2 リリアの夢は冒険者
特訓を終えたダインとリリアが家に帰るとイリスが二人を出迎えた。
「お帰りなさい。リリア、楽しかった?」
「うん!」
天真爛漫な笑みを浮かべるリリアの様子を見て、イリスは安心したように微笑む。
「ああそうだ。リリア、クリフからお菓子をもらったぞ」
「クリフおじさんから!? わーい、クリフおじさんの珍しいお菓子はいつも美味しいから大好きー」
そう言ってリリアはさっそくダインから渡された袋を開け、中に入っていた見慣れない豆のようなお菓子を躊躇なく口に含む。
「んー! 甘くて美味しい!」
「そうか、良かったな」
「お父さんも、はい!」
「おう……ん、確かに美味いな。リリア、お母さんにも食べさせてあげよう」
「はーい。お母さんもどうぞ!」
「うん、ありがとう……ん? これなら、家でも作れるかも……」
「えっ、本当!? お母さんすごーい!」
「うん、たぶん。今度材料を集めてみるから、リリアも一緒に作ろうね」
「わかった!」
イリスの言葉にリリアは興奮した様子を見せる。甘いお菓子を前にしたときのリリアは、普通の十歳の少女そのものだった。
そんな風にしばらく一家団欒の時を過ごす。
しかしそんな平和なひと時も、リリアの一言で一変してしまう。
「ねえリリア。リリアは将来、何になりたいの?」
「冒険者!」
「えっ……?」
「だから冒険者だよー。おとぎ話の勇者様みたいに、世界中を冒険して回るの!」
「ダメよ、リリア……そんなの、危ないじゃない」
ニコニコと笑顔で夢を語るリリアに対し、イリスは泣きそうな表情を見せて狼狽する。
リリアはダインから子守歌代わりに、かつて魔王を倒した勇者たちの英雄譚を聞かされて育ったのがきっかけで、いつしか冒険者になりたいと憧れを抱くようになっていた。
冒険者になりたいというリリアの夢はダインも応援するつもりだった。何故ならこの小さな村で過ごすだけでは、知ることの出来ないものが世の中にはたくさんあるからだ。
しかしイリスは、そんなリリアの夢をこの日まで知らないでいた。そしてリリアを大切に思うからこそ、イリスは冒険者になりたいというリリアの夢に反対した。
「リリアは知らないのよ。冒険は、おとぎ話みたいに華やかなものじゃない。いつだって死が隣り合わせの、本当に危険なものなの」
「でも、だって、毎日特訓……」
リリアは当然イリスも自分の夢を応援してくれると思っていたので、突然反対されて困惑する。
イリスに言われるまでもなく、冒険が危険なことはリリアも知っていた。だからこそ毎日特訓を頑張っていたのだ。
「……ダインは知ってたの?」
「ああ」
「どうして止めようとしなかったの? リリアが危ない目にあってもいいの?」
「そんなわけないだろ。でもそれがリリアの意思なら、それを邪魔することなんて誰にも出来ないんだよ。それは俺もお前も、よく知ってるはずだ」
「そうだけど、でも! せっかく、世界が平和になって、みんな幸せに暮らせるようになったのに……」
魔王の脅威に怯えていた時代とは違い、今は誰もが平穏無事に暮らせるようになっていた。
そんな世界で、かわいい一人娘が自ら危険の中に身を置こうとしている。イリスがリリアの身を案じるのは母親として当然と言えた。
「……お母さん、私は冒険者になったらダメなの?」
「それは……」
リリアは泣きそうな表情で、しかし必死に涙をこらえながらイリスに尋ねる。
本心であればイリスはダメと言いたかった。けれどそう言ったら、きっと素直なリリアは自分の気持ちを押し殺して冒険者の夢を諦めるに違いない。
娘を思うからこその母親の葛藤。そうして思い悩んだ末に、イリスは彼女なりの最大限の譲歩を見せるのだった。
「……冒険者になりたかったら私に勝ってからにしなさい」
「いやイリス、それは……」
イリスの剣の実力を知るダインは、彼女なりの譲歩が全く譲歩になっていないことをツッコもうとする。
「え、お母さんに勝てばいいの? それなら簡単だね!」
しかし生まれてこのかたイリスが剣を持っている姿すら見たことがないリリアは、イリスの実力を知らないからこそ楽観的にそう言った。さっきまでの泣きそうな表情は一瞬で笑顔に変わっている。
「……まあいいか」
二人の様子を見たダインは、結局そんな風に成り行きに任せてみることにする。
そうして始まった二人の勝負は、一瞬であっさりと決着がついた。リリアの喉元にはイリスの持つ木剣の切っ先が突き付けられている。誰がどう見てもイリスの圧勝だ。
「なんで!? お父さんとあんなに特訓したのに!」
イリスの実力が信じられないのか、リリアは誰に言うでもなく疑問の声を上げた。
「いや、剣の腕だけならお母さんはお父さんより強いんだよ」
「……戦わないと相手の強さが分からない時点でリリアは冒険者失格」
負けても仕方ないのだとリリアを慰めようとするダインとは対照的に、リリアの力不足を淡々と指摘するイリス。
実際イリスの言うように、彼我の戦力差を測って勝てない相手からは逃げるというのは、冒険者として長く生き延びていくためには必要不可欠な素養である。
しかしリリアは今までダインとしか戦ったことがないため、そうした強さを測ったり比較したりという経験がそもそも無かった。だからこそイリスがどれくらい強いのかもリリアには分からなかったのだ。
「どうするリリア。冒険者になるのは諦めるか?」
ダインは優しい口調でリリアにそう尋ねた。とはいえ、リリアが何と答えるかはダインにも最初から分かっていたのだが。
「ううん。もっといっぱい特訓してお母さんに勝つよ! そうすれば、お母さんもちゃんと認めてくれるんだよね?」
「……うん、そうね。リリアが私に勝てたら、私もリリアの夢を応援する」
「本当!? 絶対だからね、約束だよ!」
そうしてイリスと約束を交わしたリリアは、当面の目標を「打倒お母さん」として、日々の特訓に励むことを決意する。
しかしリリアはそんな自分が立てた目標が、一体どれほど困難なものであるのかをまだ知らないでいるのだった。