163室町幕府の最期(左近のターン)
巨椋助右衛門の槍を、左近が自己の槍で真一文字に腹で受けると、助右衛門のあまりの膂力に、左近の槍が二つに折れた。
万事休す!
巨椋助右衛は、左近の危機を見逃さず、容赦なく左近のどてっ腹目掛けて槍を放って来た。
指物、戦の鬼と名高い嶋左近も、圧倒的な武を誇る巨椋助右衛門には、この高校生のカケルの身体では抗えず。命の終わりを覚悟した。
ヒュン!
グサリ!
左近を狙った巨椋助右衛門の槍がピタリと止まり、勢いそのままに、左近の傍らへ崩れ去った。
「え!?」
巨椋助右衛門の額に弓矢が突き刺さっている。
「渡辺勘兵衛殿……これで、麻田将吾郎と、黒木治郎兵衛の仇が討てました……」
一旦は戦場を離脱した庄司四郎九郎が深手を負いながらも放った渾身の一閃が、圧倒的な武勇を誇る巨椋助右衛門の額を正確に貫いたのだ。
巨椋助右衛門を討ち取った庄司四郎九郎は、全身の力が抜けたように足元に崩れ落ちた。
「庄司殿!」
左近は、庄司四郎九郎へ駆け寄り、その身を抱き起し、
「おお、渡辺殿、ワシはそう長くはない。その前に頼みがある」
「なんなりとお申し付けください」
「黒木には妻と年頃の娘を含め家族が六人、ワシには妻が、麻田には年老いた母御がおる。ワシら三人はそれぞれにもしもの事があれば互いに支えあって生きて行こうと約束を交わしておった。しかし、こうなってはワシらの約束も反故になってしまう。勘兵衛殿、いや、渡辺殿、どうか、どうか、わしらの家族の生計がなんとからるよう取り計らってくださらんか、頼む、それがワシら最後の望みじゃ」
と、庄司四郎九郎は、左近に震える手を伸ばした。
左近は、庄司四郎九郎の手をしっかり握って、
「分かり申した庄司殿。巨椋助右衛門を討ち取ったは、この勘兵衛の手柄に非ず。巨椋助右衛門を討ち取ったは、黒木、庄司、麻田の三人の重臣の手柄と、村井様に申し出て、この勘兵衛が責任をもって、家族の生計が成るよう取り計らいましょう」
「頼む……」
左近は、庄司の亡骸に、手を合わせて瞑目を送った。
「おお、槇嶋城に火の手があがったぞ!!」
「おお、将軍足利義昭が降伏して、人質に嫡男、義尋を差し出したぞ!」
「これにて、この戦は仕舞じゃ! 皆の者鬨の声を上げよ! エイ、エイ、オ――――!」
降伏した足利義昭以下、室町幕府軍は皆、信長の元に引っ立てられた。その姿は戦の最中に合っても、鎧や武具は身に纏わず、公家のそれに倣った雅な出達だった。
手を後ろ手で縛られ跪いた将軍足利義昭を、信長は見下ろし、ピシャリ! 馬上鞭を義昭の首に宛がった。
「公方様、なにか思い残すことはありますまいか?」
義昭は、縋って懇願するように、子犬のような目を信長へ向け、
「親爺殿、ワシは三淵藤英や家来どもに乗せられたのじゃ。ワシは、親父殿を何度も信じよ。親父殿には逆らうなと、何度も止めたのじゃ。しかし、わしは傀儡の将軍、家臣の協力がのうては幕府も成り行かず、泣く泣く、親父殿に逆らったのじゃ。どうか、どうか、親父殿命だけは許してたもれ」
と、義昭は、信長の足を舐めんばかりに、その足に額をこすりつけ、命乞いをした。
信長は、義昭に、凍ったような視線をくれ、ただ一言、
「で、あるか!」
と、言い捨てた。
すると、信長は、義昭の頭を蹴り上げて行こうとする。
それを見た荒木村重が進み出て、
「大殿、義昭をどうするので?」
「そやつらの髷を切り、身ぐるみをはいで都を追い出しておけ」
「は?! 大殿に刃を向けた、義昭の始末はそれだけで?」
「恨みには恩で報いる!」
信長は、そう言い残して去って行った。
その後、将軍足利義昭は、都を追放になり義昭の娘婿三好義継の元へ送られた。
信長は、足利義昭の将軍の地位も官位も奪いはしなかったが、この敗北によって、足利尊氏の開幕以来、二四〇年つづいた室町幕府の権威は消えた。
――京都所司代――
京の都の再建に陣頭指揮を振るう村井貞勝の傍らに、手柄を上げた京都所司代若手組の姿があった。
勲功一番は、巨椋助右衛門を討ち取った渡辺勘兵衛こと嶋左近である。左近は、その手柄を村井貞勝に付けられた重臣黒木、庄司、麻田の手柄として報告した。
村井貞勝は、左近の思いを汲み、手柄の褒美は、自己の自由に致せと命じた。
左近は、まづは黒木治郎兵衛、子だくさんの黒木の長女と、麻田将吾郎はこの戦が終われば世帯を持つ取り決めであった。しかし、互いに一家の稼ぎ頭を失った黒木も麻田も、このままでは取り潰しになる。そこで、左近は、麻田の親類で将吾郎と年頃の近い、将佐衛門を当主に据え、黒木の長女と娶せして、両家の存続の道を付けた。
しかし、左近の命の恩人庄司四郎九郎の家は難しかった。庄司の家は女房と二人暮らし、不幸にも、他に身寄りはないそうだ。
左近は、命の恩人の庄司の妻が望むなら、此度の戦で左近と共に手柄を上げた、車流れの池蔵の女房に納めようと算段していた。
「奥方、四郎九郎殿は、見事な最後でございました。四郎九郎殿は、残った奥方の身の振り方を最後まで悩まれておられました。奥方さえ、良ければ、ワシの家来の車流れの池蔵と世帯を持ってはどうだろうか?」
と、切り出した。
しかし、庄司の妻は、キッパリと断りを入れた。代わりに、車流れの池蔵を庄司四郎九郎の養子にいれ、池蔵を、庄司四郎九郎を名乗らせ、家は存続させ、村井貞勝へ奉公することで決め、自己は夫の菩提を弔うため仏門へ入ることに決めた。
「まったく、戦とは、悲しきものでござる……」
左近は、破壊から創造へ、生まれ変わりを続け、命を飲み込む京の都を眺めながら感慨にふけるのだった。
つづく




