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287武田家の命運をかけた裏同盟 左近と段蔵の作戦(左近のターン)

 武田家滅亡の引鉄となるとなる織田・徳川連合の激突 長篠の戦で、穏健派で鍵を握る人物で左近の師である山県昌景と、駿河の国江尻城下で、武田家滅亡を阻止する計画に了解を得た左近と、加藤段蔵は、段蔵の隠れ家で次なる行動を額を突き合わせて思案した。


 段蔵の隠れ家は、江尻城下の外れの掘っ立て小屋だ。ここからは、茶畑が広がり普段は、農家の者がここへ農具などを閉まって置くだけで、人の出入りはなく人気ひとけはない。


「左近殿、勝頼公の説得と、北条氏政、徳川家康への陰で手を結ぶ裏同盟の手配、どちらを先に行いますな?」


 加藤段蔵は、難しい顔をして尋ねた。


 左近は、腕を組み、眉間に皺を寄せ、


「勝頼公は腰巾着の長坂釣閉斎に言わば洗脳されておるだろうから、裏同盟のお膳立ての済んだ最後でよかろう。しかし、ワシが現代で学んできた武田家滅亡を記した歴史書「甲陽軍鑑」の作者 長篠の戦を唯一生き残った四天王、高坂昌信殿には、話を通しておかねばなるまい」


「では、次の一手は、高坂殿の説得にござりますな」


「うん、そうだ。勝頼公は血気盛んなお方、長坂釣閉斎に洗脳されておるとは言え、その懐刀の跡部勝介は、山県殿に負けず劣らずの知恵者、勝介を納得させる地理的状況をつくれば、あ奴は我らに協力しよう」


「勝頼公のおわす甲斐国を挟んで南の駿河国江尻城の山県様とこころざし同じくする東の上野国こうずけのくに箕輪城みのわじょうの内藤昌秀殿、西の南信濃国深志城ふかしじょう、そして、北信濃の海津城 高坂昌信殿。四方を囲む四天王が一丸となって説得いたせば間違いござらぬな」


 武田家は武田勝頼の居る甲斐国(山梨県)を中心に、南の駿河国(静岡県 西)、東の上野国(群馬県)、北と西に信濃国が囲んでいる。


 南の山県昌景は、西に徳川家康を、東に北条氏政を牽制している。


 東の内藤昌秀は、山県昌景と、伊豆・相模・武蔵・下総・上総と関東平野の大国北条を挟撃する形で、北面の要だ。


 北の北信濃の高坂昌信は、先代の武田信玄と覇を競い合った軍神としても恐れられる越後の龍 上杉謙信への抑えだ。


 西の南信濃の馬場信春は、超大国織田家の備え 織田信長の総元締めを務めている。


 四方の重要拠点の四天王が一丸となって勝頼を説得すれば、軍略的にも納得せねばならない構図だ。


「しかし、高坂殿は、実力で信玄公に愛されたたたき上げの御仁故な、一筋縄ではまいりますまい」


 と、段蔵が難しい顔をした。


「ほう、ワシは前世では師である山県殿の元を辞してからは筒井家へ帰ったから、高坂殿とはあまり面識がござらぬが、どのような人物なのだ?」


「高坂殿は、才気煥発で美しきお方なれど、その出生が、田舎の庄屋の息子で、武士の家柄にあらぬ者にて、文字の読み書きができませぬ」


「なぬ、あの天下の四天王の高坂殿は文盲であるのか、では、ワシが未来で読んだ「甲陽軍鑑」はどのように書いたのじゃ」


「恐らくは、高坂殿の口伝えによる祐筆の代書かと」


「それでは、『三略六韜』『孫子』も読めぬというのに、信玄公と対等に渡り合った上杉謙信を、どのような軍略の知恵をもって抑えておるのだ」


 と、左近は話に身を乗り出した。


「はい、高坂殿は、抜群の記憶力を持っております。一度見た戦の展開は、『御屋形様が暗じよ』とお命じになると、それはもうご自身が采配を御振るいになられたように言葉で再現なさります。それは、常に信玄公のお側に仕え、つぶさにそのなさりようをまぶたに刻んだ。まさに、生き写しの采配を振るわれます。戦の才だけでなく、その判断力も御屋形様の生き写しにございます。心の中に嘘が一つあろうものなら、おそらくは首を縦に振らない御仁でございます」


「それほどの御仁であるのか、ワシは、一層、高坂殿に会いたくなった。いや、合わねばならぬ御仁だ。会って話を聞いて、ぜひ、武田家のこれからの展望を聞きたい」


「高坂殿ならば、必ずや、良き展望をお聞かせくださることと存じます。高坂様は、某が、下忍の時、急ぎ御屋形様に伝令にあがり、緊張と疲労と空腹で、言葉は足らず、話途中で気を失いかけ、腹の音が鳴る始末の役立たずの仕事を致し忍びとして自信を失い足抜けを考えた折、躑躅ケ崎城の中庭で、池に映る月を見つめて途方に暮れていると、握り飯を持って現れて『段蔵、お前も貧農の出仕であろう、私もそうだ。互いに最下級からの出仕だ辛労辛苦しんろうくしんもあろう。しかしな、私は境遇に負けない。必ず、立身出世して、我らのような人間を無くす世を御屋形様と作る! と、約束してくださいました」


「高坂昌信殿とは、まさに貧者一灯ひんじゃいっとうの士。下級の出仕なればこその苦労を重ね、それでいて、誠実さを失わない真の人だ。一層、教えを請いたくなった」


「奥三河攻略戦、三方ヶ原の戦いを共にした、先の嶋左近様も好奇心の塊のような御仁でしたが、あなた様も好奇心の塊で面白き御仁でございますな」


「ワシは、後の世の大戦 関ヶ原の戦いで死んで、現代のカケルどのと魂と肉体が入れ替わった数奇な第二の人生を生きておる。未来を見てきてわかったのだ。この戦国乱世もやりようによっては天下泰平戦のない世の中にするのも不可能ではないと」


「天下泰平でござりますか、なんと壮大な夢をお持ちで、まったく、どちらの嶋左近様も、てっ! はんでめためたごっちょでごいす」


「てぇ! はんでめためたごっちょでごいす とは、なんだ?」


「いや、思わず甲州のお国言葉が出てしもうた。意味は、とにかくすごいお方という意味にございます」


「鳶加藤殿、褒めすぎだ。ありがとう。それでは、北信濃 海津城の高坂昌信殿に会いに行こう」




つづく

皆さん、こんばんは星川です。


先日、初めて北陸福井県へ行ってきました。推し活の一環で取材もかねて、最近復元された”朝倉館跡”へ行きました。


朝倉館跡は、戦国朝倉氏の居城 一乗谷は約3.5キロメートル四方に広がる盆地です。朝倉氏は約120年間この地を支配しました。居城こそ復元されていませんが、戦国期の武家屋敷がどのように配置されているかがわかります。


屋敷との間は片道道路一本分で区切られています。


奈良などの江戸期の武家屋敷とは違い漆喰は使われていません。藁に土を混ぜ込んだ土壁です。


で、朝倉義景という人物がよくわかりました。


越前一国の領主朝倉義景はそれ以上の領地を望みうる環境にないのです。一条谷は山に囲まれた広い盆地のようなところです。 一条谷へ行くまでに、福井平野がありますが、義景は山里の要塞に隠れています。そこには、広い田園が開け、セミが鳴き、鳥が鳴き、鶴が飛ぶ、これ以上望むものがないほどの楽天地なのです。


しかも、一乗谷に行くには、福井平野の家臣団、武生、鯖江、敦賀と山里をいくつも超えないとたどり着けないのです。 そう、朝倉氏は織田信長と対立し盟友浅井長政の援軍に消極的だったのは、遠くしんどい旅路。おそらく、越前にこもれば誰も手出しできないと錯覚していたのでしょう。 それほど、越前は、山里と山里をいくつも潜り抜けないといけない自然の要塞なのです。


しかし、1583年に織田信長の家臣である柴田勝家によって一乗谷は攻略された。


で、義景の頭の中に思いを馳せてみて思いました。朝倉義景は戦国時代の名将として知られ今川義元のようなせいかくだったのではないかと。その手腕は越前国の安定と発展に尽力しそうとうなものだったかとおもいます。山里の義景には、他の領国を奪う考えは育たなかったのだろう。それが義景の限界だったと。

朝倉義景は越前国に満足していたのかもしれない。。。


戦国の覇者になるためには、濃尾平野のような国境が入り混じる緊張感がなければいけません。


おっと、次の話に移ってしまった。


本日は、このへんで



では、ブックマーク、ポイント、感想、いいね よろしくお願いいたします。



それでは、また、来週に。

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