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169信長包囲網解体、京都所司代若手組は巣立ちの時(左近のターン)

 越前(福井県)の朝倉義景、近江(滋賀県)の浅井長政を討伐した織田信長は、信長包囲網の首謀者足利義昭を河内かわち国(現在の大阪府東部)、娘婿の三好義継みよしよしつぐの元へ追放した。


 三好義継の父、三好長慶みよしながよしの頃には、畿内きない(京都を中心に、山城国、摂津国、河内国、大和国、和泉国の五ケ国のこと)を領有し、織田信長以前の実質的な天下人であったのだが、長慶が急死すると、若すぎる当主、義継を傀儡として、家老の三好三人衆の三好長逸みよしながやす三好宗渭みよしそうい岩成友通いわなりともみちが合意性で権力を握る体制になった。


 三好氏は陪臣ばいしん(家来の家来)である。足利将軍家を頂点とする室町幕府を、実権を管領かんれい(将軍の次の実力者)細川氏が握っていた。しかし、その細川氏も傀儡で、実質の権力者は三好長慶であった。

 代を重ねた権力者は次第に公家化して、実際の政策や現場には立たない。出来ないお飾りになる。足利将軍は元より、管領細川氏も同様で、実際の仕事は、三好長慶が辣腕を振るっていた。長慶が死ぬと、三好氏も家老たち、三好三人衆の傀儡となった。


 三好三人衆のそれぞれの役割は、三好家の長老である三好長逸が三好一族をまとめ、三好宗渭が細川管領家を牛耳り、岩成友通が家中をまとめる。それに、もう一人、家老の松永弾正久秀が汚れ役を引き受けていた。三好三人衆は、信長包囲網、足利義昭に呼応し、三好家当主、三好義継の反対を押し切って抵抗した。


 信長に反旗を翻した足利義昭は破れ三好家へ送りつけられた。三好家では、実力や三好三人衆を失い、家老の松永久秀は信長へ寝返った。求心力を失った三好家は、元将軍義昭を匿ったものか、どこぞへ追放したものか、家中の意見が二分した。


 信長に対抗する姿勢を固める当主、三好義継をはじめ三好一族にたいして、日の出の勢いの織田家に対して近づき、従属じゅうぞく(家来にしてもらう)の姿勢を見せた若江三人衆、多羅尾常陸之介たらおひたちのすけ池田教正いけだのりまさ野間長前のまながさきが内部対立していた。


 そこへ、織田信長は、家老の佐久間信盛に大軍をあずけ討伐の軍をあげた。


 当の足利義昭は、とっとと、尻をまくって商人の町、堺へ逃げた。


 憐れ、家臣にも裏切られた三好家当主、三好義継は討ち取られた。



 堺に入った足利義昭は、復権を狙い、堺の商人の情報網を使って、再度、信長包囲網を構築しようと息を殺して次の機会をうかがっていた。



 畿内の敵対する勢力を悉く撃退した信長は、次のターゲットを、ゲリラ的に領主に反抗する手の付けられない一向一揆をしらみつぶしに駆逐することに決めた。


 越前、近江を支配下においた信長は、次の大戦に備えるため、家中の侍大将たちの再編を行った。


 天正元年(一五七三)、信長の長男・奇妙丸が十七歳で元服し、織田信忠となった。信忠は、甲斐の武田の抑えとして、尾張国の一部と東美濃を与えられ”信忠軍団”が結成された。支配下には、尾張衆として、河尻秀隆、池田恒興、水野忠重、丹羽氏次など。美濃衆として、森長可、遠山友忠など。父、信長の信頼する側近衆や、大将衆の若い二代目が集められた。


織田信忠は、武田信玄の後継者となった武田勝頼に備えとして睨みを利かせて、織田本軍は、四方八方の連絡網をつなぐ信長包囲網の裏で操り、各所で偶発的に決起する一向一揆の壊滅に本腰をいれた。

 信長の当面の敵は、一向一揆とその元締めの石山本願寺。しかし、内面的には、新しく領国となった畿内の支配下態勢の強化にあった。



 ――京都所司代――


 桜が華やぐ京の都。


 足利義昭の反抗で荒廃した京の町復興の指揮を執る村井貞勝。貞勝は、かんなと木槌の音が鳴りやみ、修復の済んだ二条城を愛おしい眼差しで見つめ額の汗を拭いた。


「よし、これでようやく、京の都の復興が成ったぞ。柴田勝定、江口正吉、石田三成(佐吉が元服)、長束正家、そして、渡辺勘兵衛、吏僚としてよくやってくれた」


 柴田勝定と江口正吉が、京都伏見の酒蔵から取り寄せた酒樽を担いでドスンと村井貞勝の前に置いた。


 つづいて、石田三成が、膳を抱えるほど溢れんばかりに山と積んだ握り飯を、長束正家がめでたい朱色の大盃を運んで来た。


 そして、最後に、渡辺勘兵衛が、黒地絹の敷物を敷き、そこに、朱色の大傘を差し駆け、盃事の支度を整えた。


「村井様、我ら京都所司代若手組も、お頭に十分鍛えらここまでやってこられました。ありがとうございまする」


「うむ」


「この、酒は、京の都の復興と、我らの京都所司代での勤めの卒業を祝って、村井のお頭との絆の盃にございまする」


「うむ」


 貞勝はそういうと、ポンと酒樽を木槌で割って、酒を柄杓で掬ってそのまま口へ運んだ。貞勝の第一声を注視する若手組。


 貞勝は、柄杓で酒を掬って、大盃になみなみと注いだ。


「よし、我らの固めの杯だ。まずは、ワシが……」


 貞勝が、グイっと酒を飲んだ。


「うめぇな」


 と、汗をかき、体に染みわたるような感想を漏らした。


「おい、次は、年長の勝定、お前が飲め!」


「おうよ、お頭」


 大盃を受け取った柴田勝定は、グビッ、グビッと、一気に飲み干した。


「力仕事後の酒は、たまらんですなお頭」


 と、盃を貞勝へ返す。


 貞勝は、笑いながら、それを良しとして、再び、大盃を満たす。


「次は、正吉、飲め」


「はい、いただきます」


 江口正吉は、姿勢よく盃を半分ほど飲み、次の石田三成へ渡す。


 村井は、頷いて、「三成、飲め」と促す。


 しかし、三成は、下戸げこなので、胸元から手拭を取り出して、酒につけ、それで、唇にトントンと付けてしまいとし、次の長束正家に渡した。


 正家は、大盃からやはり胸元から取り出した角升かくますに注いで飲んだ。


「これ以上呑むと、仕事に差し支えます」


 と、渡辺勘兵衛こと現代の高校生時生カケルの身体を借りた嶋左近に渡した。


 左近は、大盃を受け取ると、一気に酒を飲み干して、盃をそこに置き、大樽に手をかけた。


「京の都の最後の酒は、これをいただきます」


 左近は、大樽に腕を回して、持ち上げ口に運んだ。


「おい、ムチャはよせ勘兵衛!」


 と、酒飲みの柴田勝定が目を丸くした。


 左近は、あれよあれよと、五臓六腑へ酒を押し込んでとうとう飲み干してしまった。


 それを見た村井貞勝は、長年手塩にかけた塾生が巣立って行く光景を見送るように目を細めて、


「柴田勝定!」


「おう!」


「勝定、お前は、酒飲みゆへ酒で失敗することがないように柴田家へ帰ったら酒を慎めよ」



「次、江口正吉!」


「はい!」


「正吉、お前は、主の丹羽長秀殿に似て、何事もそつなく賢くこなす器量を持っている。だがな、戦働きをせねばならぬこれからは、豪胆さを併せ持てよいな」


「次、石田三成!」


「はい……」


「三成、お前は、京都所司代若手組の中で一番頭が切れる。しかしじゃ、その頭は鋭利すぎて、己をも傷つけるやも知れぬ。三成、そなたは、他人の心の内を推し量り、羽柴秀吉殿への奉公に励め」


「次、長束正家!」


「はっ!」


「そなたは、庶民の上がりゆへ、世情に通じて重宝いたした。そなたには、すまぬが今しばし、手元に置くゆへワシのために、織田家のために働いてくれ」


「そして、最後に、渡辺勘兵衛!」


「おう!」


「そなたは、歳のわりに豪胆な男じゃ。武士としても、吏僚としても、十分通用する才覚を持つ。これからは、明智殿の元手、活躍致せ!」


「以上じゃ、これにて、京都所司代若手組は皆卒業だ。それぞれ、家中で活躍致せよ」




 つづく




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