315 島左近の策と鶴岡山の伏兵(左近のターン)
岩村城の議論は軍師 島左近の登場で白熱した。広間には、岩村城主の秋山虎繁、その妻おつやの方。山県昌景隊からは、勝頼に打擲されて動けなくなった昌景の副将の娘婿 三枝昌貞が代わりに。同じく娘婿 相木朝昌、横田高松、昌景の嫡男の昌満。家老の広瀬景房、孕石元泰、そして、島左近が並んだ。
座長の秋山虎繁は、東美濃の絵図面を広げた。武田軍が織田家の美濃国の本拠地岐阜城へ攻め込む道は三つある。一つは、木曽谷を源流とする岐阜を抜け尾張、伊勢湾へそそぐ木曽川の道。二つ目は武田の西信濃の拠点 飯田城から伸びる二つの街道だ。
北の街道は織田家の配下遠山一族が拠点とする恵那谷、ここには、苗木城、恵那城、大井城などの拠点が集まる。南の街道は岩村谷につながる街道、ここは、武田家の猛将 秋山虎繁が押さえて居る。今回の武田勝頼の作戦は、織田の拠点岐阜城への一本道、北側の恵那谷を落とし上洛の道を確保しようというものだ。
勝頼は、西信濃の飯田城にあって後詰めを務める。木曽川を下って武田信玄の娘婿 木曽義正が北から恵那を攻め、南の岩村城から秋山虎繁が挟撃する。虎繁が最前線の岩村城を留守にすると、織田は黙っていない。すぐに岩村へ向けて織田領内の多治見から進軍してくるだろう。山県隊に与えられた役目は、恵那谷攻めの間、織田信長の援軍を許さないことにある。
「さて、困ったのう」
秋山虎繁が、勝頼に打擲されて動けなくなった武田信玄の愛弟子山県昌景の不在を嘆く。昌景の副将 三枝昌貞も先ほどから、虎繁と額をつき合わせるが大軍で攻め寄せる織田の援軍をいかに抑えた物か頭を悩ませ、山県隊の忠臣を会議に集めた。
「秋山殿、織田の援軍は一体どれほどを想定されておられるのですか?」
と、若い昌満が尋ねた。
虎繁は、苦い顔して、
「織田信長は、石山本願寺に釘付けだ。おそらくここへは信長自身は救援に来ないであろう。だが代わりに、岐阜城を任される嫡男の信忠と美濃衆が来る。それに、西美濃を発祥とする老練な明智光秀あたりがついてくれば厄介だ。そうだのう、兵に直すと三万は下るまい」
「三万ですと!」
左近以外の一堂が、虎繁の読みに驚きの声を上げた。
三枝昌貞が、目を見開いて尋ねた。
「三万と言えば、現在先行する若殿の本隊がその半数の一万六千。我が山県隊が六千。合流しても織田の兵にはおつりがくるのでございますか」
「そうだのう、武田の全軍を上げれば三万の兵を動員することは可能であるが、そうなると、三河の徳川家康も黙ってはおらんだろう」
山県隊の家老の広瀬景家が、眉を寄せてみた。
「徳川家康が、篭絡した長篠城の奥平信昌と結託して奥三河を手の内に入れますか」
「うん、そうだ。奥三河を徳川に抑えられては、これまで徳川の喉元に鯉口を突き付けていたこちらがあべこべに、南信濃の侵攻を容易にしてしまう」
相木朝昌が、疑問を尋ねる。
「秋山殿、それでは、武田の総勢は二万二千で織田の三万に当たるのですか?」
「それだけではあるまい。信長がその気になれば、援軍をその倍六万は集められる。まったく大きなものよ」
横田高松が青い顔して、それでは、我らは勝ち目のない戦に踏み出したということにございますか」
虎繁は、簡単な解でも示すように答えた。
「いや、御屋形様(武田信玄のこと)や、その弟子の山県昌景がおれば問題あるまい」
孕石元泰が、虎繁に同意する」
「さようにございます山県の殿の頭脳と武勇をもってすれば、倍の兵力を相手にしても五分、それ以上の戦況にできますな」
「そうだ、こたびの戦には御屋形様も山県殿もいない。その頭脳で不利な戦況をひっくり返せる言わば天才が居らぬ以上。戦況は戦の定石で決まるであろう」
おつやの方が口を開いた。
「ここに、昌景様の見込んだ先の嶋左近がおればもしや何かしらの知恵を閃いたやも知れませぬのに、嶋左近は今どこじゃ」
三枝昌貞が、悔しそうに、目を伏せて答えた。
「御屋形様の治療のために派遣されていた大和 筒井家の医者、北庵法印とともに、現在は、筒井家に帰参いたしました。
おつやの方は目を見開いて、
「筒井じゃと! 筒井と言えば今や織田家の家臣ではないか、嶋左近は織田家の手の内におるのか」
驚きを隠せないおつやの方に、昌満が、心を落ち着かせようと言葉を繋ぐ。
「ご安心くださいませおつやの方様、嶋左近には、私の姉 お虎も同行しております。先ごろ、姉からの便りがございました。現在の筒井家は、織田家では、大和を任される家老の原田直政の配下にあり、食わせ物で有名な松永久秀と共に、左近の主筒井順慶を競わせてこき使うことに気をとられているだけで、嶋左近の実力を信長が垣間見るいとまがございませぬとのこと」
おつやの方は胸をなでおろして、大きく息を吐いた。
「はー、それを聞いて安心した。嶋左近が、信長の眼鏡にかない取り立てられて我らの敵として現れては、戦局をどう引っ掻き回されたものかわかりませぬ。それを聞いて安心した」
虎繁が、難しい顔して、
「だが、相手に嶋左近が出ぬとしても、こちらも山県殿がおらぬ。知恵比べでは五分じゃ。そうなると、戦局は兵の数で決まる。それは如何ともしがたい」
それまで、末席で黙って話を聞いていたもう一人の島左近が口を開いた。
「策ならありますぞ」
秋山虎繁が、目を見開いた。
「それは真か!」
「はい、山県の殿ともう一人の嶋左近の閃きと同じかはわかりませぬが」
「それはどんな策じゃ話してみよ」
と、虎繁に、策を披露せよと命じられた左近は、腰帯から扇子を引き抜いて絵図面の一点を指示した。
「我らはここに伏兵として陣を張ります」
虎繁は、左近の指示した場所に目を見開いた。
「鶴岡山か」
「左様にございます。岐阜への出口を二本に分ける鶴岡山に我ら山県隊が伏兵として姿を隠せば、北面、南面どちらの細い街道から織田の援軍が来ようとも横槍をいれることになり、たやすく打ち取れます」
左近の策を聞いた虎繁を始め一同が感嘆の声を上げた。
「わかた左近。お主はさすがあの山県殿が自分の居らぬ間軍師を任せた人間だ。皆の者此度は、左近の策で参ろう。飯田城で後詰を務める若殿は、戦局が動くまで動くまい。我ら岩村の衆は、木曽義昌と挟撃の態勢をとり恵那谷を落とす。山県隊は鶴岡山に伏兵として潜み、南北の街道を援軍に向かう織田の兵をことごとく侵入を防いでくだされ。軍議は以上だ。皆の者動くぞ!」
つづく
皆さん、こんばんは星川です。
本日のあとがきエッセーは、
「人生の先輩から『旬の野菜』を食べるようになってから、手足ポカポカになった話」
テニス仲間の人生の先輩の助言に従って旬の野菜を食べるようになって5日ほどが経った。60歳を越える年齢なのに2試合ぶっ続けでプレーできる人生の先輩の体力の秘密を聞くと、”旬の野菜をたべること”だという。
それを聞いた5日前から、実践する旬の野菜をたべることの効果について書きたい。
これを執筆しているのは土曜日なのだが、拙作「オタ転」執筆にはおよそ3時間かかる。
3時間も集中すると、脳に血流が集まるのか、手先、足先が冷え切ってしかたなくなるのが常なのだが、今日は、そんなことはない。
むしろ、かえって手先、足先はポカポカしているようにさえ感じられる。
2月の中旬、とはいえ、先ごろ関西では梅が咲き始めた。例年より、少し早いようではあるが、三寒四温を向かえているのだろう。昨日、一昨日は、20度に迫る陽気だった。
手足のポカポカにはその線もあると、一応、気温も調べた8℃。今日は、ゆるくはあるが冬型の気圧配置だ。
気温のせいで、手足がポカポカとは考えにくい。
やはり、他に、変わったことと言えば、人生の先輩が教えて得くださった”旬の野菜”を食べることぐらいしか変わったことはしていない。
この5日間、まず、最初に春キャベツを買った。これを中心に、毎日、変化をつけてゆく。
1日目、キャベツ、舞茸、カイワレ、鶏肉の野菜炒め。
カイワレ以外は、甘く感じられた。
2日目、キャベツ、舞茸、豆苗、鶏肉の野菜炒め。
豆苗は、シャキッとして美味い。豆苗は、2畑くらいあって、二日に分けて食べれそうだ。
3日目、キャベツ、しいたけ、ブロッコリー、豆苗、鶏肉の野菜炒め。
過去、ブロッコリーは冷凍を使っていたが、生でも少し蒸し焼きすれば簡単に食べられる。
豆苗は、使い切った。しかし、豆と根が残っている。ネットで調べると、水と光をやれば、再生栽培できるとのことだ。早速開始。
4日目、キャベツ、しいたけ、ブロッコリー、ブロッコリースプラウト、人参、保存して忘れていたハムの野菜炒め。
ハムからいい具合に脂がしみだして、醬油と合わさり何とも言えず旨かった。ブロッコリースプラウトは苦くないカイワレみたいだった。
5日目、キャベツ、しいたけ、ブロッコリー、人参、鶏肉、焼きそば。
本来好きなのは広島のオタフクソースであるが、2Lのボトルで買い置きのオリバーがあるのでそれで味付け。モリモリ食べて美味かった。
1~4日までは、16穀米とみそ汁を加えていたが、焼きそばにはつけなかった。
昨晩は、足りなかったのかな、消化したのかわからないが、23時を回ると小腹が空いて、マルタイの棒ラーメン豚骨を夜食に食べた。
そんな風に、野菜中心の食事改善をした5日間だったが、ホント、手先、足先が、ポカポカなの。毛細血管の隅々まで血流が駆け巡っているんだ。たぶん、きっと、知らんけど。
ホントね、12月、1月は、確かに寒かったのはあるが、晩御飯は、毎日、カップラーメンとごはんと昆布の佃煮だったの。
そんなことだから血流が濁ってドロドロ血だったのだろう。ホント、寝る時も厚手の靴下と手袋して寝るくらいだったから、食事改善の効果は絶大だ。
人生の先輩がポロッと言ってたけど、「話は素直に聞かなあかん」ね。特に、その道で飯を食ってる人のアドバイスは、素人のうぬぼれで分かったつもりで自分勝手に逆らう姿勢からしてそもそも間違ってるのを学んだ。
まあ、おりゃ、弟子の頃から孫悟空みたいなもんだから、逆らって、反発して、逃げて、「わっはっは~」と鼻を高くして高笑いしても、掌の上だったのが、いつものこと。
しかし、行く先々で、こんなアホウを気に入って、色々教えてくださる人の縁に恵まれているのはありがたい。
〈了〉
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それでは、また、来週に。