156前田玄以(カケルのターン)
京屋の娘の報告では、山県昌景とお虎、そして、この娘の父親は、まだ、嫌疑をかけられただけで、おそらく織田信長の留守を預かる奇妙丸こと先ほど元服した信長の嫡子、信忠の前にはまだ引っ立てられてい居ないだろうととのことだ。
信忠付きの家老、河尻秀隆、池田恒興は、織田と武田の国境の備えに回っているし、父、信長は、将軍、足利義昭の討伐に京の都へ出陣している。信忠は利発なれど、現場へ下りてまで実務をこなす育ちはしていない坊ちゃん育ちだ。代わりといえば、吏僚で実務をあずかる前田玄以だ。
前田玄以は、ことし34歳になる僧侶で、同じ前田を名乗る前田利家とは同族にあたる。若くに仏に帰依した真言宗の僧で尾張小松原寺の僧をしていたが、領土を広げ家臣を求めた信長が、その利発な評判を聞きつけ登用した。
玄以は、美男子で知られる前田家の一族である。得度したから頭こそ丸めてはいるが、眉目秀麗美しい顔立ちをしている。信長により召しだされ、その吏僚の才が買われ、同じ吏僚で京都所司代を務める村井貞勝の二女を嫁に貰っている。
「かの者が、武田の騎馬隊赤備えで名を馳せる山県昌景だと申すか」
前田玄以の屋敷の座牢に閉じ込められ、あくまで北庵法印の荷物持ち政吉をつらぬく、山県昌景と、山県虎。前田玄以に連れ立って松倉右近が話始める。
「左様、こやつが正真正銘、山県昌景だ」
「しかし、噂に聞き及ぶ山県昌景は、巨馬に乗り赤い甲冑を纏い、悪鬼羅刹のような男だと聞き及んでおったが、こんな、わたしよりも小さな小男であったとはのう」
と、前田玄以は、手にもった扇子でトントンと格子を叩いた。
山県昌景は、前田玄以のちょっかいをどこ吹く風で聞き流し、涼しい顔。
前田玄以はしつこく扇子で格子を叩いて、
「なんとかもうしてみよ山県昌景! こやつはわたしが来てからずっとこうじゃ、なんとか話を聞きだす方法はないものか……」
「ホホホ、和尚、エエ手立てがありまっせ」
と浪速の商人に化けた鵜飼孫六が、お虎を引っ立てて来た。
それまで、知らぬ存ぜぬを貫いて来た、山県昌景も、娘のお虎の登場にはさすがに目を見張った。
「ホホホ、この娘にはそちらの旦那も関りがあるみたいでんな、すぐに、平静を装いましたでんねんが、動揺をみせよりましたで」
孫六のその言葉に、前田玄以はその眉目秀麗な顔に、影を浮かべて、山県虎の体を上から下まで嘗め回すように伺い見た。
「ウフフ、おもしろいことを思いついたわ」
鵜飼孫六も、いやらしい目つきで山県虎を眺める前田玄以に同調して、
「和尚、今夜はお楽しみですね」
と応じた。
松倉右近はそれには答えず。そっと、その場を離れた。
前田玄以の屋敷表に、大男が立っている。もちろん嶋左近ことカケルだ。
「京屋の娘さんの情報じゃココに山県のオジサンが囚われているようだけど、いきなり、訪ねたらやっぱまずいかな……ふむ、困った」
すると、ちょこちょこと、子犬がカケルの足元へ寄ってきて、「ワン!」と吠えた。
「あひゃ、ビックリするじゃないか。ワンちゃん」
とカケルは、子犬を抱き上げた。
抱き上げられた子犬はカケルの頬をペロッと舐めて、
「左近の旦那」
と話した。
「うわ!」
カケルは、現代を生きていても喋る犬など見たことない。まさか、戦国時代に喋る犬に出会えるとは、ビックリだ。いや、ビックリを越えて気持ち悪い。カケルは、思わず子犬を放り出しそうになった。しかし、
「待って下さい左近の旦那、あっしです。鳶加藤です」
「えええ!」カケルは目ん玉が飛び出しそうなほどビックリして、
「えええ、鳶加藤さん、犬になっちゃえるの?」
「旦那、そんな、ことよりココに山県様がいらっしゃいます。それに、さきほどお虎様も連れて来られました」
「うん」
「しかし、ココの主前田玄以は、甲賀者を手なずけて居るようで、あっしでも容易には近づけません。左近の旦那、ここは、一旦、引いて計画を練り直してからの方がようござんすぜ」
辺りの空気は冷え、暗い夜空に覚めるような月が上がった。
前田玄以は、厠から出てきて、手を洗うと、寝所の角の小部屋へ入った。小部屋には厳重に錠前のかかった扉があり、玄以は懐から鍵を取り出すと、ガチャリと錠前を外した。
「グフフ……」
部屋へ入った前田玄以は、部屋へ火を入れると、浮かび上がったのは、部屋一面の大小さまざまな頭の大きなこけしだ。
前田玄以は、まるで現代のソムリエのように、こけしを物色する。時折、いやらしい微笑みを浮かべたかと思うと、こけしを舐めたり、さすったり、感触を確かめたり……。
夜の月を雲がおおった。
前田玄以がお気に入りのこけしを携えて寝所へ入り、次の襖を開けると、赤い肌襦袢一枚を纏う裸同然で、手足を縛られ大の字にされた山県虎がいた。
その脇には、お虎の哀れな姿が一番見えるところに、猿ぐつわをされ、イスに身動きすら出来ぬように縛り付けられた山県昌景がいた。
前田玄以は、お虎の足元に立ち、ペロリと頭の大きなこけしをを舐めた。
つづく