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381『未来の一手・前半(左近のターン)』

風が、鶴岡山の杉を揺らしていた。枝先がわずかに鳴り、山の静寂に、さざ波が走った。


切り株の上に置かれた古びた囲碁盤。その前に、島左近と武藤喜兵衛が静かに座している。控えるのは下条智猛と、その嫡男・智林。


智林が碁石の入った木箱を差し出しながら、目を伏せて会釈する。


「碁は、おふたりとも嗜まれますか」


左近は柔らかく笑みを浮かべた。


「幼少の頃、父に手ほどきを受けた程度ですが……戦の合間にこうした“静”を味わうのも、悪くはない」


喜兵衛が、やや照れたように鼻をこすった。


「某も、父に叱られつつ打った口です。“理に背くははかりごとにあらず”と、よく戒められました」


「ふふ、理を外れるゆえに面白い。意表を突くには、型破りもまた妙手。さすが、攻め弾正の血を継がれるだけはある」


智林が、盤の上に白と黒の石を整然と並べる。


「黒は喜兵衛殿、白は左近殿にて」


「承知いたした」


最初の一手が置かれた。


「パチン」という音が、杉林の静寂に吸い込まれてゆく。


「戦の始まりは、得てして“気配”から始まるもの。模擬といえど、心得て打たねばなりませぬ」


左近は盤を一瞥し、すぐには手を出さない。


その視線は、碁盤の外――智猛の布陣が広がる谷間へと向けられていた。


「十九路の格子に、兵も策も心も収まっておる。まるで、戦場の縮図……」


喜兵衛が、ゆっくりと頷く。


「まったくの同感。盤上の構えは、まさに実戦。よき稽古にございますな」


左近が、静かに一手を返す。盤の中央より、やや右寄り。


「パチン」


「白、矢面に立ちましょう。後手といえど、読むことはできる」


「おや、いきなり正面から打って出られるか。さすがは左近殿」


やわらかな空気に、わずかに緊張が生まれた。


石が置かれるたび、音が空気を裂き、無言の緊迫が漂っていく。


智猛の目に、盤を挟む二人の表情が、次第に戦場の将に重なっていった。


不意に、彼が呟く。


「これは……囲碁ではない。“戦”そのものよ」


白と黒の石が、盤上に列をなしていく。

規則の中に潜む、無数の“策”――一つ一つに、刃にも似た緊張が宿っている。


左近は石を手に取り、盤を見ず、その“流れ”を読むように目を細めた。


「中央を割ると見せかけ、端へと誘う……乱れに見せて、逆に一点へ導くか」


パチン。


石が置かれたのは、意外な隅。


喜兵衛の目が、わずかに光を帯びる。

微笑を保ちながらも、その内心は騒いでいた。


(……捨て石に見せて、こちらの急所を揺さぶるか)


盤面は、まるで山岡と吉良見を繋ぐ尾根の戦況。

喜兵衛の脳裏に、かの地の地勢と、武田・織田の布陣が浮かぶ。


彼は、黒石をひとつ摘んだ。


「ではこちらも……鶴岡山の防衛線をなぞって、西を広げてみましょう」


パチン。


その音に、智猛が思わず眉をひそめた。


「む……まるで、わしらの陣立てそのままではないか……」


左近が目だけで笑った。


「さればこそ。盤上にて、我らすでに戦を始めておりまする。打つたびに、戦の煙が立ちのぼる」


喜兵衛の目から笑みが消えていた。


「読みの読み、さらにその先……碁もまた、信念と信念の衝突にございますな」


「では……この“信念”、受けていただきましょう」


左近の手が、滑るように動いた。

白石が、黒の勢力圏へ――深く、まるで敵の心臓を貫くように。


パチン。


「……っ!」


智林が息を呑む。


喜兵衛の瞳に、過去の幻が蘇る。

第四次川中島――上杉謙信が馬を駆け、突撃してきた、あの時の風景。


(読めぬ……だが、妙に納得させられる。これは……ただの碁ではない)


「左近殿……只者ではござらぬな」


喜兵衛が、迷いなく返す。


「されど、こちらにも策あり。さあ、この一手、どう受けるか……」


パチン。


盤面が、ふっと揺らいだように見えた。

黒石が白石を包囲する。静かな罠が、じわじわと閉じてゆく。


左近が目を細めた。


「これは……見事な伏線。わたしが攻め入ったつもりが、すでに誘われておったとは」


「戦とは、誘い、引き、封じること。だが、それだけでは勝てぬ。勝利とは、心と心の読み合い。父、真田幸隆の教えでございます」


智猛が、しみじみと呟いた。


「実戦そのものよ……軍略の応酬、まさにこれ、戦そのもの」


そして、盤上の石は均衡していた。

互いに要地を押さえ、攻めすぎず、退きすぎず。


左近が、碁石を摘んだまま、ふと目を閉じる。


(……このまま定石どおりに打てば、じわじわ包囲される。負け筋に入る)


まぶたの裏に浮かんだのは、もう一つの“記憶”。

教科書で見た、未来の記述。


《天正十年三月、武田家は滅亡。山県昌景、討ち死にす》


乾いた文面。しかし左近は、そこへ至る“過程”を知っている。


(……昌景殿は、このままでは死ぬ)


この時代の誰も知らぬ未来を、彼は知っている。


だからこそ、選ばねばならない。

たとえ、定石を捨ててでも――未来を、変えるために。


つづく

どうも、こんばんは星川です。


まずは、読者の皆様にお詫び申し上げます。連載を飛ばしてしまって申し訳ありません。


と、そのおかげもありnoteで『#ジェントルおじさん』無事、「了」を打てました。


現在、星川に描ける全精力を賭けて描き切りました。今の私にはあれ以上の者は書けないです。

⇩リンクはこちらから

https://note.com/ryoji_hoshijawa/n/n37a1605875f4


応援してくてください。


ジェントルおじさん執筆期間は、『左近とカケル』の執筆もお休みしてました。2回ほど連載飛ばしましたが、あれは、超集中モードで更新を単純に忘れていました。ダメ人間だからそうなっちゃうんです。


その間ストックの消費で乗り切りました。


のこりストックは4で、今日1話追加しました。まあ、この原稿でプラスマイナス0なのですが、できれば、明日もストックを書き溜め、また、どこかの賞へ出す新作を考えたいです。


左近とカケルを1章からリライトも考えてはいるのですが、一方で、打ち切りにして公募に集中する方向も考えています。


出来ることなら、ジェントルおじさんで受賞して、左近とカケルのリライト版で書籍化できれば最高なのですが、それもなかなか難しいように感じます。


なんと言うのでしょうか、ライトノベルの括りでは評価されないんじゃないかと言うジレンマのようなものも感じています。


初めから応援くださる人は、おわかりでしょうが、初期と比べて、明らかに筆力が上りました。う~ん、悩ましい所です。



それでは、

☆5つ

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また、来週に。

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