118三方ヶ原の戦い11 影武者徳川家康(カケルのターン)
「我こそは、徳川家康なり! 勇気のある者はかかって参れ!」
武田の赤備え嶋左近隊と、徳川の本多忠勝隊の膠着をつづけていた最前線を、徳川家康の影武者夏目吉信の登場で士気を取り戻した。
「よし、武田を押し戻すぞ!」
その時、時をおかずに、津波の如く押し寄せた青の部隊が押し寄せた。
「あそこに、大将首、徳川家康がおるぞ、恩賞は思いのまま、皆の者、討ち取れ!」
と、青の大将馬場信春の大号令がかかった。
家康の影武者として、夏目吉信に付き従う、本多忠真と榊原清政はそれぞれ、甥と弟と前線を入れ替わろうとするのを、馬場信春の嫡子、馬場信房と、弟、教来石信頼に立ち塞がれ思い通りにならない。
「このままでは、徳川の未来、本多忠勝、榊原康政を生きて残せなくなる。どうしたものか……」
と、夏目正吉が、おとりの影武者として前線で槍をふるって打開策に思いを巡らせていると、
「なに?! 東にまた、徳川家康が現れたぞ!!」
と、武田の兵から声が上がった。
「東に、殿が!?]
夏目正吉は、前線の窮地を打開するべく家康自己から、戦場に躍り出たものと脳裏をめぐらせた。
すすると、スルスルと黒い影が夏目正吉の馬に近づき、
「夏目殿、あれは、機転を利かせた成瀬正義殿の影武者でございます。それに、もうじき、西に真の殿の影武者が現れます」
「おお、あやつも命を架けるのか、服部半蔵よくぞ知らせてくれた」
「我こそ、真の徳川家康なり、命の惜しくないものはかかって参れ!」
東の戦場に突如現れた影武者徳川家康、こうなっては、追撃戦のさしもの馬場信春であっても的を絞りつらい。
「内藤昌秀に伝令じゃ、ワシは正面の家康を葬る。昌秀は、東を頼む!」
と、そこへ、伝令が駆けつけ、馬場信春に告げた。
「殿! 西にも、徳川家康が現れました!」
「なに?!」
三方ヶ原に現れた三人の徳川家康、一人はかの文豪、夏目漱石の先祖、夏目正吉である。東に、現れた二人目は成瀬正義である。
成瀬正義は、家康の側近くに仕え、旗奉行として仕えた。気が荒く、三方ヶ原前夜、籠城を唱えた家老の鳥居忠広に「腰抜けは殿の御側に仕える必要はない。そろそろ、ご隠居召されよ」と、言ってのけ、お役御免で、この戦謹慎を仰せつかった。されど、成瀬正義は、家康の危機の知らせを聞くといてもたっても居られず、自己から、家康の蔵へ押し入り、鎧兜を盗むと、身に着け戦場へ駆けつけたのだ。
そして、これから西に現れる三人目、彼こそ、さる少年誌でも漫画になった影武者徳川家康こと、世良田次郎三郎元信だ。
この世良田次郎三郎元信たる男は、説によれば、家康が少年時代、まだ、竹千代を名乗っていたころにすでに入れ替わったとも、後年のこの三方ヶ原とも、ずっと、後年に下がる関ケ原の戦いともいわれているが定かではない。
ただ、事実として伝わっているのは、この世良田次郎三郎元信は、つい先日まで徳川家康を悩ませていた一向一揆に居て、先頃、家康の家臣に舞い戻ったということだ。よって、彼は徳川家康に瓜二つの姿形であるのだが、目ぼしい史書には登場しない、謎大き人物であるとだけは筆者が、読者へ伝えておくこととする。
この三方ヶ原に三人の徳川家康が現れたの知らせはすぐさま武田家陣中にも知らされた。
「御館様、また、徳川家康が現れて戦場は的を絞れず混乱致しております」
床几に座って、目を閉じて、軍配を腿に突き立て不動の構えでピクリとも動かない武田信玄が、脇に控える木曽義正から合図を受けた小姓から白湯と粉薬をうけとると、ゆっくり目を開いて、喉の奥に押し込んだ。
薬を飲んだ信玄は、静かに呼吸を整え、重い口を開いた。
「戦場にいるのは徳川家康の影武者じゃ。家康の背中には、今頃、山県昌景が食らいついておろうよ。戦場の馬場信春、内藤昌秀には、影武者の首は各個撃破に討ち取れと申し伝えよ」
そういうと、武田信玄は、頭が重いのか、はてさて、腹が痛むのか、小姓に追加で薬を運ばせて、飲み干した。そうして、
「山県虎はおるか?」
と、陣中に山県昌景の名代として残る山県虎を呼んだ。
信玄は、今にも消えそうな声で、
「ワシはもう長くはあるまい。源四郎(山県昌景のこと)に伝えよ、後事はそなたに託すゆへ、勝頼を名代に、その子、武王丸を後継として支えよと伝えてくれ」
「御館様、そのようなお気の弱いことを申されますな」
「よいか、ワシの死後三年は、ワシの死を伏せ、甲斐・信濃へ引籠り、国力の発展に努めるのじゃ。ワシの亡骸は誰の目に触れさせてはならぬ源四郎自己からの手によって、諏訪湖に沈めるのじゃ」
武田信玄は、そう山県虎へ告げると、全身の力を振り絞るように立ち上がって、
「徳川家康の首、ことごとく、跳ね上げい!!」
と、采配を振るった。
グラッ!
「御館様!!」
武田信玄が、よろめいたかとおもうと、片膝をついた。
その場は、すかさず山県虎が、その身を武田信玄の脇腹へ差し込み持ち上げ、支えたから、倒れずに済んだ。
しかし、武田信玄の衰えと、命脈がつきかけようとしている事実は、この陣中にいる武田勝頼、穴山信君、木曽義正の目には明らかだった。
つづく