり、計略なり、武将としての心構えをご指導ください」
と、丁寧に手をついて頭を下げた。
カケルも負けない。額を床に貼り付ける位に下げて答える。
「やはり、面白い御仁だ」
と、カケルと蘭丸のやり取りを見た秀一が笑いを堪えきれないといった表情で笑った。
回廊をさらに進むと、金屏風のような襖が見えてきた。見事な松が描かれている。
「おおっ!」
カケルは思わず感嘆の声を上げた。
秀一が、口元を緩ませて言う。
「この絵は、新進気鋭の絵師・狩野永徳によるものです。なんでも大殿が上洛を果たしたおり、京の帝の元に赴いた時、摂関家の近衛前久様の屋敷の屏風絵の美しき事をご覧になられ一目で気に入られ、豊後の大友家の元に下っていた狩野永徳をすぐに呼び戻して、手元に置かれたのです」
教科書やゲームで知る織田信長は、鉄砲を戦に導入したり、比叡山を焼き討ちしたり、先進的で冷淡なところもある人物に描かれるけど、この狩野永徳さんの絵、さっきの森蘭丸さんの才能、ここにいる長谷川秀一さんのような人材を見抜き育てる天才なのかもしれない。
と、カケルは感心して秀一の顔をぼんやり眺めていると、秀一が言った。
「では、中へ入りましょうか」
絢爛豪華な黄金の正八角形の部屋におそらく布団から身を起こした織田信長に水を飲ませる明らかに切れ者の堀秀政が一瞬、鋭い視線をこちらへ放った。
「大殿、原田直政様からの使い嶋左近が参りました」
秀一は、秀政の視線で先ほどまでの柔和な物言いからガラリと改めた。
身を起こした信長が、こちらを黙って見定めている。
秀一も、秀政も黙って信長の言葉を待ち息をのむ。
「で、あるか!」
(信長さんは、雑賀孫一だかの銃弾んで兜を狙い撃ちされ、脳震盪を起こして臥せっているって聞いたけどもうかなり回復してるんだな)
カケルが、そんなことを思っていると、後ろからスススと見覚えのある顔が、漢方の独特な匂いの水をもって見覚えのある顔がやってくる。
武田信玄の遺言で、上洛の夢を引き継いだ山県昌景と共に、道筋を見聞するため瀬田への旅を共にした北庵法印だ。
戦国の月代ちゃんも、北庵のお父さんも、顔かたちだけ見れば、現代と変わらないから不思議なんだよな。まるで、戦国コスプレ。
カケルは、そんなことを心で想いながら、法印が、信長に煎じ薬を手渡すと、信長は、一気にあおった。
「不味いな、いつ飲んでも」
と、率直な感想を述べた。
すると、秀政が、言葉を添える。
「大殿、この法印の薬は、あの信玄坊を弱らせるために放った間者の毒を見抜き、三方ヶ原の戦いにまで回復させた目を持っておりますへ間違いございません」
信長は、秀政の眼を見て頷いた。
「そうだな、信玄坊もまさか、身内に毒を盛られて寿命が縮まったとは、あの世へ行くまで気づいておらぬだろうて」
ゴーン! ゴーン! ゴーン!
黄金の間に飾られた南蛮渡来の置時計が時間を告げた。
六角堂に居る人間の誰も動かなかった。重く冷たい沈黙の時間だ。
すると、信長は、ヌっとカケルに鋭い目を向けた後、フッと笑った。
ゾクゾクゾク!
信長が向けた何気ない目が、カケルの心中すら覗かれているようで背筋を凍らせた。
信長さんって、やっぱり、怖い人かもしれない。あの御屋形様(武田信玄のこと)を毒殺しようとして立って今いったよな。それを法印のお父さんが見抜いたってはっきり言ったよな。これは、教科書には載らない。貴重な真実が聞けるかもしれない。ここで、信長さんから直接、それとなく訪ねてみるか。
カケルが秀一を見ると、煎じ薬の茶碗を空けた信長が声を掛けた。
「お前が、嶋左近か。聞いておるぞ、お前の過去も未来も」
そう言って、信長は不敵な笑みを浮かべ、秀一に自分の元へカケルを近づけるよう促した。
(今、信長さん。俺の“過去も未来”もって言ったよな⁉)
「では、大殿の元へ参りましょう」
と、秀一が先に立った。
つづく