1 辺境のオース村
オース村という辺境の小さな村には、似つかわしくない立派な隊商がいつもやってくる。
「まいどあり!」
「いつも悪いなクリフ。この苗も他所だったらもっと高く売るんだろう?」
「何言ってるんだダインさん。いつも言ってるが、あんたは俺の命の恩人なんだからこれでも高いくらいだぜ! というかダインさんからぼったくったなんて噂が立ったらそれこそ生きていけないからな、がっはっはっ!」
クリフと呼ばれた髭面の行商人は、そんな風に話しながらも下働きの青年らに的確な指示を出して、作物の苗と肥料を村の蔵へと運ばせた。
クリフは立派な馬車を複数所持して各地を巡っているこの世界でも有数の行商人である。
普通であれば彼ほどの行商人はオース村のような小さな村にはやってこないが、村長を務めるダインと古くからの縁があり、今も年に数度こうして村に必要な物資を格安で売りに来ていたのだ。
「ああそうだクリフ、ここに書いてあるものも見繕ってくれないか」
「構いませんよ、どれどれ……何だダインさん、また旅でもするんで?」
「いや、俺はそんな予定ないが、もしかしたら近々必要になるかも知れないんだ」
そう言ったダインにクリフは釈然としないものを感じるが、客の都合を詮索するのも無粋だと思い、記載されている一式を手際よく下働きの青年らに集めさせる。
「そういや、リリアちゃんは元気にしてますかい?」
「ああもう元気元気。元気過ぎてだんだん手に負えなくなって来てるよ」
「ははっ、まああんたら二人の娘だからな」
ダインと妻のイリスをよく知るクリフは、そう言って納得する。
「そうだ、この菓子をリリアちゃんにあげてくれ。クリフおじさんからってな」
「何だ、会って行かないのか?」
「こう見えておじさんも忙しいんだ」
「それもそうだな」
あまり日持ちしない積み荷もあるだろうし、これ以上クリフを寄り道に引き留めるのも悪いだろう。そう思ったダインは手早く今回の精算と次回の注文を済ませると、村を出発するクリフたちを見送った。
そうして家に戻ると扉を開けた途端に、赤髪をサイドテールにまとめた少女が抱き着いてくる。彼女は今年で十歳になったダインの娘のリリアだ。
「お父さーん! 特訓しよー!」
「それはいいけど、勉強はちゃんとしたのか?」
「もちろん! ね、お母さん?」
「うん。リリアはちゃんと勉強した」
リリアの勉強を見ていたイリスもそう言うのであれば問題ないだろう。ダインは両手に持った荷物を家に置くと、いつも通り木剣を片手に持ってリリアと共に家を出ることにする。
「じゃあ行ってくるよ」
「行ってきまーす!」
「はい、行ってらっしゃい」
笑顔の二人にイリスも優しく微笑みながら、小さく手を振って見送った。
そうして家の裏にある広大な畑の敷地を越えた向こう側にある、まだ開墾されていない草原に二人はやってくる。
「なあリリア聞いてくれ。俺のイリスが可愛すぎてやばい」
「もー、そんなことより早く特訓しようよー」
三十七歳のダインとその八歳年下のイリスはラブラブ夫婦として村中でも知られており、ダインは娘のリリアにも容赦なくのろけ話を始めるのだった。
ただもちろんリリアも慣れたもので、そんなダインの話はいつも華麗にスルーしている。
そんな普段通りのやりとりをしながら、二人が適当な間合いを取って相対すると一瞬で空気が切り替わった。そのまま特にどちらが合図をすることもなく実戦形式の特訓が開始される。
「てやっ!」
リリアがそんな掛け声とともに瞬時に距離を詰め、手にした木剣を最上段から打ち下ろそうとする。ダインはそれを難なく木剣で受け流し、リリアの隙をついて反撃しようとするが、リリアは即座に飛びのくように距離を離した。
相変わらずリリアは危険察知が鋭い、とダインは感心する。実戦経験はないにも関わらず、リリアは生まれ持ったセンスによって、さながら歴戦の剣士のような感覚を養っていた。
「えいっ!」
リリアは再度同じように上段から木剣を叩きこもうと、目にも止まらぬ速さで近づく。
「それはさっき見たぞ」
ダインはそう言いながら、さきほどと同じように絶妙な力加減で木剣を受け流そうと構える。
しかし次の瞬間、リリアは振り下ろす剣を途中で止めると、屈むように身を縮めて下段から振り上げるように剣の軌道を変化させた。
――フェイント。
しなやかな全身のバネを生かしたリリアのそれは、並みの使い手であれば目の前から消えたかのように錯覚したであろう。
しかしダインはそんなリリアの動きにも完璧に対応して木剣を捌き、そのままリリアのがら空きの胴体に軽く肩を当てる。
するとリリアはそれだけで簡単にバランスを崩して仰向けに倒れてしまう。そして眼前にはダインの木剣が突き付けられた。
「ま、参りましたー……というかお父さんはなんで今のも当たらないのー?」
「いや、今のはかなり良い線いってたぞ?」
「もー、お父さんの良い線いってるは当てにならないから嫌ー」
体を起こしながら、リリアはそんな風にぶーぶーと文句を言う。
それもそのはず、リリアは小さな頃からほぼ毎日続けているこの特訓で、今まで一度もダインに攻撃を当てたことがないのだった。
それに昔とは違って、最近のダインはリリアの動きを褒めることが多くなった。しかしそれでも依然として結果には繋がっていないのだから、リリアとしては面白くないのである。
「何だリリア、俺に勝ちたいのか?」
「そりゃそうだよー。だってお父さんにも勝てないんじゃ、立派な冒険者になれないでしょ?」
「いや、それは……まあ、そうかもな」
村から一度も出たことがないリリアは、自分が今どれくらい強いのかをダインとの差でしか知ることが出来なかった。
だから立派な冒険者になるために、まずは父のダインを倒すのだと語るリリアを見て、ダインは少し困ったような反応を見せる。
だがそんなダインの様子に気付かないリリアは、次こそはダインに攻撃を当てて見せると意気込んだ様子だった。
「だから私はもっと特訓しないとね! ほらお父さん、続きしよー」
「……ああ、そうだな。よーし、どこからでもかかって来い!」
そうしてまた二人は木剣を交わらせて、特訓を再開する。
ダインが一つ技を教えれば、リリアはそれを応用した技をいくつも自分のものとして扱えるようになる。そんなリリアに剣を教えるのが、ダインも楽しくて仕方なかった。
元々は動物や魔物から身を守るための自衛手段として教え始めた剣だったが、そんなレベルはとっくの昔に通り過ぎていた。そんな今のリリアの剣の腕前は、並みの人間では一生かかっても到達することの出来ない領域にまで到達している。
――このまま戦いを教え続けたら、リリアはどこまでいけるのだろうか。
そんな風に思うダインはリリアの才能に心を躍らせると共に、ほんのわずかながら畏怖の念を抱くのであった。