299 長篠の戦への序章 山県昌景からの書状と左近の決意(左近のターン)
「コンコン!」という音が、今井信元の隠れ屋敷の戸を叩くのを聞いた。
信元は、獅子吼城城主としての威厳を保ちながら、戸を開けた。
外には、旅の商人に扮した男が立っていた。その男は、信元に向かって礼儀正しく言った。
「左近さまに用があります。加藤段蔵と申します」
信元は、その名前に驚いた。加藤段蔵というのは、かつて武田家の透波者と呼ばれる忍びの頭領だった男だ。しかし、武田勝頼が家督を継いだ後、秋山十郎兵衛という新参者に透波者を奪われて出奔したという噂を聞いていた。
「加藤段蔵?おまえは本当に加藤段蔵か?」
信元は、隣に座っていた左近に目配せしながら、疑いの目で男を見た。
「はい、この男は本当に加藤段蔵でございます。元武田家透波者の頭領であり、現在は我が師である江尻城城主 山県昌景殿と某のつなぎ役をしてくれております」
「つなぎ役?」
「そうです。山県殿と某は、武田家の将来を案じております。勝頼公は若くして家督を継いだばかりでありますが、その政治や戦略には不安が多くあります。特に長坂釣閉斎と秋山十郎兵衛という者は、勝頼公に取り入って自分の野心を遂げようとしております。そのような者に透波者を任せることは危険であります。山県殿もそう思われております」
「なるほど」
信元は納得した。山県昌景というのは、武田家四天王の一人であり、武田信玄や武田勝頼の重臣だった。しかし、長坂釣閉斎の台頭によってその地位や権力が揺らいでいた。
「しかし、なぜおまえたちはわしのもとに来たのだ?わしは隠居の身だぞ。秋山十郎兵衛の主である長坂釣閉斎に仕えているわしの息子もおる。もしもわしとおまえたちがつながっていることが釣閉斎殿に知れたらどうなると思う?息子が冷や飯を食わされるかもしれんぞ」
信元は不安そうに言った。長坂釣閉斎というのは、武田勝頼の側近の一人であり、秋山十郎兵衛の盟友だった。釣閉斎は勝頼公に忠誠を誓っており、今や四天王や重心の中でも最も権勢を誇っていた。釣閉斎は嫉妬深く独占欲が強い性格であり、自分に逆らう者や自分の邪魔になる者は容赦しなかった。
「信元殿、ご安心ください。この左近も、加藤段蔵も今は松姫様のお供でございます。松姫様は、御屋形様(武田信玄)の娘であり、織田信長の嫡男 信忠の正室であります。松姫様は、武田家と織田家の和睦を願っております。万が一にも、一宿一飯の恩義のある信元殿には迷惑はかけません」
左近はそう言って、信元をなだめた。
「そうか、ならば左近殿、加藤段蔵とは外で繋ぎをつけよ」
信元は納得して、左近に言った。
「かしこまりました」
左近は外へ出ると、信元に一礼するとピシャリと戸を閉めた。
外に出た左近は、加藤段蔵に近づいた。加藤段蔵は、籠を担いだまま片膝ついて待っていた。左近が目の前に来ると、サッと襟から書状を取り出して差し出した。
「これは?」
「山県殿から左近様への言伝でございます」
左近は、段蔵から書状を受け取ると、サッと目を通した。
書状にはこう書かれていた。
”左近よ、どうやら勝頼公は徳川家へ全面戦争を仕掛けるようだ。現在、小競り合いが続く奥三河の田峰城や作手亀山城や長篠城の最前線である作手亀山の奥平定能の嫡男 信昌の元へ徳川家康の長女 亀姫が嫁いだ。それを知った勝頼公は怒り狂って長篠城を急襲するために出陣した。長篠城の菅沼正貞や菅沼満直の叔父甥は一族の田峰城城主 菅沼定忠の元へ逃れた。
勝頼公はすぐさま奥平から長篠城を奪い返すべく甲斐を立ち兵を出した。この戦いには対上杉の高坂昌信をのぞく四天王や重心も出陣することになった。この戦いが大戦になることは必至だ。
松姫様のことはお主の良いようにいたせ。しかし織田家へ下ることだけは許さぬ。
ー-山県昌景ー-”
「なんと!すでに勝頼公は動き出して徳川との全面戦争の火蓋が切られておるのか!」
左近は驚愕した。
「左様です。勝頼公はすでに出陣しました。山県殿や馬場殿や内藤殿も時期に出陣する段取りです」
「それはいかんぞ!何としても四天王や重心の出陣は防がなくてはならぬ。あの戦で対上杉の最前線 海津を守る高坂昌信殿以外はみな戦場に散ることになるのだ」
左近は憤った。
「なんですと、左近様が行かれた未来では危うい戦なのでございますか!」
段蔵は驚いた。
「ああ、ワシは未来から来た者だ。ワシの見て来た未来では歴史の本があって、そこには武田は長篠の戦いにおいて織田・徳川連合の新兵器 鉄砲の三段撃ちによって四天王の三人をはじめ多くの将兵を失うこととなる。何としても戦を避けねば山県殿は戦場に散る」
左近は段蔵に自分の正体を明かした。
「それは信じがたい話でございますが、左近様が仰るならば真実でござろう。では長坂釣閉斎や秋山十郎兵衛は何らかの情報を得て厄介な四天王や重心を戦場へ送り出し態のいい排除を目論んでるのでございますね」
段蔵は推測した。
「恐らくそうだ。山県殿が死ぬ歴史は動き出してしまった。だからワシは松姫様と共に歴史を変えるためにこの時代に来たのだ」
左近は決意を語った。
「それならば、私も左近様と松姫様に協力いたします。私は山県殿に忠義を尽くす者です。山県殿が死ぬことは許せません」
段蔵は左近に味方を約束した。
「ありがとう、段蔵。では早速行動しよう。まずは四天王や重心にこの事実を伝えて出陣を思いとどまらせねばならぬ。次に勝頼公や釣閉斎や秋山十郎兵衛に対しても何らかの手を打たねばならぬ。そして最後に松姫様を織田家へ送り届けねばならぬ」
左近は作戦を立てた。
「了解しました。では私は四天王や重心に連絡するために江尻城へ向かいます。左近様は松姫様と共にどちらへ行かれますか?」
段蔵は尋ねた。
「ワシは松姫様と共に躑躅ヶ崎館へ行く。そこで勝頼公や釣閉斎や秋山十郎兵衛と対峙するつもりだ」
左近は答えた。
「それでは気をつけてください。私も江尻城から急行します。また会いましょう」
段蔵は左近に別れを告げた。
「ああ、また会おう。そして歴史を変えよう」
左近も段蔵に別れを告げた。
二人はそれぞれの道を急いだ。
皆さん、こんばんは星川です。
今回は、エッセーなしで、代わりに「ハロウィンの奇跡」と「夫婦の愛」をテーマにした短編を書きました。
今夜は、そちらも合わせてお愉しみいただけます。
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それでは、また、来週に。