103幼少の賤ケ岳の七本槍と、竹中半兵衛(左近のターン)
藤吉郎が、武術の稽古の指導をしている青白い顔をした利発そうな男に耳打ちした。
「あやつが、ワシの高名争いのライバル明智家に仕官し、面接で、信長様に一目で気に入られさらに、名刀、宗三左文字を拝領した男じゃ。半兵衛よ、あやつが明智の家来として仕えそうな人物ならこの機会に、この場で、虎之介と市松を使い殺してしまえ」
左近は、木刀を構え右に、虎之介、左に市松を迎え撃つ態勢だ。
半兵衛が審判役で、
「それでは、渡辺勘兵衛殿はじめますぞ。準備はよろしいか?」
左近は、「うむ」と頷いた。
「それでは、はじめ!」
左近は、まだ、年少の虎之介、市松を、キリッ、キリッ! と、草履で足元を固め、どちらが打ちかかって来ても良いように、半身の態勢で、注意を研ぎ澄ませている。
すると、まずは、虎之介が、セイヤッ! 鋭い突きを打ち込んできた。
カツンッ!
左近は、槍の穂先の軌道を変えるように、木刀で弾き飛ばす。
トリャッ!
続けざまに、市松の足元を狙った払いだ。
左近は、ピョンと小さく飛び越えと。刹那……。
「死ね!」
虎之介が、左近の頭を叩き潰さんばかりの剛槍を脳天目掛けて振り回した。
「おのれ、連携業か!」
左近は、あわやのところを、振るわれた槍と顔面の間に木刀を滑り込ませて防いだ。
キエエエーーー!
まだまだ、連続攻撃は止まらない。
今度は、市松が胴を突き抜けんばかりの乱れ突きだ。
カツンッ! カツンッ! と、左近は市松の乱れ突きをいなす。
まだまだ、少年の虎之介と市松だが、息も付かせぬ連続攻撃を左近に防ぎ切られ、動揺の表情を浮かべている。
審判役の半兵衛が、試合を分析するように、沈着冷静に、顎に手を寄せる。
(この、渡辺勘兵衛とやら、子供といえ、大人と変わらぬ体躯をほこる虎之介と市松の連続攻撃を、まるで、柳を相手に戦うように、簡単にヒラリヒラリと、受け流しておる。おそらく、木下の殿が、心配するように、明智家にとっての器量人であろう。しかし!)
「安治! 助作! 孫六! 権平! お主たちも木刀を掴み渡辺勘兵衛へ打ってかかれ!!」
半兵衛は、左近の武勇を恐れて、中庭の脇に控えて見守っていた初年たちに声をかけた。
「おう!」
年長の安治こと、脇坂安治を中心に、助作、孫六、権平が木刀を構えて虎之介と、市松の穴を縫うように、左近を取り囲んだ。
「う~む、これは……」
(さすがの左近もこれでは、借り物のカケル殿の身体を傷つけかねない)
左近は、藤吉郎の子飼いの子供たちによって、稽古という名目でリンチされ、打ち殺すという思惑を読み取った。
キリッ! キリッ!
もはや、左近の全方面が、子供とはいえ、己を撲殺しようという敵だ。
「ならば、今度は、こちらから参る!」
取り囲まれた左近は、正面の虎之介が突きを放つより早く、その構えた槍を弾き飛ばし、返す刀で、市松の槍を打ち据え、踏みつけた。
あとは、大人と変わらぬ子供は年長の安治のみ、左近は、早かった。自己から、安治の懐に飛び込み、その木刀を叩き落とした。あとの子供たちは簡単である助作、孫六、権平と、順番に、その木刀を弾き飛ばした。その時、
「エイヤー!」
審判を務めていた半兵衛が、木刀を構えいきなり打ち込んできた。
「なに?!」
左近は、寸前のところでその一撃を防いだ。
つばぜり合いをする青年は、ここにきて、初めてその名を明かした。
「某は、木下藤吉郎が家臣、竹中半兵衛と申す」
「竹中半兵衛……竹中の半兵衛と云えば、かつて、美濃(岐阜県)の斎藤氏へ仕えておる時、主の慢心をいさめようと、わずか、二十人にも満たない手勢で、難攻不落の稲葉山城を乗っ取った天才軍師ではござらぬか」
「渡辺殿、よくご存じで、しかし、それは枝葉が付いた噂にございます」
「しかし、半兵衛殿と云えば、乗っ取った稲葉山城も一月、主にお灸をすえたら、金銭で譲り渡しを申し込んだ織田信長の条件でも、『うん!』とは言わず、そっくり、斎藤の主に返したと云う清廉潔白の御仁。それがなぜ、このようなワシを取り囲んで卑怯な真似をなさる」
「これは、飽くまでも渡辺殿の器量を試すための稽古、他意はござらん」
「半兵衛殿、飽くまでも稽古と申して、白を切られるおつもりか、それならば、この渡辺勘兵衛も受けて立つ!」
竹中半兵衛、やがて天下人まで立身出世を重ねる豊臣秀吉の前半生を支えた天才軍師である。ここでは、その英知は披露する場ではないので、あくまでも、剣術の器量のみを紹介しよう。半兵衛は、その切れる頭脳以外にも、この剣術が得意である。若き頃、京へ天下一を競う剣術の大会へ参加すべく上洛の途にあった剣豪として名高い塚原卜伝から、逗留の宿として寄宿させた折、数か月、直接その手ほどきを受けた。
半兵衛の剣術は、当世、一流の流派、天真正伝香取神道流であるのだ。
もともと、頭脳明晰の半兵衛である。自己で、剣術の工夫を重ね剣術の腕もなかなかのものである。さしもの左近も得意の槍術ではなく剣術で受けて立つのだ。しだいに、追い込まれた。
カポ~ン!
とうとう、左近は、半兵衛に身を守る木刀を弾き飛ばされた。
半兵衛は、腕に渾身の力を込め、左近の脳天を叩き割らんばかりに振り下ろした。
つづく