俺たちの幕開け
教師の熱意の篭った声だけが響く静かな教室。この時期特有のしとしとと校庭に降り注ぐ長い梅雨の雨の音を堪能しながら、教師の熱弁など届いていないかのように俺は目の前の安っぽい藁半紙とにらめっこをしていた。
浮かばない。何も浮かばない。心に突き刺さるような一文が思い浮かばないのだ。俺が悩み悩んでいることについては日本海溝くらい深い理由があるのだ。日本海溝の深さとかよくわからんけども。
俺、最上タケルは県立竹伏高校2年C組の至極一般的な生徒だ。勉強はまあ普通、遅刻は少々、趣味は人間観察と遅刻するギリギリまで二度寝をすることくらいだ。部活は一応サッカー部に所属(補欠)していて、うまさは……まあ、中の下くらいだろう(補欠)。と、そんなくだらないことを寝起きの悪いボケーっとした頭で考えていたら、隣から小言が飛んできた。
「サッカーのうまさが中の下?俺には下の下にしか思えないけどな」
「朝っぱらから人のモノローグに勝手に入ってくるんじゃあないよ、お前はエスパーか」
?マークが浮かんだ表情で彼が言った。
「はぁ、モノローグ?俺はそこの自己紹介用紙に書いてある象形文字みたいな暗号文を解読しただけだよ」
人様の達筆かつ芸術的な文字を象形文字扱いする隣の席のこいつは高野優作。俺と同じサッカー部に所属する(スタメン)幼馴染み(イケメン)というか腐れ縁というか、まあ簡単に言えば昔からの知り合いだ。
「まだその紙書き終わらないのかよ、提出期限は昨日までだぞ?自己紹介文なんてテキトーで良いんだよテキトーで」
この男はなんにも分かっていない、この紙にどれだけの重要性があるのかを。
「お前は分かってないぜ、ユウ。この色褪せた再生紙にどれだけの魔力が込められているのかをね」
ユウがを退屈そうに頬杖をつきながら聞いてきた。
「ほう、その魔力とヤラを教えて頂こうじゃないか」
姿勢がそれほどよろしくない背中をピンと立たせ、俺は一呼吸ついてからズバリ言う。
「それはもちろん、新しく赴任してきた非常勤の美人のセンセーに名前を覚えてもらうためさ!!!」
少しの時間も経たない内に鼻で笑われた。
「タケル、お前はそんなんだからモテないんだよ」
しかも首を横に振りながら肩をポンポンっと叩かれてしまった。なんだよ、美人のお姉さんに少しでも覚えてもらいたいんだよ。文句あっかッ!?アァン!?
「そんな事しなくても直球勝負でいいだろ、もしかして言葉とか喋れないお猿さんか何かなの?」
自己紹介文を考えているだけでお猿さん扱いをされてしまった。俺は象形文字も書けるしお猿さんよりは知能は上、のはず。ウキー!
ここで俺は反撃を試みる。
「文字にはね、パワーがあるんだよ、ググっと心を抉るように掴み取ることが出来れば一発でこの平凡な名前を覚えてもらえるはずなんだよ!!!」
ユウがゴミを見るような目で一言、
「バカバカしい、そんなことしてる時点でお前の平凡さが伺えるな」
平凡とか言うな!!平凡なことは素晴らしい事なんだぞ!!平に凡って事なんだからな!………つまり、どうゆうことだ?そんなことはどうでもいい。
「ユウはいいよな、成績優秀、運動神経抜群、イケメンの三拍子でさぁ。まあ性格が悪いことでバランス取れてるから許せるけどよ」
ユウが机をバンバン叩き意義を申し立ててきた。
「そこは性格バッチリで四拍子にしてくれるかなぁ??」
そこだけは誰がなんと言おうと断じて譲れない、譲ってたまるか。
その直後怒号が鳴り響く。
「うるせぇぞ!!お前ら!!!黙ってノートを取れ!!」
日本史の岡Tに怒られてしまった。巻き込み事故にも程がある。
「センセーこいつ内職して自己紹介のプリント記入してまーーーす」
ユウぅぅ貴様ァァァア!俺を売りやがったなぁァァ!!!
サッと伝説の藁半紙を机の中に隠そうにも少しばかり遅すぎた。腕っ節の太い岡Tに対抗する隙もなく呆気なく奪われてしまい伝説の藁半紙は一瞬にして木っ端微塵の紙クズと化してしまった。許さねぇユウ、お前の末代まで呪ってやるからな。
「最上、休み時間に床のゴミ掃除が終わったら職員室まで来るように」
個人指名が入ってしまった。これは竹高ナンバーワンの夢に一歩近づいたかもしれない。教室の誰かがクスクスと笑った声がした。
そんな悲しみの指名が入った直後に授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。
「再来週からはテストが始まるからしっかりと今までのプリントを復讐しておくこと、それじゃ授業終わり!」
体育会系の暑苦しい授業がやっと終わった。 ありがとうございましたーとクラス中からまばらに声が響き休み時間となった。俺には休み時間はないのだけれど。
「床のお掃除とセンセーのご奉仕頑張れよ、タケリュくん♡」
ニタァーとした笑みを零し、教室を去りながらユウが言った。韻を踏んでいるところがますます腹立たしい。
とっとと説教を終わらせて次の授業の準備をしなくては。次は移動教室なのだ。
竹高には選択科目がありその時間は皆がそれぞれの教室に散り散りになっていく。
ホウキとちりとりを掃除用具入れから取り出し、床に散らばった無残な亡骸をザザっと掃いてから俺は職員室へと向かった。
ゲンコツ一発は覚悟して、ビクビクしていたが単独指名の説教は割と手早く終わってラッキーだった。岡Tが移動教室を考慮してくれたのだろう。鬼の目にもなんとやらだ。意味あってるのかな?まあ何にせよユウが呼ばれてないことだけは不満なのだが。
余計なことを考えている時間はなく、もう2限が始まっているため準備を済まし下の階にある地学室へと足を運んだ。
授業が始まっている教室に入る感覚は結構気に入っているのだ。不純物が混じる感じがして嫌いではない。俺は静まり返った地学室に煌々とした気分で入ってゆくのだった。
2限3限4限と退屈な時間が過ぎ去りお昼休みとなり校舎内は少し賑やかになる。
残念なことに本校には学食はないのだが1階に購買部があり4限のチャイムと同時によーいドンだ。階段付近に購買部があるためこの時間は大変混雑する。俺は走りはあまり得意ではないので、お昼を登校中にコンビニで買ってしまう。廊下を走るのは良くないしね!
そんな優等生気取りの俺だが、お昼休みは教室の片隅でユウと2人で過ごすことが多い。友人は多い方ではないが全くいないわけでもない。
コンビニで買った菓子パンを口いっぱいに頬張りながら、ユウのくだらない話を聞くことが毎日の日課だ。今日はどんな話を持ち出してくるやら。
「タケル、お前夜の部室棟に出る幽霊の話知ってるか?」
また訳の分からないことを言い出しやがって。幽霊だって?
「ちょっと蒸し暑くなったからって怪談とは芸がないにも程があるよ、ユウ」
ムッとした顔で彼が言う、
「それが本当かもしれないんだぜ?隣のb組では噂になってるんだって!見たっていう生徒も何人かいるとかいないとか」
どっちだよ。まあ誰かのイタズラだろうからどーでもいいけどね。
「さてはその顔信じてないな?」
ご明察。信じるも何も幽霊なんていないし。いるのであればぜひ一度謁見させていただきたいね。
「幽霊なんかよりよっぽど岡Tが待ってる職員室を訪ねる方が怖いっつーの」
睨みつけるように言い放つと、ユウはそっぽを向いてヒョロロローと口笛を吹いている。こいつ口笛は下手くそなのかよ。
「まあいいから聞けって」
「んなもん聞かな…」
俺が い と言い終わる前にユウはベラベラとお化けについて語り出してしまった。
「部活動も終わって9時過ぎの、だれーもいない部室棟の前に女の服を着た幽霊が歩き回ってるんだってよ!!しかもその女、ふと目を話すとどこかに消えちゃうんだってさ!!さっきも言ったけど何人か目撃してるらしいぜ」
楽しそうに喋るなぁこいつ。部室練は運動部専用のもので校舎から少し離れた校庭を挟んだ向かい側にある。運動部でない者は立ち寄ることがまずないだろう。
「うわぁ…胡散くせぇ…」
この時俺はこいつがこんなことを言い出したので次に言うであろうセリフは察していた。長年の付き合いなのだ。
「俺らで真相を暴きに行こうぜ!!!」
ですよねー。知ってたよ。
「はぁ…暴くっつったって行けば毎回会えるわけじゃないだろ、地下アイドルじゃねぇんだからさ」
力の抜けた声で俺はユウに文句を垂れると、
「だから毎日張り込むに決まってんだろ、頭を使えよスカポンタン」
こう言ったからにはこいつは絶対曲げない。俺の部活終わりの安息の時間は、こいつのくだらないお遊びに消化されることが確定したのだった。