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166竹中半兵衛重治先生(カケルのターン)

 美濃国不破郡垂井、ここに竹中半兵衛重治の菩提山城がある。菩提山城は伊吹山にある籠城用の城で、普段の執政は、里へ下りた陣屋で執り行っている。


 身体の弱いところのある半兵衛は、主、羽柴秀吉から、療養を許されて国許へ戻っている。


 寝所で横になる半兵衛は、日中、原因不明の微熱がつづき、夕方になると、立ち上がるのもつらい熱に苦しみジワジワと体力を蝕まれている。


 それでも、生真面目な性格の半兵衛は、日中の明るい時間を無駄にしてはならぬと、床から起き出して、額を鉢巻できつく縛り、背筋の寒さを紛らわすように羽織を纏い、机に積まれた六韜三略(りくとうさんりゃく)を眺めている。


 秀吉の伝手つてをたどって、堺の商人より手に入れた、この六韜りくとう三略さんりゃくとは、古代中国の兵法書で、針の付いていない釣り竿で魚ではなく、将来、大王になる人物を吊り上げたことで有名な、太公望たいこうぼう呂尚りょしょうの作である。


 三巻からなる六韜、”韜”とは、剣や弓などを入れる袋のことで、主に、文韜、武韜、龍韜、虎韜、豹韜、犬韜からなる。

 一巻には、

 文韜は、戦準備や政治の方法。

 武韜は、政治的戦略。

 二巻には、

 龍韜は、作戦指揮、兵の配置。

 虎韜は、平野部での戦略、武器の使用方法。

 三巻、

 豹韜は、森林・山岳などの地形に応じた作戦。

 犬韜は、兵の訓練・編成、兵種に応じた作戦。


 三略は、上略、中略、下略からなる。

 上略は、人材を招く必要性や政治の要点。

 中略は、策略の必要性や組織の統制術。

 下略は、治国の要点や臣下の使い方。


 半兵衛は、国造り、戦の準備、作戦の立て方、兵の動かし方、人材の重要性、人の使い方など多岐にわたる用兵術を脳裏に詰め込んでいるのだ。


 戦国時代は、現代と違って、身近に本は出回っていない。本は、貴重な物で、各宗派の大寺院や、現在の大学の役割を果たしていた近江国おうみのくにの比叡山延暦寺や、下野国しもつけのくに(栃木県)足利学校に集中していた。

 延暦寺や、足利学校で学んだ僧侶を師匠に仰ぎ、高額を払い地方へ招き指導を受ける。


 戦国の三英傑を例にとると、

 織田信長は、臨済宗の沢彦宗恩たくげん そうおんに学ぶ。

 徳川家康は、人質として今川氏に居る頃に、臨済宗の太原雪斎に学ぶ。

 豊臣秀吉は、この竹中半兵衛重治から帝王学を学んだ。


 話は六韜三略に少し戻るが、この書は、太公望とその主、周王朝を建国した武王との会話で成り立っている。


 百姓から身を起こした後の豊臣秀吉が、無学から人生経験で世の中の仕組みを学んで行った織田家へ仕官するまでを木下藤吉郎の独学だとすれば、半兵衛を軍師に迎え先を見通した計画、行動、作戦の立案のある羽柴秀吉はもはや別人への成長であった。


 秀吉は、無学の徒であってもバカではない。生まれ出生から学問を得る機会に恵まれず、行く先々で、その人懐っこい性格で、主の要求を一心に勤め実現する行動力によって立身出世を重ねた。


 しかし、自分の身体を張る姿勢は、この度、浅井朝倉の最前線、近江国おうみのくに横山城主を任された一国一城の主になった秀吉には、すべてを命がけの直接交渉だと、命がいくつあっても足りない。それに、たくさんの家来も養っている。今までのように簡単に命は張れないのだ。


 そこで、必要になるのが、知恵者、軍師の出番だ。


 軍師というものは、夜空の星の動きを読んで、関わる人物の”宿星”を見定め、その人物の命の輝きや陰り、吉凶を占う天文学者のようなものであった。


 竹中たけなか半兵衛はんべえ重治しげはるは、小領主の長男で父、重元しげもとから、後継者に目されていたが、武芸・学問の呑み込みは近隣の誰より早いのだが、将来、体が弱く免許皆伝までは打ち込めない。


 それでも、半兵衛は実直な性格であったから、足りない分を、父に頼んで集められるだけの本を買い集め、独学と工夫の翼をはためかせ自己おのれの物とした。


 父が、早世し、垂井を継ぐころには、近隣に並ぶほどのない学問を独学で修めた。父、重元の友人だった美濃(現在の岐阜県)を治める斎藤家家中の家老のだった安藤守就に見込まれてその娘を娶り妻とした。


 しかし、竹中半兵衛重治という漢は、その才知をひけらかすことはせず、いつも、控えめに、むしろ、昼行燈的に日常の仕事をこなしていた。


 だが、すわ! 戦となれば、舅、安藤守就隊の先陣にあって、功名を見せる侍大将であった。



 先の斎藤龍興の寵愛をいいことに、控えめな半兵衛をバカにした斎藤飛騨守さいとうひだのかみの行動をきっかけに、横暴な龍興から、わずか、十八人で居城稲葉山城を乗っ取り、手厳しいお灸をすえ、実力もないのに出生の家柄の良さだけで主の側近にはべる佞臣ねいしん粛清しゅくせいして、さっさと自分は舅の安藤守就に城を預けて斎藤家を後にした。


 尾張国(現在の愛知県)の織田信長、甲斐国(現在の山梨県)武田信玄などは、半兵衛がわずか、十八人で稲葉山城を乗っ取ったと知ると、高禄で召し抱える使者を遣わした。


 下剋上が当たり前の戦国期に、半兵衛はやはり誠実に、元主君といえども裏切ることはできないと、すべての誘いを辞退し隠棲生活をつづけた。


 半兵衛を戦国の舞台に、再び、引っ張り出したのは、織田信長でも、武田信玄でもなく、当時、難所の墨俣一夜城すのまたいちやじょう完成で名を上げた駆け出しの侍大将の木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)だ。


 木下藤吉郎の元には川並衆と呼ばれる川を根城にする盗賊同然の蜂須賀正勝、前野長康の武骨者、弟、木下秀長、妻、おの弟、浅野長政、同じく、お寧の母方の実家、杉原家次ぐらいで、家中は盗賊上がりの武辺物と、凡庸な使い走りがせいぜいの身内しかいなかった。


 秀吉は、半兵衛を口説くとき、言った言葉は、


「半兵衛殿、いや、竹中半兵衛重治殿。ワシは、家来になってくれなんて思ってね~でよ。ワシの家中は百姓あがりか盗賊の無学の者の寄せ集めでよ、誰ひとりとして頭の良い奴は居らんで、みんなの教育係が必要だがね。半兵衛殿、ワシも含めて面倒見て下さらんかね。この通り、お願いするでよ~」


 半兵衛は、藤吉郎の言葉に嘘はないと思った。それに、藤吉郎、中々に面白い奴だと感じた。


 竹中半兵衛重治は、羽柴秀吉の家臣ではない。彼は、家中の教育係なのだ。



 道すがら、鳶加藤から織田家と対立する武田家の家老山県昌景のもとに集められた竹中半兵衛重治の情報を聞かされたカケルは、癖はないが実直すぎて一筋縄でいかない竹中半兵衛重治には是非に会って見たい。会って話がしてみたいとカケルは説に願うのであった。


「左近殿、あれに見えるが竹中半兵衛重治殿の陣屋にございます」



つづく

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