148伊織の身の上(カケルのターン)
「実はね、今日、オレたちが富太郎さんについて来たのは別かれて欲しいからなんだ」
それを聞いた伊織は、より一層、胸を富太郎のうでにぶち当てて揺すった。
「富さん、ホントかい!? あたしゃ、イヤだよ」
と甘えた口調で、袖を引いた。
富太郎は、鼻を伸ばしながらも、振り払うように、
「おらぁ、もちろん伊織のことが大事だよ。でも、おっかぁがゆるさねぇってんだ。わかっておくれよ」
伊織は、富太郎の袖を揺すって、
「イヤ、イヤイヤ! あたし富太郎さんが会いに来てくれなきゃ死んじゃう」
伊織は、富太郎の袖を離さない。
「そういうなよ伊織。ホントはおいらだって大事な、おめぇと別れたきゃねぇよ。でもよ、おっかあと、この人たちが別れなきゃなんねぇっていうんだよ」
伊織はプッとほっぺたをふくらませて怒って、
「富さんは、この人たちと、あたしどっちが大事なんだい?」
と、垂れ目の上目遣いで、見上げて来た。
富太郎は、堪えようにも堪えきれずに、伊織の肩を抱いて、
「もちろん、おめぇの方が大事さ」
「富さん、あたしゃうれしい!」
と富太郎の手を包み握った。
「…………」
それを見ていたお虎は呆れて言葉もでない。ただ、黙って、腰の短刀を引き抜き、床に置き、スッと富太郎の前に差し出した。
「富太郎、約束だ。腹を切れ!」
お虎がキッパリと言った。
富太郎は、怯えて、伊織の背に隠れた。
「およしよ、物騒だね。富さんが何をしたっていうのさ。ただ、わたしに会いに来て可愛がってくれるだけじゃないか」
お虎は、まっすぐ、伊織に視線を合わせて、
「そうじゃ、富太郎は、伊織、お主に身代を潰して会いに来ておるだけじゃ。わたしたちには、それだけなら関係ない」
「なら、いいじゃないか、あたしと富さんの恋路を邪魔しないでおくれよ」
「しかし、そうはいかん。富太郎は、客の寝所へ忍び込んで金を盗もうとした盗人なのだ」
伊織は、富太郎を見つめて、
「ホントかい? 富さん」
富太郎は申し訳なさそうに、頭をぺこりと下げて、
「伊織、すまねぇ。店の金をくすねてお前に会いに来てたが、番頭に見つかって、おっ母ぁに告げ口されちまって、思うように銭が用立てれなくなったんだ」
「いいんだよ、富さん。あんたはこうして今日も会いに来てくれたじゃないか」
と伊織は富太郎を上目遣いに見つめた。
富太郎は、伊織への気持ちが溢れて、
「オイラの気持ちを分かってくれるのは、伊織、おめぇだけだ」
と伊織の胸に抱き着いた。
伊織は、富太郎をよしよしと、頭をなでながら慰める。
「富さん、わたしは、あんたの気持ちちゃ~んとわかってるよ。心配しないで大丈夫だよ。いつでも金をこさえてワタシの所へおいで」
お虎は「そこなのだ」と言いたげに言葉のつづきをカケルに託した。
カケルは、馬鹿正直に切り出した。
「伊織さんと富太郎さんの恋路は本物だと思うよ。でもね、お金が絡んだ関係はよくないと思うんだ。伊織さん、どうだろう、なぜそんなにお金が必要なのか話してくれないかな」
それを聞いた富太郎は、伊織の手を取って「話してみろ」と促した。
「実はね……」
伊織は、ついこないだ。一年前まで病気の父親を抱えていた。父の薬代は重くのしかかり、家計を圧迫し、伊織は父の薬代を用立てようと、金貸しから金を借りた。父の看病もアリ、働き手の伊織は満足に働けない日もあった。しかし、人が生きていくには毎日飯を食わねばならない。一両の借金が、翌月には二両になり、三両、四両と、日を追うごとに雪だるま式に増えて行った。気づいた時には、伊織は、辻に立ち身を売る辻君に身を落としていた。そして、世間知らずの富太郎と出会ったのだ……。
「ねえ、左近さん、お虎さん。伊織の身の上を知れば、ほっとけないだろ。おらぁ、この話を聞いて、胸の内が締め付けられ、ほっとけなくなったんだ」
するとカケルは、富太郎と、伊織の手を握り、目に涙を浮かべ、
「分かるよ富太郎さん、好きな女性の身の上にそんなにつらい過去があるなら、男なら絶対何とかしてあげたいよね」
富太郎は、カケルの手を握りなおして、
「分かってくれるのは左近さんだけだよ。おらぁ、心底嬉しいよ」
と富太郎も一緒になって涙を流した。
伊織は、二人の理解者が出来て嬉しいのか、袖で目元をおおって、
「富太郎さん、左近さん、ワタシの身の上を分かってくれてホントにありがとうよ。わたしゃ、ホントに嬉しいよ」
とオロオロ泣いて見せた。
お虎は、それでも情に流されず伊織に向かってキッパリと、
「それでも、二人は別れねばならぬ」
「なんて冷たいことをいうんだよ」とカケルはお虎を見つめた。富太郎は、縋り付く伊織の方を抱き絶対に離さないと言った態だ。
交渉は平行線をたどるかに思われた。しかし、
コンコン!
伊織のあずま屋の戸を叩く音が聞えた。
その音に、伊織はピンと顔を上げて反応した。
表から、
「おい、伊織いるかい?」
男の声だ。
伊織は、その声を聞くと、涙を拭い始めて、立ち上がり、
「あいよ、今行くよ」
と表の男の声に返事をした。そして、伊織は、あっさりと、富太郎から身を離して、奥の箪笥から財布を取り出して、表へ駆け出して行った。
弾ねるような伊織の足取りを見たお虎は、一人で感心したようにウンウン頷いて、富太郎に尋ねた。
「富太郎よ、今、伊織を呼んだ男は知っておるのか?」
富太郎は、真剣な目をして、
「うん、借金を伊織の代わりに隣町の金貸しへ持っていく従兄の利平次さんだ。ホントに、イイ人で、伊織が遊郭へ売り飛ばされなくていいように、借金を立てがえてオイラたち二人を応援してくれてるんだ」
それを聞いたお虎は、表の二人の様子に流し目くれて、
「応援ねぇ~」と、眉を顰めるのだった。
つづく