375『戦乱を生きる兄妹、勝頼と松姫』(左近のターン)
「私は、故事にあるように貞女は二夫に見えず、絶対に北条へは参りません!」
強情な松姫は、眉を吊り上げて怒りを表して、勝頼に逆らった。
勝頼は、眉を曇らせて困った顔をし、縁談を計画した側近の長坂釣閉斎の顔を見た。
「松姫様、今は、武田と織田は対立しているのですぞ! 姫様も武田の女ならば、お家のために北条へ嫁に行くのは道理にございますぞ」
と、釣閉斎はしゃれこうべのような痩せた眼で松姫に無情の言葉を発する。
「イヤじゃ、イヤじゃ、絶対にイヤじゃ! わらわは信忠様を裏切れぬ!」
と、松姫は、癇癪をこじらせる。
松姫は、父・信玄の方針を破って、織田家と敵対することにした兄・勝頼の方針に納得がいかない。その目を盗んで、同情的な兄・仁科信盛の計らいで、山県昌景と嶋左近を頼みとして、愛しい夫・織田信忠と直接面会し、対立する両家を再び円満にすべく秘密裏に動いた松姫の行動は、勝頼の看破するところとなり、武田忍び「三ツ者」の頭・秋山十郎兵衛によって捕まり防がれた。
勝頼は、父・信玄が果たせなかった京の都へ自分が上洛することで父の亡霊を葬ることができる。信玄亡きあと軍鑑を任された山県昌景の才覚を超えることができる。父が信任する昌景憎しの思いがつのって、勝頼は父の果たせなかった夢の実現を自分が達成することで家中を含め他国にまで正当性を証明しようとしたのだ。
勝頼は、昌景はじめ古老の武田四天王の反対を押し切って強攻に、織田家と対立する道を選んだ。戻された松姫を代わりに後背の相模・武蔵と広大な関東平野を支配する北条氏と婚姻関係を結び後方の憂いを無くす戦略を計画したのだ。
関東平野を治める北条氏政は、4代前の始祖・北条早雲が下剋上で独立を果たした伊豆・相模を始め、2代目氏綱、3代目氏康とじわじわと勢力を広め、今や、小田原を拠点に、武蔵、下総、上野に加え、常陸、下野、駿河の一部を領するまでになった。
およそ250万石をほこる大北条氏は、長男の氏政を始め優秀な弟、氏照、氏規、氏邦、越後の上杉謙信の養子となった景虎と盤石の態勢を築いている。
「わしは上洛など愚かなことは考えず、後北条の名の通り、戦火を逃れた今は下総古河へ逃れた鎌倉公方を担いで、源頼朝よろしく坂東武者を率いて、ほぼ実権を無くした足利義昭の代わりに、古河公方・足利義氏を擁立して小田原城を中心とした新たな幕府をつくるのだ」
氏政は、北の強敵、関東管領・上杉謙信には、弟を跡継ぎとして送り込み、西は、勝頼と一旦、松姫を嫡男・氏直の嫁に迎えることで、強固な同盟を結び、歯向かい続ける常陸の鬼・佐竹義重と、上総と安房に勢力をはる里見義弘をたいらげた後、勝頼にはしかるべく官職を授けて手なずけようとする算段だった。
関東三国志の雄、北条、上杉、武田が一つとなれば、京の都など恐れるに足らず、曾祖父・早雲が描いた夢写真をひ孫の氏政が実現しようとしていた。
「血の気の多い勝頼には、せいぜい北条の先兵として信長と小競り合いを繰り返し、足の引っ張り合いをしておればよいのだわい」
氏政は、勝頼からの縁談話をそのように考えていた。
勝頼には勝頼で自分ではなく家臣の山県昌景に信任を置いた父・信玄への強烈な反発心と、昌景への嫉妬がある。
(父にも昌景にも負けられぬ)
勝頼は、婚姻同盟者・織田信長を敵に回しても、自分で示さねばならない武田家の主としての意地と誇りがある。
「松よ、どうか、武田のため兄の願いを聞き届けてはくれぬか」
勝頼は、信玄の四男だ。本来ならば、武田家当主の立場は与えられない。その証拠に、勝頼は母のお生家である諏訪三郎勝頼を名乗り諏訪氏が根をはる信濃を守っていた。嫡男である兄・義信が父・信玄に謀反を起すまでは……。
今から、およそ8年前、兄・義信は、父・信玄と対立した。弱体化する義信の妻の実家・今川氏の領国を、父・信玄が長年の同盟関係を破って弱肉強食、今川氏の駿河国へ攻め込む決断をしたのだ。
それに、今川氏の妻を持つ義信は反対し、父の横暴を止めようと、かつて父・信玄が、その父・信虎にしたように追い出しを図ったのだ。
しかし、義信の計画を未然に防いだのが、山県昌景だった。
義信の傅役は、飯富虎昌という。
飯富氏は、昌景が武田家伝統の山県姓を引き継いで独立するまで名乗っていた生家だ。虎昌は、昌景の歳の離れた兄になる。
虎昌は、信玄の側近の昌景に、計画を持ち掛けた。
「昌景、わしと若殿は、覚悟を決めたぞ! かつて大殿がそうしたように、主の間違いを正すため、決起する。しかし、大殿は、主は主。決して命は奪わぬ。信虎様と同じく、今川はならずとも、縁つづきの北条ででも隠居してもらうつもりだ。だから、大殿の側近くに仕えるお前の力を借りたい」
「うむ、わかりました。ですが、少し考える時間をください」
と、昌景は返事をし、その足で信玄の元へ駆け込み、義信と兄・虎昌の謀反は露見し、切腹の処断がなされた。
その功が信玄の昌景への信任を厚くし、虎昌が率いていた武田の赤備えをそっくりそのまま引き継ぐ土台となった。
そうして、居なくなった兄の後釜に、勝頼が座ったのだが、勝頼はもとより母の生家・諏訪氏を引き継いだ。諏訪氏は、信玄に裏切られて滅ぼされた家だ。勝頼に着いた側近の多くは、あからさまな表明こそしないが信玄憎しの気持ちがある。その諏訪家の家臣の憎しみを、諏訪の娘と信玄の血を分けた勝頼を主とすることで、いわば緩衝材の役割を果たすことになる。
勝頼にしても、その役割だ。側近の跡部勝介と協力して諏訪と義信を支える覚悟だった。
「我らは武田家の連枝衆として、お家のためその役割に努めましょう」
と、自分の運命を受け入れていた。そのうえで、才覚十分の尊敬する兄・義信と勇敢な傅役・虎昌率いる武田家の代名詞”赤備え”の武威を見て来た。
それが、突然、実の兄を売って、その強力な兵”赤備え”と父の厚い信任を奪い取った男が勝頼にとっての山県昌景だ。
勝頼にとっては、昌景は実の兄を売ってそのすべてを手に入れた奸臣なのだ。
勝頼が信玄の後継者になっても、昌景と常に先陣を競争させられ、実力を振るいにかけられた。
信玄とすれば、急いで武田家の後継者を育てなければならない。悠長に帝王学を一から教える時間はない。ならば、家中一の実力者、昌景と実践で武勇を競わせ経験を積ませるしかない。
その過程が、信玄の起した西上作戦であり、勝頼に昌景憎しの感情を植え付けた原因だ。
勝頼は、強情な松姫を宥めるように言った。
「松や、お前の気持ちはこの兄はよくわかる。だがな、現在は戦国乱世の世だ。オレが父と義信の兄とのいざこざで心を乱したようなことがあってはならぬ。松よどうか、この兄のため、武田家のため、望まぬ縁談を受け入れてはくれぬか」
と、勝頼は松姫に居並ぶ家臣たちの目の前で頭を下げた。
兄が妹に頭を下げた。いや、主が家臣の目の前で、女に頭を下げたのだ。
現代では、考えられないかもしれないが、この時代の女は大名家であっても名前すら記されない時代だ。男尊女卑、男が女に頭を下げるなどもってのほかだ。それを、勝頼はやってのけた。
さすがの松姫もこれには、
「わらわ一人では、答えがだせぬ。わらわと信忠様の婚姻は、父・信玄が取り決めたこと、いくら兄の立っての願いとて反故にはできかねまする。一度、父の信任厚い忠臣の山県昌景に相談いたしてから答えをだしとうございます」
そう言って、松姫は下がって行った。
松姫が広間をするすると出ていくと、勝頼は、立ち上がって、小姓から太刀を奪い取ると、
「いつも、ワシの前には、昌景、昌景……ええい、忌々しい、いつかあ奴のそっ首この手で叩き落してくれるわ!」
と、言って厳めしい面で吠える虎の屏風を叩き切った。
つづく
どうも、こんばんは星川です。
最近、実年齢と精神年齢のギャップに苦しみます。
もう、オジサンなのに自己認識が追いつかず、18歳ぐらいの勢いで、若い女性に普通に色んな気持ちないまぜで「モテるでしょう?」と言ってしまいます。
そんな気持ちをできる限り客観的に書いてみました。
『モテるでしょう。オジサンは言った』
「モテるでしょう?」
そう声をかけると、決まってこう返される。
「え、全然モテたことありませんよ」
相手は若くて、可愛くて、どこに出しても好かれるタイプの女性だ。
言葉は控えめで、笑顔には照れが混じる。だが私は知っている。これが「様式美」だということを。
私が48歳の独身男である、という前提もあって、このやり取りには一種の定型がある。
「素直に褒めたつもりが、結果として自分の加齢を突きつけられる」という妙な構造だ。
だが、彼女たちの「モテたことありません」は、本当に嘘なのか?
あるいは、真実なのか?
モテる、という言葉は不思議だ。
「彼氏がいる」「告白されたことがある」「連絡先を聞かれた」――そういう“具体的な数字”でしか自分を評価できない人にとって、それは案外、自信をくれないものらしい。
理想が高すぎる場合もある。
自分が好きな人に誘われたことを1カウント、その他大勢はノーカウント。
なんとも潔癖で、なんとも贅沢な美女の鏡だ。
あるいは、自己評価の低さ。
可愛くても、人気があっても、自分の粗ばかりを気にしてしまう人は多い。
SNSを見れば、もっと可愛い人、もっとチヤホヤされている誰かが、無限に見つかる。上ばかり見ている。
そうなると「私なんて」とつぶやくしかない。
さらに言えば、防衛反応でもある。
「モテるでしょう」は、時に男の“好意の入り口”だ。
「そうです」と肯定すれば、相手がそのまま踏み込んでくるかもしれない。
だから、あえて否定しておくことで、その一線を引く。
それは、女の心のマスクかもしれない。
だが、私のようなおじさんには、そのマスクの下が知りたい。
いくらでも男が寄ってくる若さの余裕、美しさ証に裏打ちされた、マスクの下の本心が聞きたい。知りたい。いつも興味津々だ。
「モテるでしょう」と言ったあと、「モテたことありません」と返されたとき、
私の心にはふと、こんな声が湧く。
(もしかして、誘っても、いいのかな?)
喉元まで「僕とデートしませんか?」と声が出かかる。
たまに、結構、勇み足でSNSでは、「デートしよう」と誘いのコメントをすることも多々あるが、概ね、相手は返事に困って沈黙することになる。
そこで、気がついて、自分のコメントをそっと削除する。
「まあ、空気をわかれよオジサンだよね」
自制心が働くと代わりに、言う。
「そうは見えないけどな」
それが精いっぱいだ。たぶんそれでいいのだ。
それでも、心の奥ではまだ、思っている。
「オジサンだって、恋がしたい!」
その下心を捨てきれず、今日もまた、誰かにこう言ってしまう。
「モテるでしょう?」
〈了〉
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