259 一万貫の金の条件は城二つ。ドケチなった徳川家康と、筆頭家老酒井忠次(佐近のターン)
徳川家康は渋かった。現代の言葉で言うとケチだ。
熱田で、奥山休賀斉の命を帯びた徳川忍衆の疾風は、頭の服部半蔵に事の成り行きを報告に上がった。
疾風は、半蔵に稲葉の娘たちを買い戻す一万貫の金の工面を率直に報告したが、半蔵はまゆをしかめた。
「疾風よわかっておるか、一万貫の言葉の意味が?」
「はっ、お頭、わかっております。奥山休賀斉様と、渡辺勘兵衛様による奥平定能様の調略には必要な金でございます」
「馬鹿者!」
半蔵は呆れたように吐き捨てた。
半蔵の言葉の意味はこうだ。「一万貫の金の価値をわかっておるのか!」である。
戦国のこの時代五十石の米あれば、兵一人を一年養える額だ。一万貫あれば二百人の兵を養える。人身御供にあって菊水楼に売られた稲葉一鉄領内の不憫な娘たちであっても、たった、六人の娘を買い戻すには高すぎる。半蔵は、ケチな家康は首を縦にふらないと見込んでいるのだ。
それでも、疾風の熱心な説得によって半蔵は話しを上の三河支配、徳川家の筆頭家老酒井忠次に上げた。
酒井忠次もやはり……。
「馬鹿者! 三方ヶ原の戦い以降の殿が金に渋くなったのを知らぬのか‼」
の一言であった。
しかし、徳川忍衆の頭 服部半蔵は使いっ走りの疾風のような馬鹿ではない。
「酒井様、たった一万貫で、城二つにござりますぞ」
と、服部半蔵は、老獪なこの徳川家の重鎮を籠絡するため、その価値に見合う条件を引き合いに出したのだ。
酒井忠次は、苦労人の深い眉間の皺をいっそう深くして、
「半蔵、お主は、一万貫で、奥平の作手亀山城だけではなく、もう一城調略すると申すのか? して、その城は……」
「長篠城にございます」
酒井忠次は大きく目を見開いた。
雪が溶け始めた岡崎街道を、藁衣を頭からひっかぶった奥山休賀斉の案内で、渡辺勘兵衛こと現代の高校生 時生カケルと肉体と魂が入れ替わった嶋左近が作手亀山城の望める辻にさしかかる。
「渡辺殿、あれが奥平定能の作手亀山城にござるぞ」
佐近は、知っている。関ヶ原の戦いで銃弾に倒れるまでの謂わば前世で、カケルが嶋左近として山県昌景配下となり徳川家康を三方原に追い詰めた人生をなぞったように、先にその人生を体験したのは佐近だ。
「なんとも、ここは、はじめて来たとは思えぬように懐かしい郷にございますな」
「わかるか、渡辺殿。ワシは、この郷で生まれ、ここへやってきた剣豪の上泉伊勢守信綱に師事し、剣の修行に明け暮れた。そして独り立ちして、ここの奥山に篭もって剣の奥義にたどり着いたのだ」
「奥山殿の器量は、その身のこなし佇まいをみれば、タダ者でないのはわかりまする」
奥山休賀斉は、佐近に褒められ嬉しくなって、白い歯をみせ肩をぶつけて、
「渡辺殿には見ただけでわかるか、ということは、そこもともかなりの達人ということだ」
と、高らかに笑った。
シュタタタタ!
影が走ってきた。一万貫の金の工面に出ていた疾風だ。
疾風は、奥山休賀斉の前で膝をつくと、さっと、書状を差し出した。
受け取った奥山休賀斉は、パラリ開いて、眼を通した。
「なんだと、殿は一万貫の条件に城二つと申したのか!」
これは違う、服部半蔵の報告を受けた酒井忠次が「よい話し」を独断で決裁したのだ。三方ヶ原の戦い以降の徳川家康に決裁を仰いだら、さらに条件の悪い「山家三方衆の調略」にすり替わった屋も知れない。合理的な酒井忠次が、可能性の高い範囲で有利な条件を引き合いに出したのだ。
「疾風、して、殿は、どの城を望んで居る!」
「奥平定能の作手亀山城と、長篠城にございます」
奥山休賀斉は、難しい顔をして腕を組み、
「長篠城か、あそこは田峯城と同じ菅沼氏、奥平一門のワシが、定能叔父を調略するのとは訳が違う。殿は、まったく難題をふっかけるなかなかな商売人よ。どうおもうな渡辺殿」
「長篠城にございますか……」
佐近は、前世の記憶では、渡辺勘兵衛殿の偽名は使わず、筒井家家臣 嶋左近として、織田・徳川連合軍対、武田勝頼が覇権をかけて激突した決戦を聞き及んでいる。
しかし、徳川の人間として直接に、決戦の舞台 長篠城を調略することになるとは思いもしなかった。
コトリッ!
山間とは言え開けた街道筋だ。人の気配は感じないが確かに誰かが小枝を踏み割る音がした。
奥山休賀斉は、、腰の刀を引き寄せ、小声で、佐近に、
「誰か居る、備えよ」
と、耳打ちした。
プンと硝煙の匂いが、佐近の鼻腔を掠めた。
「鉄砲だ! 伏せよ‼」
と、佐近は、奥山休賀斉と疾風に命じた。
ズドドン!
一発の鉄砲が佐近たち目がけて撃ち込まれた。
「今だ、敵は一丁の鉄砲だ連射は利かぬ。林に逃げ込むぞ!」
佐近と、奥山休賀斉、疾風の三人は飛び起きて、近くの林に逃げ込んだ。
サササッ!
サササササッ!
複数人の影が佐近たちの向こうの林に身を隠しながら近づいてくる。
太い杉の木を背にした奥山休賀斉が、敵の数を指をり数えながら、
「……九、十……、十三! 敵は十三に鉄砲一丁だ。渡辺殿、疾風まとまっておっては、こっちは、囲まれて袋のネズミだ散会して、別々に作手亀山城を目指すぞ! では、ワシが囮になる先にゆくぞ!」
つづく
皆さん、こんばんは星川です。
ここの所、体調不良で勉強が全く出来ていません。
インプット不足で、今日、ここで書けるような話も思いつかないのですが、、、。
私、星川はメンタルの病気がありまして、かなり回復した現在でも時々不調に陥ります。
そんなメンタルの病気の理解を健常者の方々に、ピアサポーターとして、三月に機会をいただきましてお話しする原稿をこないだかいたのですが、
AI管理が進んだ昨今の労働環境、特に、A社の物流倉庫では、作業時間に突然のもよおし おしっこをする時間もないんだとか、その人は、ペットボトルに用を足すそうです。(アメリカのお話、日本は知りません)
これって、「あそび」がないんですよね。
ここでいう「あそび」とは、公園で走り回ることや、息抜きではございません。
皆さん、車の免許はお持ちでしょうか?
運転免許教習ではじめて車に乗ると、一番最初に教えられるのが、ハンドルの「あそび」です。
教官が、
「ハンドルを軽く動かして下さい」
素直に左右に動かすと、グラグラと少し動く
そうこれが「あそび」です。
このハンドルの「あそび」があることによって、人の操作に即反応するのではなく緩やかに操作できるのです。
なんでもねハンドルこの「あそび」が無い時代があって、その時代は操作ミスが多かったんだって、偶然この「あそび」の感覚に気づいた人が取り入れてから、ハンドル操作の事故は激減したんだって。
で、まとめますと、AIに管理されすぎた世の中は、この「あそび」の概念が無駄と判断されやすく、人間を追い詰めすぎて居るんじゃないかと思うのです。
現在、必要な概念はこの「あそび」じゃないかと思うのです。
あれじゃん、どこの職場も適正人員の名の下に少し足りない人員で回してルじゃん。
余裕のない社会って、クリエイティブな人材は生まれないんじゃないかって思うのです。
なんか、ようまとめきらんわ。あは♡
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それでは、また、来週に。