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295 松姫の逃亡とそろばん勘定銭勘定今井信元(左近のターン)

 信濃国諏訪へ向かう甲州街道を、愛しい織田信忠の横顔へ思いを募らせ、ひたすらに進む武田信玄の娘で、信忠からの恋文を握った松姫をようやく北杜きたもり 山の上の獅子吼ししく城が見える里村で追いついた左近は、腕を掴んで引き留めた。


 それまで、日本最大の勢力織田家の本拠地 すべての物流が集まる岐阜で、信長の嫡男 信忠の正妻として何不自由なく暮らしてきた松姫は、織田と武田の対立で、手切れとなり武田に戻されたが、同じ内陸でも岐阜と比べると田舎の感がいなめない甲斐では、気鬱になり、出来ることなら信忠の元に帰りたい思いが募っていた。そこへ、信忠本人からの恋文で、松姫は喜びに舞い上がってしまい、預けられていた兄 仁科信盛の城 韮崎城を抜け出したのだ。


「松姫様、いくらなんでも、韮崎を出た切りのそのきらびやかな姫御料のお姿では目立ちすぎます。織田信忠の元へ行くとしても、武田へ戻るとしても、ここらで、旅姿に身を隠さねば、この先は山賊もおりますれば危なすぎます」


「山賊じゃと! 武田の領内である甲斐には山賊がおるのか、信忠様のお膝元岐阜では考えられぬことだ。ああ、ああ、田舎は嫌じゃ」


「松姫様、私も織田領内のことは知っておりますが、岐阜と比べればたしかに甲斐は田舎ですが、ここで、そんなことを口ばしられては、どんな心持の者が聞いておるやも知れませぬ、お言葉は控えられよ」


「なにを言葉を控える必要があるものか、私は甲斐の国主武田信玄が娘、どこでどのような発言をしようと自由じゃ」


 松姫がここまで強情に信忠の元へ向かおうとするのは訳がある。世間の評判では、松姫と信忠の関係は冷え切っていたともいわれる。しかし、信忠は父 信長と違って坊ちゃん育ちなところがあって、松姫とのとこ入りも欠かさない誠実さがあった。その時はやはり夫婦だ、織田と武田の関係が安泰であれば大きな戦とはならずに済む。戦とならなければ、互いに国は疲弊せず富む。松姫は、信忠が相手ならば、織田と武田の和平がなるとの思いがあるのだ。


 現代の高校生時生カケルと魂が入れ替わったタイムスリップした左近は、迫りくる長篠の戦いで武田家が大きな痛手を受けるのを現代の教科書の歴史で知っている。すべてを推量したならばと手を放して、


「ならば、姫様。ここから先はお一人でご自由にお進みくださりませ、例え、この先に山賊がおり、襲われたとしてもそのご気性で御屋形様(武田信玄のこと)の娘だとおっしゃればよろしい。そのお言葉がどこまで通用するかは、ご自身の体で確かめたらよろしかろう」


 左近の率直な言葉に、勝気な松姫も考えを控える素振りをみせた。


「すまぬ、左近。お主は、武田家でも一番の忠臣 山形昌景の弟子であったな。私の言葉が過ぎた、お主の言葉に従い身形みなりを改めよう」


「松姫様、それがしの助言をお聞きいただきかたじけのうございます。ならば、村里のどこかで旅支度を整えましょう。ほれ、あちらの庄屋で夕飯の支度でもしているのであろう白煙が昇っております。姫様も、韮崎から歩きとおしで、お疲れでございましょう。今宵はあちらの家の主に一夜の宿をお借りいたしましょう」


 と、左近と松姫は、広い棚田をもつ庄屋戸の前に立った。



「すまぬ庄屋殿、旅の者にござる。どうか、今宵一夜の宿をお借りしたい」


 と、左近が大声で庄屋屋敷に声をかけ、しばらくすると、「はい、ただいま」とスッと戸が開き、背中に赤子を背負った若い十八くらいの娘が赤子をあやしながら出て来た。


「すまぬが、こちらの主殿に一夜の宿をお借りしたいのだが取り次いでいただけないか?」


 若い娘は、旅の侍姿の左近と、今ほど城を抜け出してきたかのような松姫を見るなり、一瞬どうしたものかと思案して、「へい、お見受けするとなかなかの御身分のお方、私では判断がつきかねますので、主人に相談いたしてまいります」


 といって、娘は奥に戻っていった。しばらくすると、娘に伴われて、白髪の頑固そうに眉間に深い皺をよせた身形の整ったまげを結った侍が現れた。首には紐でそろばんを掛けている。侍は、左近と松姫を頭の先から足の先までまるで値踏みするようにまじまじと見ると、


「そなたたちは、どちらの御家中で?」


 左近は、慌てて居住まいを正して、とっさに閃きのまま答えた。


「某は、駿河国 江尻城 山県昌景が家臣、嶋左近にございます」


「山県殿の家臣で嶋左近⁈ うっすらと聞いたことがあるようなないような御名前ですな」


 侍は、疑いの眼差しを左近に向けて、


「他の御同輩はどなたがいらっしゃる?」


 と、つづいて尋ねた。


 左近は、カケルが山県昌景に仕えたように前世では、カケルと同じ道をほぼ辿っている。かえって、カケルより左近の方が山県昌景家中では親しい付き合いを送っていた。知りも知ったりである。


「すまぬ某は徳川との戦 三方ヶ原の戦いよりの新参者ゆえ名がまだ売れておらぬ。山県昌景御家中には、広瀬景房ひろせかげふさ殿、孕石源右衛門はらみいしげんうえもん殿、娘婿の三枝昌貞さえぐさまささだ殿がおられる」


 侍は、左近の自信を持った答えに納得したように頷くと、戸口を開いて、こういった。


「今宵の宿賃の支払いは問題なさそうですな」


 左近は、侍の宿賃の言葉に首をかしげて、


「宿賃ですと?」


 侍は、当たり前のことと申すように、そろばんを弾きながら、


「左様にございます。某の家で客人を止めれば銭を取ります。その代わり、布団はもちろん、風呂も、晩の飯も朝の飯も食わせます。昨今は、武田の家も財務を取り仕切る長坂釣閉斎ながさかちょうかんさい殿が目付になってからは、一文単位で口うるさく目をひからせておりますでな。ワシも長坂釣閉斎殿が勝頼殿に引き立てられてからは、計算が得意な某も重用されておる。我ら獅子吼衆も勝頼公にお味方する身。御用が増えて、入用でタダでは泊めませぬ」




「獅子吼?」


「さよう、この北杜 を収めるのは獅子吼城を治める今井信元殿それが私です」


 左近は、驚いて、


「あなた様が、獅子吼城 城主 今井信元殿であられますか」


「さよう、多少歳は食ったがまだまだ若い者には負ける気はない。だが、もう、戦は遠慮したい。ワシは、この(娘の肩を引っ張り寄せて)妻と残された余生を面白おかしく生きるのだ」


 今井信元、御年90歳の老年のこの城主は、かつては、武田信玄の父 信虎の時代に武田家と対立する信濃国 諏訪頼満を支援し、甲斐国統一戦で激しく抵抗した過去がある。信玄が信虎を甲斐から追い出した後は、信玄に臣従し、信玄の側室となった諏訪御料を支え、後に、諏訪家を継いだ勝頼を支える重臣となった。いわば、左近の師、山県昌景はじめ四天王派と対立する完全なる勝頼派の人物である。


 おぎゃあ!


 左近たちの会話をさえぎるように赤子が泣いた。


 今井信元は眉毛を下げて、


「おお、泣くな孫丸よ。父は怒ってなどおらぬからな」


 左近は、耳を疑った。


「今井殿、娘御の背負う赤子は、今井殿の御子息であらせられるか?」


「恥ずかしながらそうじゃ、年甲斐もなく、この女中のお美津につい手をだしてしもうたら、子を宿してしもうた。いくら、ワシが若いつもりでも、ワシの寿命はそれほど長くない。元気なうちに、長坂釣閉斎殿に気に入られて、孫丸の将来の道を付けておきたいのだ」




 つづく


皆さん、こんばんは星川です。


本日のあとがきは、作者体調不良のためお休みさせていただきます。

あとがきを楽しみにされてる方、申し訳ありません。

来週には体調を立て直せるよう健康管理に気をつけます。




では、ブックマーク、ポイント高評価、感想、いいね よろしくお願いいたします。



それでは、また、来週に。

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