14夢か幻か……(現代、左近のターン)チェック済
「キンコーン!カンコーン!」
その日のすべての授業を終えた高校生カケルと入れ替わった嶋左近が、教室の棟からグランドに面した中庭伝いの渡り廊下を下駄箱の棟へ向かって歩いていると、
「カケルくん、危ない!! 」
左近へ向かってサッカーボールが飛んで来た。声に反応した左近は自然に体が動かず「バシンッ!」と顔面でうけて倒れた――。
冷たい風が頬を叩いた。意識を取り戻したうつ向けに倒れる左近は、重い躯を起こした。
「ここは?! 」
左近の目に飛び込んで来たものは海のような静かな湖面だ。水鳥が小魚をくわえて飛び立つなんとも長閑な静寂だ。
「殿様、起きられましたか? 」
左近が身を起こすとスグ傍らには、妻の月代がいた。左近は、岸辺のあずま屋で月代の膝に抱かれて眠っていたのだ。
「おお、月代。ここはどこだ?! 」
「イヤだ殿様。突然、何をおっしゃるかと思えばそんなこと。ここは隠棲中の近江の国にございますよ」
「隠棲?! 」
「殿様、それもお忘れで? ウフフ、筒井の新しい殿と考え方が違うと大喧嘩なさって4年前に出奔なされたではござりませんか」
左近は、記憶をさかのぼって思案した。さっきまで現代にいて高校生とやらをしておったのに、ワシはここ戦国に居る。さっきまで長い夢を見て居ったのか、はたまた、閑散とした湖畔の山里生活が染み付いて頭がボケてしまったのかまったく。
身を起こした左近へ月代が茶を運んで来た。
「殿様、今日もそろそろあの方がいらっしゃる時間ですわよ」
「ん?! あの方とは誰じゃ? 」
「殿様それまでお忘れで御座いますか? 石田治部少輔三成殿であらせられますよ」
「ああ! 」
左近は思い出した。それは関ヶ原の前、左近が石田三成に請われて臣下になった日だ。
「けれど……」
左近の記憶は、関ヶ原の戦場も、さっきまでいた現代のことも色鮮やかに覚えている。「夢か幻かまったくのう……」
そうこうしていると、
「嶋殿、嶋左近殿は居られるかな? 」
と、玄関口で男の声がした。
嬉々とした月代が、
「きっと石田様ですわよ。今日はどんな食材をお持ちくだされたのかしら?」
と左近の肩へ一瞬、手をおいて石田治部少輔三成を出迎えへ立った。
空に黄色い月がのぼり辺りは日暮れた。
月代は釜戸から立ち上る白い湯気から炊きたての飯を1つは丘に盛り、もう1つはこんもりと大山に盛り膳へ置いた。
膳には、石田三成が持って来た湯気あがる近江米と、瀬田シジミの味噌汁、昼間、左近が釣った伸ばした片腕ほどもある琵琶マスの切り身がならんだ。
運ばれた2つの膳へ2mほどの大男の左近が立ち上って、パラパラと塩を振る。
「完成にござる。さあ、治部殿も食されよ」
石田三成は、背筋をピンと居住まいを正しく左近の膳を推しいただいた。
これには左近も頭を振って、
「やめて下され治部殿。ワシは今や一介の浪人の身、豊臣の天下国家を動かす治部殿にそうされてはせっかく御馳走下される旨い飯が喉をとおりませぬ」
左近にそう言われた石田三成は、逆に困った顔をして聞き返した。
「左近殿、ではワタクシはどうすれば良いのでござろうか?」
まったくこの石田治部少輔三成と言うお人は杓子定規で融通が利かない。算盤の才覚は天下随一なれど、これでは堅苦しくて付き合う者は息が詰まってよくない。
「治部殿、いや、あえて石田殿。(首を傾け思いきって)三成殿! アナタはただでさえ鋭利な才覚をしておいでなのだから、それが四六時中、寝食さえそのままでは相手は、こやつ信用できぬとなり申す。少なくともワシの前ではおやめなされ」
三成は、さらに困った顔をして、マジメに聞き返した。
「左近殿、ワタクシはこれでも至ってざっくばらんに立ちおうているつもりでございます。こんなに礼儀を崩しては失礼にはあたらぬかとヒヤヒヤしておるしだいにござる」
左近は、目を丸くして、
「なんとまあ石田三成と言う御仁は、生まれながらの堅物にござるのワハハ~」
三成は、さらにマジメな顔をして、
「左近殿、なにが可笑しいので御座いますか。ワタクシはこんなに悩ましく思うて居るのに、尊敬するアナタにまで笑い者にされてはワタクシは武士には向かない自分の性格が恨ましゅうて恨ましゅうて……」
三成は、左近に笑われた悔しさから膝を叩いて今にも泣き出しそうだ。
(まったくこの御仁は……)
左近は、だだっ子を嗜めるように、己れも差し向かいで居住まいを正して、
「よいかな三成殿、武士と言うものは"漢"であらねばなりませぬ。相手がたとえ天下人の関白殿下(豊臣秀吉のこと)であっても、心は漢と漢、上下の隔てのない対等にあらねばなりませぬ。それが、三成殿のようであっては多くの将兵が命を預けるには不安になりまする。三成殿、たくましくあられよ! 」
三成は、膝を叩いて泣き出しそうなのを必死で堪えている。左近は、「はぁ~」と、大きなタメ息をついて、「御免! 」と膝を乗り出して、三成を殴り飛ばした。
殴り飛ばされた三成は、乙女がするように床に泣き伏した。
左近は、追い打ちをかけるように、
「女々しいぞ三成! お主も腰に一物がついて居るのなら、殴られたら殴り返さぬか! ほれ、かかって参れ、秀吉の腰巾着!! 」
ギリッ! と振り返った三成は、そこまで左近にバカにされては許しておけない。涙を振り絞って、立ち向かって来た。それでも、三成の反撃はかわいい。立ち上った左近の胸の辺りで、「バカバカバカ!」と乙女がするようにポカポカ叩くだけで精一杯である。
左近もこれにはさすがにあきれて許容するよりなかった。
(まったくこの御仁はこんなことで生き馬の目を抜く武士の世界を生き抜いて行けるのだらうか……と心配で放っておけない)
左近は怒りに任せて胸板を叩き疲れた三成をなだめ透かすように静な落ち着いた声で、
「よいかな、三成殿。お主が漢にならなければ、殿下にもしもの事があらば、誰が豊臣の天下を支えるのです。さらに、反乱者が出て戦ともなれば、誰が大将として全軍の指揮をとるのですか? 」
三成は、涙を袖で拭い。鼻を噛んだ。
「それぐらいワタクシもわかって居る! ワタクシなどは、武士としては半人前に過ぎもうさぬだからこうして、日参して、左近殿を我が石田の軍の総大将として迎え入れようとしておるのではないか! 」
三成の言葉に左近は、頬を殴り飛ばされたような気がした。石田三成この漢は、自分なりに己れが武士としての非才を知り、足りない部分を左近の将才を買って埋めようとしておるのだ。
(これが石田三成なりの才覚であるな。それはそれで、おもしろい漢だ。天下の台所を預かる石田の総大将ならば、いずれ俺の才を生かす戦へ巡り会えるやも知れぬな)
左近はそう思うと瞼を閉じた――。
「……カケルくん、カケルくん、大丈夫? 起きて!」
女の声がした。左近が目を醒ますと現代の保健室のベッドへ横たわっていた。ベッドの脇には心配した月代が駆けつけている。
「……治部殿は?!」
左近は、さっきまでの石田三成とのやりとりをハッキリと覚えている。
(はて、どちらが夢か幻か……)
つづく