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【改題】嶋左近とカケルの心身転生シンギュラリティ!  作者: 星川亮司
二章 激突!武田vs徳川 三方ヶ原の戦い
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122 武田信玄の最期(カケルのターン)

「御館様、お気づきになられましたか」


 死の淵にいる武田信玄が、奇跡的に意識を取り戻して薄っすらと目を開けた。


 信玄は、掠れるような声で、


「戦線はどうなっておる」


 と、信玄にはべり看病をする山県虎へ尋ねた。


「戦線は、一端は、父、山県昌景が敵将、徳川家康の御首みしるしを上げ勝ち名乗りを上げるも、徳川の戦線は崩壊せず、徳川家康を名乗る三人の影武者によって戦線を維持しつつ、そのうちの一人の徳川家康が撤退を始めました。おそらくかの者が、真の徳川家康であろうと思われます」


 信玄は、ぼんやりと宙を睨んだまま、


「いいや、真の徳川家康は、昌景が討ち取った者が真であろう」


「ならば、お館様。徳川軍は、それを承知で戦っておると言われるのですか」


「そうじゃ、徳川家康は、流転をさ迷った迷い子。こうなりうることも徳川の家臣なれば承知しておったのだろうよ」


「とは、申せ、真の徳川家康を討ったと首を掲げて、戦場におもねれば、結束強固な徳川家とはいえ、戦意を焼失致しましょうもの。すぐさま、お館様の命で伝令を走らせ……」


「ならん!」


「されど、お館様……」


「ならんのだ山県虎。それよりも我が陣中は誰が采配を振るっておるな?」


「勝頼公にございます」


「そうか、……ならばもう一度、この信玄坊が冥府より生き返り昌景が駆けつけるまで、采を振るわねばならぬな」


 そういうと、信玄は、今にも崩れ落ちそうな力のない肉体を起こして、山県虎の肩をかりて戸板から立ち上がった。




「徳川家康が首ことごとく跳ね上げよ!」


 中央の影武者、武田信廉の傍らで、陣中で血気盛んに采配を振るう武田勝頼と、それを、取り囲むように、一門衆の穴山信君、木曽義昌、家老の小山田信茂が顔を並べる。


 信玄の遺命を守って、勝頼の執政強硬には反対の立場の同じ一門衆の、一条信龍、仁科守信は勝頼の軍議には気乗りしない様子で、末端に並ぶのみである。


 そこへ、


「御館様!」


 陣中に武田信玄が山県虎の肩をかりて現れた。


 ゆるいゆるりと、影武者を務める武田信廉の元まで行くと、前立てに金の角の生えた赤鬼を飾り振り乱す髪のような白ヤクの毛をあしらった獅子の兜を受け取って被りなおした。


 そうして、信廉から譲られた床几に腰を落とし、軍配を受け取った。


「すぐさま、伝令を走らせここへ、山県昌景を呼べ。昌景の到着を見計らって我らは、この三方ヶ原より撤退する。皆の者、よいな!」


 まるで、信玄に噛みつくように、勝ち戦での撤退が納得いかない勝頼が、


「父上、もはや徳川は風前の灯火、このまま押し続ければ、駿河はもとより、遠江、三河は、三州は我らの物となりましょうぞ、撤退は徳川領を併呑してからでも遅くはござりますまい」


 信玄は、静かに、


「一時の戦勝に酔い時を見誤るな勝頼!」


「されど父上、今は、正に徳川を壊滅する絶好の好機! 父上こそ好機をみすみす見逃す気でございますか!!」


 信玄は、血気にはやる我が子勝頼を教え諭すように見つめて、


「勝頼。戦には”時”の頃合いというものがある。自己が心の赴くまま血気にはやっておっては、その”時”を見失う。勝頼、お主にはなくて、昌景にあるのは、この”時”を見定める力じゃ。よいか、勝頼、ワシ亡き後は、戦については山県昌景の意見をよく聞き慎重に進めるのじゃ」


 一門衆で固めている陣中とはいえ、皆の衆目で、駄々をこねる幼子を教え諭すように、静かに、語り掛けた父の愛を、プライドの高い勝頼は、心が怒りにも似た屈辱感に支配され、信玄の言葉が終わるまで、必死で握り拳を固く握って堪えに堪えた。

(この男はもう長くはない。後は、このワシが天下よ、今は、どんな屈辱にも耐えてみせよう。今に、今に、今に見ておれ武田信玄。兄を、母をその生涯において生き地獄に沈めた己の所業、このワシが、兄、母に成り代わって晴らして見せる。今に、今に……)



「敵将、徳川家康が御首をもって、山県昌景殿が帰陣なさいました」


 伝令より、それを聞いた武田信玄は、すぐさま、昌景を陣中に呼びつけ、そばへ呼んだ。、


「昌景、これより、ワシの遺言を皆に伝えるから、ワシに代わって皆に伝えよ」


 と、耳打ちした。


 すると、昌景はコクリと頷いて、


「皆の者、これより、お館様の遺言を伝える心して聞け」


 信玄の遺言の中身はこうだ。


 一 敵の侵入を許さぬため三年間は、信玄は病と称して領国経営に務めること。


 二 後継は勝頼の子、武王丸。十六歳になったら家督を譲るのでそれまで陣代は勝頼にまかせること。


 三 しかし、勝頼には武田累代の旗をもたせてはならない。孫氏、将軍地蔵、八幡台菩薩すべてならぬ。


 四 武王丸が家督を継いだ暁には”信勝”と名乗らせ、孫氏、以外の旗をもたせよ。


 五 勝頼は大文字の小旗を持ち、指物、法華経の法衣は、典厩てんきゅう(武田信豊)に譲る。


 六 諏訪法性の兜は勝頼に譲る。その後、信勝に譲ること


 七 信玄の葬儀は不要であり、遺体は三年後の四月十二日に甲冑を付けて諏訪湖に沈めて欲しい。


 八 勝頼は、上杉謙信と和議を結ぶように。


 九 信長が攻め寄せた時は、各所に陣を張り持久戦に持ち込め


 十 徳川家康はワシが死んだと知れば駿河へ攻め寄せて来る。これも、引き寄せて討ち取れ。


 十一 小田原の北条氏政は強引に攻めても押しつぶすのに手間取ることはなかろう。三年後すぐさま攻めよ。


 十二 逍遥軒とワシを見分ける者はなかろう。三年間はワシの代わりを務めよ


 十三 勝頼、そなたは血気にはやるゆへ決して好戦的に振舞ってはならぬ。敵は、必ず領内に引き入れよ。



 そして、最後に、十四。


「よいな、源四郎(昌景のこと)明日は瀬田に旗をたてよ!」


 甲斐の虎と恐れられた一代の英雄武田信玄は、山県昌景を武田家の将来を導く勝頼の目付として後事を託して息絶えた。享年五十八歳であったという。





 つづく






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