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【改題】嶋左近とカケルの心身転生シンギュラリティ!  作者: 星川亮司
一章 疾風! 西上作戦開始!
19/398

19山家三方衆(戦国、カケルのターン)チェック済み

 ――元亀三年(1572)九月二九日。


 信濃(現在の長野県)から三河(愛知県南部)へ下る街道を武田信玄の先鋒騎馬隊の代名詞"赤備え"の山県正景隊が進軍して行く。


 三メートルに迫る巨馬霧風に跨がった、これまた2メートルに迫る大男嶋左近と魂が入れ替わった現代の高校生 時生(ときお)カケルが赤備えの甲冑も鮮やかに颯爽と緑の田園を行く。


 カケルは、山県正景から(たまわ)った朱槍大千鳥十文字を岩村城の女城主おつやの方様懐柔作戦で寝所へ一緒に忍び込んだ甲斐忍び透波者(すっばもの)の鳶加藤こと加藤段蔵を槍持ちに預け、道中を行くとやがて……、


「ぐぅ~」


 と、腹が鳴った。


 鳶加藤は、抜けた前歯をにかっと剥いて、


「左近殿は、いつ徳川勢が襲って来るかもわからぬ敵の領内を行軍しておるのに、気の抜けた腹の虫が鳴き声をあげるとは、まったく、大物にございますな」


 カケルは腹をさすって、


「このデカイ嶋左近さんの体のせいか食っても食ってもスグ腹が減っちゃうんだよ」


 鳶加藤は、にかにかと、馬上のカケルに近づいて懐から竹包みを取り出して渡した。


「これは? 」


「開けてみなされ」


 カケルが竹包みをあけると大きな小判ほどの切り餅にきな粉をまぶした安倍川もち。


「まずは一口ご賞味あれ」


 カケルは鳶加藤に促されるまま安倍川もちを口へ運んだ。


「甘い! 戦国時代へ来て初めて甘い物食べたよ」


「ほほう左近殿は、甘い物もいける口にございますか、ならば……」


 鳶加藤は、腰の竹筒をカケルへ渡した。


「だまされたと思ってこれを安倍川もちへかけなされ」


 カケルは、鳶加藤から渡された竹筒をそろりと竹包みの安倍川もちへこぼした。中からはトロリと黒い液体がこぼれた。


「食べてみなされ」


 カケルは、黒い液体がかかった安倍川もちを食らった。


「うめぇ~、鳶加藤さんこれは黒蜜だね!」


「さようにござる。我が武田の者は、非常食として安倍川もちと黒蜜を携帯しておりもうす。題して信玄餅とでももうしましょうか」


 長閑(のどか)である。田園を行軍する一軍であるのに、カケル、いや嶋左近と言う、(おとこ)は快活で心地よく笑う。これから血で血を洗う戦がはじまると言う、ことすら忘れてしまいそうだ。


 ツカツカと、山県正景からカケルへ伝令が走った。


「嶋左近殿これを」


 伝令から文を受け取ったカケルは、パラリと文をひらいた。。。しかし、山県正景の文字は草書で達筆すぎて読めないから、スグに鳶加藤へ渡して代わりに読んでもらった。


 "左近よ、これから向かう北三河の国人領主の

 田峰城主 菅沼定忠

 作手城主 奥平貞能

 長篠城主 菅沼正貞

 山家三方衆(やまがさんぽうしゅう)の元へ赴き調略せよ!"


 文を聞き終えたカケルは首をひねって、


「鳶加藤さん、山県のおじさんなにげにオレにブラックな働かせ方してない? 」


「ブラックとは言葉の意味が分かりかねますが、これは山県殿の嶋左近殿への期待の現れでござろうな」


「期待か、プレッシャーだな。でも、次から次にイベント来るからおもしろいけどね」


 鳶加藤は、カケルの言葉に目を丸くして、


「おもしろうござるか?! さすが武田家にこの人ありとうたわれた山県殿が見込んだ(おとこ)にござる。大器の片鱗(へんりん)にござるな。さすがさすが」



 カケルが山県正景から申しつけられた山家三方衆。


 田峰(だみね)城は信濃諏訪湖から山間を三河へ下った設楽郡(愛知県北設楽郡設楽町田峰)にある。


 笹頭山(ささのずやま)の中腹に位置する。標高七四八メートルの小高い丘陵を利用して堀をめぐらし本丸、曲輪、武家屋敷が広がっている。


 城主の菅沼刑部少輔定忠(すがぬまぎょうぶしょうゆうさだただ)(あぶら)の乗った30歳を少しすぎたばかりのまだ若い男で、徳川家中においてもその武辺が鳴り響く武将である。


 体躯は6尺(およそ一九〇センチメートル)に迫る大男で、その膂力(りょりょく)で鬼の金棒のような太い鉄柱を振り回し敵を薙ぎ倒し手(誤変換?)行く。


 性格は豪放磊落(ごうほうらいらく)武人の誇りを大切にする。



 つづく作手亀山城は標高五五〇メートル、三河作手盆地南東(愛知県新城市作手清岳)、先の田峰城を東へ回った岡崎街道にある奥三河の山越え交通の要衝(ようしょう)で人馬の往来が激しい場所である。


 主郭(くるわ)北部に高い土塁と切岸矢留本冊を巡らし、信濃からの侵入に備えている。


 城主は奥平定能(おくだいらさだかず)(びん)のあたりに白い毛がちらほら見えだす35歳をまわった中肉中背の男で、眼孔(がんこう)鋭くその鋭敏な思考から徳川家中では策士の異名を取っているのだが、知謀こそあるが決断が遅いと嘲笑われるふしもある。



 最後は徳川家康の居城浜松城へ流れ込む寒狭川(豊川)と大野川がぶつかる切り立った断崖絶壁に立つ天然の要塞(ようさい)長篠城(愛知県設楽郡長篠)。


 この城の城主は田峰と同じ菅沼一族の者で、名を菅沼正貞(すがぬままささだ)と言う、歳は三七歳を回ったばかりでこれと言って、特徴のない男だ。


 それと言う、のも家中の実権を二〇歳も年長の叔父で後見役の菅沼満貞が握っているからだ。


 正貞は、叔父の意見に振り回され、かといって持論も曲げられず決めきれない男と評判である。



 この田峰、作手亀山、長篠の城主たちをまとめて山家三方衆と呼ぶ。





 つづきは次回の講釈で










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