102三方ヶ原の戦いその3(カケルのターン)
スルスルスルと、山県昌景隊を離れ、後方へ向かう嶋左近隊三〇〇〇は、最後方の武田信玄の隊まで下がって来た。
「あれ? 小荷駄隊が本隊より先にいる??」
カケルは理由はさっぱりわからぬが、物資を供給補給の小荷駄隊は山県昌景の隊でも見知っていて最後方に居るものと暗黙の了解で思っていた。しかし、いつもとこの戦いは違うことになるのかもしれない。と、異変を感じ取るには十分であった。
カケルに寄り添う、山県虎が小荷駄隊の護衛を司る一重の切れ長い目をした木曽義昌を見つけて、
「小荷駄隊の大将木曽義昌は白目の多い三白邪邪眼をしておる。お館様の娘御を貰い一門に名を連ねて居るが、ワタシは、あやつには腹の底で何を考えておるか分からぬそら恐ろしいものを感じる。左近、お主もそう思わぬか?」
カケルは、クリクリお目眼で、木曽義昌を眺めて、「う~ん」と難しそうに、腕を組み頭を捻った。
「おお、これは左近殿の見識眼が聞けそうにございますな」
ともに、並んで話を聞いていた菅沼忠正が、興味不深く、話に乗り出した。
「う~ん」
それを見た、奥平貞能が、
「左近殿も頭を捻る時がございますのですな」
と、身を乗り出した。
「う~ん」
それを見た菅沼満直が、
「これは我らが大将の大事な慧眼楽しみにござる」
皆、カケルがこれから、山県虎の問いかけに、木曽義昌についてどんな見解を示すのか興味深く見守っている。
「これは臭う……」
山県虎が、カケルの継いで出る言葉に身を乗り出した。
「なに、やはりあの木曽義昌は臭うのか?」
「うん、臭い」
そのカケルの言葉に、奥平貞能が、
「ほう、左近殿は頭は回らぬと思っておったが、やはりなにやら感じるのか?」
「うん、感じる。お腹のあたりがモヤモヤする」
それを聞いた菅沼満直が、
「さすが、我ら山家三方衆を一滴の血も流さず飲み干した、あの山県昌景殿も見込んだその才、さあ、お聞かせ下され」
「うん、きたぞ、きたぞ、腹の底に溜まってきた。いくぞ、せ~の」
全員×「せ~の」
「ぷ~~~~~う、ぷっぷ、ぷすぷすぷ~~~~~~!」
カケルの言葉に注目した息をのむ全員が、ひっくり返るような情けない音だった。
「コラッ! 左近、我らをバカにしておるのか!!」
手厳しく山県虎の問い詰めにあって、カケルは申し訳なさそうに頭を掻いて、
「だって、おならを我慢しきれなかったんだ」
菅沼大膳が、鼻をつまんで、
「こら、左近、昨夜何を食ったのじゃ、すごくかぐわしき悪臭じゃ」
「いやね、昨晩は、珍しく鳶加藤さんが来てね。『明日の決戦にそなえて英気をお養い下さい』て、山猪の肉をもってきてくれたんだ。それを、鳶加藤さんが、肉を木の枝にぶっさしてクルクル回してこんがり焼き肉にしてくれたんだ。それを、さっぱり、ワサビ醤油につけて食べたものだから、箸が止まらなくて、よだれが出ちゃうほどおいしくておいしくて……」
グルグルピ~~~~~?!
カケルの腹がなった。
「やばい、お腹痛い、みんな、ちょっと、行軍停止~~、ちょっと、”亀”に行ってきます」
「亀?! 亀とはなんじゃ? 奥平殿知っておるか?」
と、菅沼大膳が尋ねる。
「亀か、なにかの合言葉のようであるが? 『山』「川』なら知っておるが、はて? 年長の菅沼満直殿はご存じないか?」
「はて、聞かぬな。これが、此度の戦の左近殿が我らの間だけで使う合言葉やも知れぬ。じっくり尋ねねばならぬな。ちと、お聞きいたすが『亀』なる合言葉はなんでござるかな?」
馬から降りたカケルは尻を押さえて一目散に林へ向かって、
「亀がうんちで、鶴がおしっこだよ、もう我慢できな~い。みんな、ちょっと、まってて」
「こら、左近! 話はまだおわっとらんぞ!」
と、山県虎が叱りつけたが、カケルは小荷駄隊が通過していく、後ろの林に入っていった。
「あ~~~!」
林で尻をまくって野糞をしかけるが、何かに気付いて声をあげた。
「どうしたのじゃ、左近!」
山県虎は馬を蹴り降りて、カケルのいる林へ向かった。
「キャッ! エッチ!」
草むらでヒョッコリ顔をのぞかせて、尻を丸出しのカケルの側に駆けつけた山県虎に、カケルは乙女みたいな声をあげた。
「左近、何事じゃ!」
尻を拭いたカケルはあわてて、フンドシを閉めなおして、立ち上がった。
「あれ!」
カケルは小荷駄隊の荷車に付けられた木曽隊の笹竜胆の家紋を指差して、
「木曽の家紋がどうしたのじゃ?!」
「あの家紋、ちょっと前、まだ、山家三方衆で敵味方だった、作手亀山の奥平さんたちと戦っている時、情報が筒抜けになっている時会ったじゃん。あん時も今日と同じように、こんな風に林で野糞してたんだ」
「そういえば、確か、あの時、林の中で小姓が何者かによって、首を掻っ切られて果てていたのをお主が見つけて来たことがあったな」
「うん、あの時、そう、あの時、(木曽家の家紋、笹竜胆を指差して)あれにそっくりなのを見かけたのを思い出した」
「なに?! 御一門の木曽家が?!」
「うん、間違いない。あの時、小姓さんの亡骸の近くの陣屋は木曽の笹竜胆だった。あの時は気づかなかったけど、今は、ハッキリわかる。あの時、一緒にあったのは木曽家の笹竜胆だ」
「分かった左近、御館様の目に光を失ったことと何かつながりがあるやも知れん、一大事だ! 今、御館様(武田信玄の事)の給仕の担当は木曽じゃ、すぐさま、父上に申し上げて、なにか、策を講じねばならぬ。よくぞ、思い出した左近よ!」
つづく




