31無血開城。戦は兵の数にあらず、心を奪ってしまえばいともたやすい(戦国、カケルのターン)チェック済み
転がされた蜂の巣大膳は、顔を真っ赤にして、
「こしゃくな小僧よ。こんどこそ容赦はしないぞ! 」
手槍を掴んで立ち上がった。
「おれは、あきらめが悪いのが取りえでね」
蜂の巣大膳は、槍をカケルへ向け今度こそ、その胸板へ穴を開ける勢いだ。
「おれは、人を踏みつけにする人間を許さねぇ! 」
カケルは大千鳥十文字槍を旋回して、蜂の巣大膳へ槍の穂先を向けた――。
「ほほう。小僧、いや嶋左近とやら、己が首と反乱分子の首を斬り落として、武田への見せしめに槍で突いて並べてさらし首にしてやろう」
そう言うと蜂の巣大膳は、手槍を旋回して、ピタリとカケルへ向けた。
息が詰まるようだ。カケルと蜂の巣大膳、互いに相手の胸を狙って槍をつけ、額から流れる脂汗と、息つまる呼吸の音を数えている。死線の攻防だ。
「はあ、はあ、はあ……」
カケルも蜂の巣大膳も全身の毛穴から汗が吹き出している。
頭上の空で、「ピュー!」っと、鷺が鳴いた。
転瞬、この機会を逃してなるものぞと、蜂の巣大膳の手槍がカケルの胸元目掛けて伸びてきた。
カケルは、あわや! のところで身を捻りかわし、すぐさま体制を立て直して、蜂の巣大膳へ槍をくれた。
蜂の巣大膳は、カケルの突きを手槍で払い、二の手、三の手を突いてくる。まるでフェンシングだ。中庸の槍をシュプン!シュプン!と乱れついてくる。
カケルの大振りの大千鳥十文字槍は接近戦では小手先の効く手槍には不利だ。しかも、カケルはついこないだ戦国時代へ来たばかり、時代劇で槍さばきを見たことはあるが、実際は、普通の高校生だから槍なぞ握ったこともない。ただただ、そのでかい体躯と膂力を山県昌景に見込まれて仕官したに過ぎない。
もちろん、山県昌景が槍の手ほどきなぞするわけがない。副将の秋山虎繁もしかり。
今あるカケルは、嶋左近の持って生まれた天賦の才によるものだ。しかし――。
蜂の巣大膳も持って生まれた天稟を持っている。才だけなら互いに互角。あとは実戦経験と才智の優劣。この点、カケルは皆無だ。今だ人の血さえ見たことがない。
カケルは戦場におけるズブの素人なのだ。
蜂の巣大膳の槍は鋭い。しだいにカケルの鎧の隙間をついて身を切り裂く。
(このままでは殺されてしまう……)
そう思うとカケルは尻の力が抜けて腰が砕けて浮足立つような気になった。
それを歴戦の勇、蜂の巣大膳は見逃さなかった。シュプリ!シュプリ!カケルを追い詰める。
カケルは蜂の巣大膳の槍をかわすので必死だ。反撃どころではない。カケルはかわすのに必死で、よろけて足を滑らせた。
チェックメイト。
転んだカケルの胸に蜂の巣大膳の槍がつけられた。
その時、
ドゴーン! ドゴーン!
城門が悲鳴を上げた。
「逃げろ~逃げろ~武田の総攻撃がはじまっただ~」
雑兵の悲鳴を聞いた蜂の巣大膳はぐぬぬと渋い表情を浮かべて、
「左近よお主との勝負はあずけおくぞ」
と、言い捨てて、城門の備えはあきらめて、兵をまとめて本丸へと返して行った。
(はあ、助かった。命拾いした。山県のおじさんがもう少し遅かったら確実に死んでいた)
そう思うとカケルはゾクゾクと背中に鳥肌が立った。
「開門! 開門!」
吾作たちカケルを助けた反乱分子が城内から門を開けた。
すると武田の赤備の騎馬隊こと山県昌景隊がどっと突入してきた。
「左近! 左近! 嶋左近よ! お主の手筈どおりこの田峯城の皆を、食わせる飯をもってきたぞ」
山県昌景の声と共に、荷車に乗せられた大きな釜が運ばれた。
「おおっ! 飯だ飯だ、炊きたての飯だ。武田はワシら田峯の兵の命は取らずに飯をくださるそうじゃぞ!」
「なに、武田は飯を腹一杯食わすと申すか、これは徳川じゃのうて武田へ鞍替えせねば損じゃ。ほれ皆の者、命を粗末にするでない。はよう槍を捨て城を捨てぬか!」
吾作をはじめ反乱分子に呼応するように田峯の城兵たちは戦うのをやめ、次々に、槍を捨てた。
「おお、本丸が自己開門したぞ。おお、おお、あれに捕らわれているのは、田峯城城主、菅沼定忠と、その嫡子、蜂の巣大膳ではないか」
本丸から、縄で後ろ手で縛られた城主、菅沼定忠と大膳の親子が、腹を空かせた痩せた城兵立ちに引っ捕えられて、カケルの目の前を通り、山県昌景のもとへ連れられて行く。
カケルは己が策。ただ、城へ女房や娘を人質に取られ否応なく城の城兵になった百姓の嘆きを聞きそれを救いたい一心。それが功を奏して無血開城に相成ったことが、まるで、狐につままれたかのような心持ちで見送った。
やがて、菅沼親子は山県昌景の足元へ屈した。
「さて、此度の田峯城攻略の一番手柄は、嶋左近であるな」
馬上の小男、なまずヒゲをなでながら山県昌景は嶋左近ことカケルを呼びつけるとこういった。つづけて、
「……左近、お主の活躍見事! さすがワシが見込んだだけのことはある。よって、此度の恩賞を申し渡す。心して聞け」
カケルは戦国の褒美よりも、暖かい自分のベットでの睡眠と、母、清美の作った塩コショウと醤油のきいた美味い青椒肉絲が欲しかった。
「では左近には、今回の恩賞として、菅沼親子を寄騎として仕わす」
「えっ! 菅沼親子を寄騎に仕わすってどういうこと?」
「菅沼親子は降伏したによってな命は取らぬ。しかし、逆らったで処遇を今のままで捨て置くことはできぬ。よってじゃ」
「はい、よって?」
「幸い、我が山県隊の先鋒をつとめる左近、お主には、まだ、仕官したばかりゆえ家来がおらぬ。そこでじゃ、今回の恩賞に、歴戦の猛者、菅沼親子を仕わす」
「マジっすかーーー!」
山県昌景はまたまた"やっかいな家臣の信頼を勝ち取る"無理難題を与えた。カケルの心の叫びを聞いて、意地悪く微笑むのであった。
つづく