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359『義昌の陰謀(左近のターン)』

「島左近?!」


 木曾義昌は、そう言って小首を傾げた。


「噂では、嶋左近カケルのことは御屋形様が亡くなった時に昌景の元を去り、医師の北庵法印とともに大和へ戻ったと聞いている。それが、また戻ってきたのか?」


 左近は、決まりが悪そうに、あごでて答えた。


「まあ、そう言うところにござる」


「あっちへ行ったり、また舞い戻ったり、主をコロコロ変える変節へんせつやからは好かん。失せよ。それよりも、早う山県昌景を連れてまいれ」


 木曾義昌は、鼻を摘んで陰険な笑みを浮かべた。義昌は、信玄の時代には娘婿になり重要な一門衆であったが、勝頼に代替わりしてから、国境の木曽谷を治める領主として微妙なかじ取りを模索しているところだ。左近を一目見た義昌は、その眼光の鋭さに腹の底を見透かされる気がした。表向きは苛立ちと軽蔑が浮かんでいたが、内心では昌景の目付きに似た左近を恐れていた。彼は、左近を目障りで一刻も早く消し去りたいかのように手を振り払った。


 昌景は、鶴岡城攻め前に、武田勝頼から受けた理不尽な折檻せっかんで病床にしている。勝頼は、信玄の死後、家中の統制を強化しようとし、時に過剰な手段に出ることがあった。昌景はその犠牲となり、今も鞭打ちの傷が癒えず、動ける状態ではない。勝頼の嫉妬の入り混じった厳しい統制は、家中の結束を保つためのものであったが、時にその手段は過酷であり、昌景のような忠臣ですらその犠牲となることがあった。


 だから、代理で嫡男ちゃくなん昌満まさみつが、姉婿あねむこ三枝さえぐさ昌貞まささだと家老の広瀬ひろせ景家かげいえと、孕石はらみいし元泰もとやすの補佐と、昌景指名の軍師・島左近の活躍で、なんとか東美濃を治める遠山氏一番の猛将もうしょう、鶴岡山の城主・下条しもじょう智猛ともたけ籠絡ろうらくせしめたところだ。


 それに、現在は、鶴岡山の西の裾野すそのに陣取る、織田信忠率いる3万の大軍を、1/10の寡兵3000で昌景抜きでどのように迎え撃ったものかを話し合っているところだ。織田信忠は、織田信長の嫡男であり、次期当主としての期待を一身に背負っている。彼の軍勢は精鋭揃いであり、数の上でも圧倒的な優位に立っている。そもそも、勝頼率いる武田家の総勢でも1万5000人で、織田家の半分に満たない。信玄の死後、武田家は内部の結束が揺らぎ、勝頼の指導力にも疑問が投げかけられていた。戦の常道では負け戦の目算が高いのだが、それでも武田家の武将たちは一縷の望みをかけて戦いに臨んでいた。


 今、病床の昌景は、東美濃の武田の前線基地、岩村城で盟友めいゆう秋山あきやま虎繁とらしげの妻で、織田信長の叔母に当たるおつやの方の手当てを受けていてここにはいない。義昌はそれを承知で無理難題を申しているのだ。


「織田家の次期当主、信忠を討つ絶好の機会に、昌景は何をしておる、早う、ここへ連れてこぬか!」


 義昌は、山県隊にはできないことを承知の上で要求してきているのだ。



 昌満は、口元を一文字に結んだ。そして、重い口を開いた。


「父上は、ここにはおられませぬ」


 義昌は、知ったうえで、ワザとらしく芝居でもするように首を捻った、


「な~に~、昌景は、信忠を討つ絶好の機会を自ら指揮せぬでも、昌満殿の采配で十分だと判断されたのか、これは、昌満殿は相当の器量だな」


 義昌の皮肉である。勝頼の元に居た義昌は、昌満が不慣れな山城攻めの鶴岡山城攻略に散々手こずったことを知っている。その証拠に、手こずる昌満に勝頼から、力攻めにせよともげきまで発したほどだ。


 これは、勝頼の使いの義昌が、昌満に新たな難癖なんくせを付けに現れたに違いない。


「どうして、この大事な戦の前に昌景は居らぬのだ! 足利将軍家をないがしろにする織田信長の野望を挫かんとする若殿の御威光ごいこうに、昌景は背くつもりか!」


 若い昌満は、義昌の脅しにも似た言葉に、顔色を失った。手は震え、目は焦点を失ったように揺れ動いた。立ち上がると、その動作はぎこちなく、まるで足元が崩れ落ちるかのようだ。声は震え、言葉を紡ぐのに苦労しているのが明らかだった。「父上はここにはおられませぬ」と、ようやくの思いで言葉を絞り出した。


 姉婿の三枝昌貞も、家老の二人も同じくである。山県隊では、唯一人、佐近だけが末席で沈着冷静ちんちゃくれいせいを保って、話しの流れを聞いている。


 義昌は、「ははーん」と気づいたような素振りを見せた。


「そうか、昌景は、織田の小倅こせがれ信忠にすら恐れをなしたか」


 と、挑発するようなことを言う。


 これには、たまらず、家老の広瀬景家が口を挟む。


「あいや、木曽殿、御大将に限って、そのようなことはござりませぬ」


 義昌は意地悪く、言葉を重ねる。


「大事な、織田家との戦を前に昌景が居らぬとは、武田の赤備えが聞いてあきれるわ。これならば、昌景の代わりに、若殿より大将を派遣してもらわねばなるまいのう」


 それが、勝頼の意を受けたそもそもの義昌の目的だ。昌景が動けぬのをいいことに、武田の赤備えを昌景から奪い取ろうというのが眼目だ。


「そうだのう、若殿の元に居られる、長坂釣閉斎殿はどうだ」


「長坂釣閉斎殿!」


 昌満を始め、三枝昌貞と二人の家老も目を丸くした。


 勝頼の側近の長坂釣閉斎は、吏僚りりょうである。内政の領内の奉行職、金山掘削、駿河の航路の開拓などならまだしも、戦の陣頭指揮など一度もしたことがないだろう。それに、釣閉斎の戦下手は、信玄から、あ奴は、戦場ではのうて、後方支援でこそ生きる男だと、兵站へいたん荷駄奉行にだぶぎょうを任されるのが精一杯だった。


 戦場での武勇と知略と比べればツキとすっぽん比べるべきもない。


 赤備えを信玄も認めた戦下手の長坂釣閉斎に任せると言うことは、勝頼は、この戦で山県隊を捨て駒に使うということだ。


 これまで、末席で黙って話を聞いていた左近が口を開いた。


「木曽殿、心配には及びませぬ、御大将山県昌景は、織田家との決戦に向けて、こちらへ向かって居り申す」


 昌満は、目を見開いて、左近に尋ねた。


「左近、それは真か!」


 左近は、静かに頷いた。


「よし、左近、それが真ならば話は別だ」


 昌満は、義昌に向き直って、佐近が申す通り、父・昌景はこちらに向かっております。若殿の側近、長坂釣閉斎殿の御登場には及びませぬ」


 義昌は、口を尖らせて、信じられないと言った表情で問うた。


「昌景の出陣、島左近とやら、嘘ではあるまいな!」


 すると、左近は、懐から文を取り出して義昌に差し出した。


 文に目を通した義昌は、悔しそうな表情を浮かべて、文を握りつぶして、足元に叩きつけた。


高遠城たかとうじょう仁科にしな信盛のぶもり殿の元に居られる松姫様が、昌景の様態を聞いて躑躅つつじケ(が)崎館から、医師、甲斐かい徳本とくほんを呼びつけて、共に、岩村城に入って昌景を治療したのか、まったく、あのじゃじゃ馬が……昌景が着いたら伝えておけ、本隊は動かぬ。せいぜい、盟友の秋山虎繫と協力して、信忠を討ち獲れとな! まったく、昌景め悪運が強きことよ」


 義昌は、悔しそうに言い捨てると去ろうとすると、立ち止まり言った。


「ああ、そうだ、忘れておったわ。秋山虎繁が、明知城の重臣おとな飯羽間いいばま右衛門尉うえもんのじょうを調略いたしたとのことだ」





 つづく


どうも、こんばんは星川です。


私はメンタルの病気を持っています。それでも、一応物書きの端くれですから人の心や痛みが多少わかります。


同じ病気を持つ仲間からは、病気の体験者として、共感できるところも多く、相談を受けアドバイスすることもある。


その中で、今日、相談相手から「アドバイス通りしたら変わってきました」と嬉しい報告。


私のアドバイスは、


1こころのモヤモヤを紙に書き出す。

2それを見て、振り返り整理する。

3毎日3つ感謝をし、紙に書き出す

4身近な人のイイところを1つ探す。


これを、毎日メモにして、行動して行くこと、らしいです。


アドバイスしておきながら私は失念しておりましたが(笑)


未熟な私でも、少しは身近な人を好転する手助けができたようです。


それでは、今夜はこの辺で、また来週に。

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