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201養老縁起、左近、関ケ原の戦いをおもう……。(左近のターン)

 渡辺勘兵衛こと現代の高校生、時生カケルの肉体と入れ替わった嶋左近は、信長に、現在、明智光秀の家老に収まった斎藤利三引き抜き問題を訴え出た稲葉一鉄の領内で、利三の一件が解決するまでの間、身代わりとして仕えることとなった。


 稲葉一鉄の領内、曽根へ入っ左近は、領内で持ち上がったかどわかし事件の捜索の任務を与えられた。


 なんでも、夜な夜な、養老山辺りから幽玄な高貴な女が現われて、曽根の若い男と睦んで帰るとか……、それだけなら、良いのだが、女と睦んだ若い男は皆、女の霊気当てられて、昼間の仕事をほったらかし、夢うつつに昼日中をボンヤリとすごす骨抜きの人間になってしまうそうな。


「今朝の芋作いもさくで五人目です。何が原因でそうなるのか僧籍の私には分かりませんが……」


 養老山の登り口で、左近は、道案内の宗傑からそんな話を聞き思案に暮れた。


(決まっている。男と女は睦ごとの相性一つで良くも転べば悪くも転ぶものだ)



 養老山は、尾張名古屋から岐阜に広がる濃尾平野の西方に、琵琶湖のある近江国と美濃国の国境を伊吹山と共に分断するように並ぶ養老山系に位置する。


 幅は約二・五里(およそ十キロメートル)、延長は約、六・三里(およそ二十五キロメートル)に及ぶ。標高は北部が約八町(およそ九百メートル)、南部が約三・六町(およそ四百メートル)の足で登るにはなかなかの山だ。


 なかでも養老山(多芸山)は、岐阜養老と大垣にまたがる高い山で標高は七・八町(およそ八百六十メートル)もあり、アカシア、コブシ、コナラ、ツゲ、アケビの原生林が生い茂る。


 この要山は、昨年に林通政が活躍した長島一向一揆において、敗退濃厚となった織田軍の退口。退却の間道となった。養老山系の山々から、一向宗に雇われた伊賀者が突然現れて奇襲を仕掛けた戦場でもある。


 戦場となった養老も今は死体も転がってはいない。戦が終わると、近隣の農民が、死んだ兵士の刀や鎧兜を引っぺがして、金に換える。その売られた武具をまたぞろ、元の主、ここでは信長が大量に買い戻し、何事もなかったように手入れだけして、次の足軽へ渡すのだ。


 自然の摂理とでも言おうか、戦で人が死に、野谷に倒れた累々の屍は、人がかたずけ摂理を回していく。


 稲葉一鉄は、養老に死んだ者を弔うつもりだろうか、華渓寺を建立して華を添える。


 左近と道案内の宗傑は、山系を登りながら道すがら、眼下へ広がり行く曽根と濃尾平野、そして、伊吹山と養老山に挟まれた関ケ原をまなこに収めて行く。


 左近は、関ケ原を望むと、思うところがある。


 前世では、左近は、大将石田三成の誇りを尊重して、徳川家康の暗殺や、襲撃、奇襲、といった卑怯な手段は一切取らなかった。


 三成は、共に育った秀吉子飼いの武将たちを最後まで信じて、秀頼様の為に自分が立てば、加藤清正も、福島正則も共に立ち上がって、天下簒奪を謀る家康の野望の前に結束できるものと思っていた。


 しかし、結果はちがい、共にたちあがったのは、戦慣れした部将は大谷吉継と小西行長、あとは算盤働きの吏僚の長束正家、前田玄以などであった。


(敗因は、三成殿の信の無さ……)


 三成は、秀吉に代わってその鋭利な思考で、豊臣の台所を一手に仕切った。四国征伐、九州征伐、北条征伐の国内の戦のころはまだよかった。相手を討ち滅ぼせば、相手の領地を戦働きのあった者へ論功行賞で与えればよかった。


 しかし、朝鮮の役はいけない。肌の色の同じ黄色人種とはいえ、歴史伝統、言葉の違う朝鮮人だ。土地と領民を奪っても、言葉が通じぬ侵略者、いくら朝鮮の領主よりも善政を敷こうが、前の領主の間者が領内へ入り込み、民に、、自分たちの悪政を、新任の日本の領主の責任にすり替えて、揺さぶりを図り続ける。


 いくら、加藤清正が、小西行長が善政を敷こうとも、言葉が通じないことを逆手に取られて、あべこべに、情報戦でからめとられてしまうのだ。


 そして、朝鮮からの撤退。


 血を流した加藤清正をはじめとする武断派は、草臥れ儲けの怒りの捌け口を、行政を司る三成に求めた。それだって、秀吉が存命中ならどうってことはない。しかし、朝鮮の役の敗退を決めたのは、秀吉の死んだあと、三成が一存で決めたことが最大の恨みを買う原因になった。


 いわば、秀吉にあった戦の責任を三成が悪いとこだけ引き受けたのだ。



「……渡辺様、休息はこれぐらいにして、そろそろ、先に進もうとおもうのだが、さっきから、物思いに思案に暮れておるようだが、なんぞございましたか?」


 と、宗傑が尋ねた。


「いや、昔のことを少し、思い出しておったのです。なんでもございません。参りましょう」



 ゴゴゴゴゴッ!


 宗傑に従って左近がしばらく行くと、切り立つ谷から、瀑布ばくふをあげる滝にぶち当たった。


「これが、かつて元正天皇が病を癒しに浸かったという養老の滝にございます」


 見事なものだ。養老の滝は瀑布を上げ川底の岩を叩く。


「まさに、この滝は霊験粗方でございますな。ほう……」


 左近が、滝つぼに目を写すと、白装束をまとった若い女が滝に打たれている。


「あれは、病を持つ近隣の娘でございましょう。元正天皇の縁起にちなんで、近隣では、医師の治せぬ病を持つ者は、こうして、霊験粗方なこの養老の滝の御利益にすがるのでございますよ」


「そうか……」





 つづく

どうも、こんばんは星川です。

皆さん知ってますか? もう、師走ですよ。師走、十二月。

私の感覚では、つい先日、正月を迎えたと思ったら、もう年末。一年が終わろうとしています。

なんて、早いんでしょうか。


私、最近は、モチベーションが低くて、毎日が辛いです。年齢的にも男性の更年期障害でしょうか。まったく、歳は取りたくないものです。

そこで、来年は、寅年。趣味で、二年ほどコツコツと時間をかけてレザーで財布を作ってまして、それが、早くて、年末に、遅くても、来年一月には仕上がります。

なんでも、寅年におろした財布はお金がザクザクたまるそうです。

それなら、いっそ、もっと、縁起を担いじゃおうと、来年は早いうちに、虎に関わりのある寺、以前、拙作でも登場した朝護孫子寺に参っちゃおうと計画しております。

(松永久秀の居城信貴山城のあるところ)

めっちゃ、ご利益が高いようです。いっちゃお~!


おっと、長くなってしまいました。


それでは、皆様、ブックマーク、ポイント、感想などありましたらよろしくお願いいたします。

来年、朝護孫子寺行けましたら、星川亮司のツイッターなどで報告いたします。


では、また、来週に~。

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