176田ノ助爺さんの朝稽古?!(カケルのターン)
カケルは、竹中半兵衛から領内に居る間の師匠として、百姓の植田田ノ助爺をあてがわれた。
田ノ助爺は、よく働く。朝は、誰より早く起き出して畑へでて、日暮れには飯を食らう。夜は夜で藁を編んだ草履や蓑を作るり、亥の刻半(午後十時)になると寝てしまう。そして、また朝、卯の刻(午前五時)に目を覚まして畑へ出る。毎日、毎日、休みなく営む。
「田ノ助爺にはかなわねぇ」
関ケ原、垂井の領内では、誰しもそういって、八十歳を向える田ノ助にそういって首を垂れる。領主の竹中半兵衛でさへ、田ノ助を見習って率先して畑へ入るものだから、領内の者は皆、一目も二目もこの老翁においている。
「さあ、起きるだがね」
田ノ助は、起きるとまず、キュッと一杯、気付けに近所の寺の和尚に分けてもらった僧坊酒を一口飲む。そして、冷たい井戸の水を汲み上げて、目ヤニを取るために、目元だけを水で濡らした手で拭う。そうして、濡れた手で、寝ぐせを撫でつけ、濡らした手拭を絞って、パンッ! と開いて、風に洗う。それを、ネジネジとハゲた頭に巻いてパンパンッ! と頬を二度叩き、鍬を担ぐ。
カケルは、寝ぼけた頭で、田ノ助爺のやり様を真似る。
現代に生きるカケルは、かなり山県昌景に付いて戦場を潜り抜け鍛えられたが、生来、怠け者でだらしがない。黙っていたれ、朝は布団から出てこないし、昼めしも抜いてテレビでも見ながらダラダラ過ごすはずだ。
おそらく、半兵衛はそれを見抜いて、規律正しい老翁を師匠に付けたのだ。
半兵衛は、朝昼晩と、カケルと田ノ助の様子を観察に顔を出す。領主という立場にあぐらをかき人を寄こすことなく、自己から足を運ぶ半兵衛も誠実の人なら。その半兵衛が、認めて、山県昌景からの預かり人のカケルを自己の人生そのままに歩いて見せる田ノ助翁もなかなか味のある性格だ。
田ノ助爺は、カケルが侍で決して大地に根を下ろす百姓になるつもりはないのは承知しているので「今日はワシの仕事をみてろ」といってやってみせるが、鍬をあずけてやらせようとはしない。
カケルは、土手に座って、田ノ助爺が一鍬、一鍬、大地を耕して、額に汗して働く姿を見て過ごした。
「左近殿、昼めしにするだがね」
と、田ノ助が地面に鍬を置いて行こうとすると、カケルが、
「田ノ助爺さん、これは大事な物でしょう」
と、カケルが抱えて小屋まで帰った。
昼飯は、田ノ助爺が家から持って来た握り飯と、小屋に置いている味噌を畑の大根に塗り付けて食べた。
採れたての大根は、新鮮で苦みがない。むしろ、みずみずしいく甘い果物のようだ。
「こんな美味い大根はじめて食べたよ」
「そうかのう、ワシャ、毎日、同じものばっかり食べとるから、気が付かねぇが、そんなもんかのう」
田ノ助爺は、自己の拵えた畑で採れる野菜の美味さに自負がない。むしろ、こんなものは誰でも出きる物ぐらいに達観の境地だ。
午後は午後で、畑へは戻らず、収穫を終えた田圃の手入れだ。
田ノ助爺は、少しでも美味い米を作ろうと、閑散期にも田を耕して肥料を撒き、土に空気を含ませる。畔の雑草を抜き、いつでも、水引ができるようになっている。
この、毎日の丹念さが他の誰にも真似のできない田ノ助爺すごさなのだ。
「ふぅ~、ワシも歳のせいか最近、肩が重いのう」
と、地面に鍬を置いて、肩を回した。それもそのはず、田ノ助爺は、申の刻(午後三時)になるまでぶっ通しで土に鍬を入れていた。
「田ノ助爺さん、肩でも揉むよ」
「そうかい、少し頼もうか」
田ノ助が、畔に腰を下ろして、カケルの隣に腰かけた。
ゴリッ!
カケルは、田ノ助爺の肩へ鷲手で掴みかかると、とても八十歳とは思えない筋肉の張りだった。田ノ助爺の筋肉の発達は肩だけではない。そこから伸びる腕も、胸も、衰えやすい広背筋も、現役バリバリのカケルと遜色ないのだ。
衰えているのは、表情筋と、髪の色だけであった。
「田ノ助爺さん、すごい体してるね」
カケルは、絶賛の声をあげた。
「そらそうじゃ、ワシは、イザとなれば、いつでも半兵衛様の足軽として駆けつけるつもりなんじゃよ。それにな、ワシは、新しく若い女房をもらおうと思っておるから、まだまだ、若い者にはまけられない。どうじゃ? 左近殿、甲斐や、信濃にジジイでも相手にしてくれる若い娘はおらんか? あっちの方は、まだまだ、さびついておらんだがね」
ホホホと笑って見せた。
ホホホ……オホホ……。
どこか、木の影から番のフクロウの鳴き声が聞こえた。
ヒューッ! ストンッ!!
「田ノ助爺さん危ない!!」
カケルが、田ノ助爺を田圃へ押し飛ばした足元には、甲賀忍びの苦無が刺さっていた。
「ホホホ……、オホホ……、まったく、運のいい爺さんだ」
姿を現したのは、甲賀忍び上忍鵜飼孫六・孫七の双子の兄弟だ。
カケルは、自分ではなく、善良な田ノ助爺さんを狙ったことに、怒りの目を向けた。
「理由は、わからないけど、鵜飼孫六さん、孫七さん。それはないんじゃないかな?」
「ホホホ、ワシらは非情の世界に生きる忍者じゃ、ズルい事、姑息な手段は朝飯前。心など痛めぬわ」
カケルは、燃え上がるような瞳で睨みつけて、
「そうかい、だったら、遠慮はいらないね」
と、鍬を担いだ。
つづく