3 金色の龍
ウォロは、また1体の魔物を斬った。しかし、休む暇もなく右から1体、後ろからもう一体襲ってくる。無理やり息を吐きだして呼吸を整えると、右の一体を串刺しにし、そのまま体を捻って後ろの魔物諸共もろとも薙ぎ払った。
「クソッ、どうなってんだ....」
乱れる呼吸を鎮めながら、辺りを見回してそう呟くウォロ。その言葉には、驚愕と怒りが込められている。
初めに見たときには、疾風狼だけだった魔物の群れは、いつからか地烈狼や吸気花なども加わっていて、大群となっていた。しかも、斬っても刺しても穿っても、どこから来ているのかその数は減らず、しかも少しずつ増えているという状況に誰もが疲労を隠せずにいた。
右の方を見ると、数人の負傷した衛兵を庇うようにグレンが奮闘していた。覚えたての技能アーツ〔元素付与〕を使って、炎素を剣に纏って襲い掛かる魔物を火達磨にしていた。
また、前方ではウォドルが鬼気迫る形相で魔物を斬り刻んでいた。その斬撃は、目で追う事が出来ないほど速い。その姿は、全盛期に『鬼剣士』と揶揄されたその姿の再現だ。
しかし、どちらも疲れ切っていることがありありと伝わってくる。自陣はもう限界なのに対し、魔物たちはその数を増やし続け、終わりが見えない。そして一人、また一人と倒れていき、もう立っているのはウォロ達含めてたったの5人。もう終わりなのか、そう諦めかけたその時、ふと、頭の中に声が響いた。
―――力を開放せよ 今こそ"契約"を果たす時
その声と同時に感じたのは、体の中に渦巻く力の奔流。その流れに動かされながら無意識に右手を掲げ、力を開放する引き金を引いた。
「出てこい"ウロボロス"ッッ!」
そして....
***
グレンはとても疲れていた。慣れない〔元素付与〕を連発し、また後ろの傷ついた衛兵を庇いながら戦っているので、心身ともに余裕が無くなってきている。
今まで何体の魔物を屠ってきただろう。息は上がり、体が重くなっていて、意識も朦朧としている中の戦闘は、いつか致命的なミスへとつながる。今、この時のように。
「グッ....」
右から体当たりしてきた地烈狼に気付くのが遅れ、もろに受けてしまう。何とか踏ん張ってボディーブローを返す。そして、浮き上がったところに膝蹴りを当て、何とか吹き飛ばすことに成功した。
「ガハッ。ハァ、ハァ」
とうとう限界が来たのか、吐血しながら膝をつくグレン。今まで魔物の血を吸ってきた大剣は所々欠け、中には亀裂が入っている所もある。
「クソッ....」
力尽きたグレンに群がるように、魔物達が周りを囲む。じりじりと間を詰めてくる魔物達を見ながら、グレンは呟く。
「ウォロ。俺はもう無理そうだ。後は、頼ん....ッ!」
しかし、途中で目を見開くことになった。魔物達も、その光景に硬直する。
光だ。戦場を埋め尽くさんとする、眩い光の奔流が天から伸びてきたのだ。その光の柱は一点に集まりと、一人の少年の下へと吸い込まれていく。
衛兵も、魔物も動けない中、グレンは彼の名を口にする。
「ウォロ....」
叫んだと同時に、天から光の柱が下りてくる。その光は一点に集まると、吸い込まれるように指輪の宝石へと入っていった。その瞬間、体内の混沌とした魔力の渦が流れを作り、右手へと流れ、指輪から放出される。
「ッッァァァアアア!!!」
その力の巨大さに思わず叫び声をあげるウォロ。体は黄金色の光に包まれ、右目には何かの文様が点滅する。
ウォロは、これに耐えなければいけないという、根拠もない思いに必死に歯を食いしばっていた。これを耐えなければ、何か悪い事が起こる。結果的に言えば、ここで踏ん張ったおかげで今の状況を乗り越えることが出来た。
天からの光と魔力の奔流が混ざり合ったその時、光が爆ぜた。誰もが咄嗟に目を覆う。そして、視界がもとに戻り、目を開ける彼らは、あり得ない光景に息を呑んだ。
龍だ。それも、とても大きな龍だ。体長は〈カリャ〉を囲めるほど。ウォロの上空に影を落としている龍は、金色の光を放っている。二つの紅に染まる瞳には、とある文様が浮かんでいる。蛇がうねり、自分の尾を咥えているような。それは、時間を表す神の象徴。
人々が驚きに静まり返る中、その声は明瞭に響いた。
「喰らい尽くせ」
発信源はウォロ。しかし、彼の物とは思えない冷たい声だ。その命令を受諾した龍は、次の瞬間、魔物の塊めがけて急降下した。
「うぉっ」
その群れは、グレンを囲っていた魔物たち。グレンが眩い閃光に目を手で覆う。しかし、魔物達はその場から動けない。その原因は、畏怖。龍から発せられる厳かな雰囲気と神気によって体を動かすことができないのだ。
ヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲ!!!
咆哮を轟かせながら、金色の龍はその顎を開く。そして、そのまま地面を抉りながら通過する。誰もがその光景に目を向ける中、龍が再び天空に上がった時に残っていたのは、腰を抜かすグレンと、抉られた地面だけだった。
「なんじゃこりゃ....」
思わずグレンはそう零す。無理もない。光に目を閉じ、再び開けたときには魔物が居なくなっていたのだから。
龍は蹂躙を続ける。力なき魔物達をただの餌かの様に貪っていく。魔物達は、為す術無くその体を喰われていき、その命を消していく。
――戦場から魔物達が消えるまで、10分も掛からなかった。
***
「これは予想外だ....」
その男は物陰に身を隠しながらそう呟いた。先程までは上空から状況を俯瞰していたのだが、突如身の危険を感じ、本能のままにその場から離脱したのだ。地上に降り立ち、〔気配遮断〕を掛け直して周囲の安全の確認をしてから空を見上げると、その光景に思わず目を瞠ってしまった。
「やっと出てきたか」
金色の光に身を包み、眼下の魔物を睥睨する巨大な龍。その瞳は紅に染まっていて、そこには特徴的な文様が浮かんでいる。
そう。その龍は、男が探し求めていた神だった。
「さあ、我らの物にッ....?」
懐から『忠誠の首輪』を取り出し、いざ発動しようとしたところで、彼は違和感を感じた。ひとまず〔気配感知〕を使ってみると、その正体に気付いた。
「気配が薄い....」
彼が昔に感じたものよりも、目の前にいる龍の方が気配が薄いのだ。封印から解かれた後だから? と考えた男だが、龍がとった行動にその考えを打ち消す。
「奴は魔物を喰らうなんてことはしない。そうか、あれは本体では無いのか。だから気配が薄い。魔物を喰らっているのは、本体にエネルギーを蓄えるためか....」
考えが至ったところで、彼は苦笑いを浮かべる。
「分身体であの破壊力とは。まったく、とんだ規格外だ。それはいいとして、まさかガキに奪われるとは」
彼の目線の先には龍の分身体を出現させた少年―ウォロの姿が。
「悔しいが、今は一度引いた方がいいな。〔糸人形〕の影響下にある魔物もほとんどいなくなってしまったからな....」
男は、従えていた魔物の反応が急激になくなっていくのを知覚しながらそう呟いた。そして、もう一度龍に目を向けると、
「待っていろ、【時主】ウロボロス」
次の瞬間には、彼は姿を消していた。男が居た痕跡を何一つ残さず。呟きは、風に乗って消えて行った。
***
ウォロは、意識が朦朧としている中でその光景を目にしていた。それは、金に輝く龍が魔物を喰らって、貪っていく光景。その龍は自分がこの世に召喚したんだと、回らない頭でそこまで知覚する。しかし、限界に達したのかその場に崩れ落ちてしまう。
ウォロがこんな状況になっている理由。それは、魔力の枯渇にある。魔力というのは、この世のどんな動物も持っているもので、生命力の根本とされている。しかし、その保有量は生物によって様々。人間の中でも、ほとんど持っていない人が居れば、逆に莫大に持っている者もいる。
魔力をたくさん持っている者は、魔法や身体強化のほかにも、無意識に魔力を利用している。例えば、脳から発せられる信号が動かしたい器官に送られるまでのタイムラグが遅いと感じてしまう人は、魔力を直接操ることでラグ無しで動く事ができる。また、常時発動型能力を持っている者は、その操作に魔力を使っている。
このように、魔力は様々なところで使われている。では、魔力が無くなればどうなるのか。魔力の保有量が多い者ほど酷くなっていくのだが、軽ければ少し怠くなる、重ければ意識が飛び、最悪死に至ることもあるのだ。
そんな情報を思い出しながら、ウォロは忍び寄る暗闇に身を委ねる。不思議と死の不安はなかった。何故なら、目の前で猛威を振るっている龍が守ってくれるという確信があったから。
ウォロは、体内に少しずつ魔力が、エネルギーが増えていくのを感じながら、目を閉じる。
――彼の意識は、深い闇へと落ちて行った。
***
そこは、何も存在しない空間だった。言うなれば、『無』の空間だ。そんなところで湧くように覚醒したのは、戦場に龍を出現させた少年、ウォロだった。
―――ここはどこだ....
言葉を発することができない。まず肉体すら無い。そんな状態に驚きながらも、持ち前の冷静さと頭の回転の速さを以て自分の置かれている状況を分析していく。
―――目もないのに見渡せることに違和感があるな....ひとまず、ここを『無』空間と名付けよう。多分、一種の夢みたいなものだろうな
そこまで考えたところで、突然状況が動いた。その光景に、思考を止めてしまうウォロ。
―――ウロボロス....
全身から金色の光を発していて、二つの紅に染まる眼を持つ龍。それは、ウォロが出した蹂躙の龍だった。
ウォロは、その龍の名前、"ウロボロス"を無意識に言葉にした。今存在しない手を必死に伸ばそうとする。
―――躍動の中心たる少年よ。『封印の祠』にて待つ。
その言葉が響いた途端、『無』空間にヒビが入る。その中心は、堂々と存在する龍だ。それは、巨大な龍とウォロとの間を裂くように広がっていく。
―――すぐに行く
そう思ったと同時に、意識はまた落ちて行った。
***
場所は転じて、とある洞窟の中。最奥に存在するその場所には、いつかの様に一組の男女がいた。
「ただいま戻りました」
「お帰りなさい。早速報告をして頂戴」
フード付きの外套を羽織った悪魔族の男は跪いて頭を垂れている。それを上座から見下ろしているのは、黒を基調としたワンピースに身を包んだ夢魔の魔人フィラーセ。
男は目線を上げると、顔を歪めながら話し始める。
「奴の捕獲に失敗しました」
「あらあら....」
フィラーセは大げさに反応する。しかし、驚いているのは事実のようだ。
「フィラーセ様が懸念されていた通り、封印が解かれるのは時間の問題のようです。操っていた魔物を生贄に出現しようと考えたのですが、無駄だったようです」
「そうなの。あれの契約主がもう存在しているということね」
「はい....ニンゲンのガキでした」
男は殺気を漏らす。その殺気に、扉の向こうにいた監視中の魔物が思わず気を失ってしまう。それほど濃密な憎しみが込められていたのだ。
「落ち着きなさい」
しかし、あわや大惨事という事になる前にフィラーセの声が響く。無機質なその声に我を取り戻したのか、次の瞬間にはまるで無かったかのように殺気は消え失せていた。
「奴を献上できず、申し訳ございません」
「気にしなくていいのよ。元々あれは消すつもりだったわ」
フィラーセは妖艶な笑みを浮かべる。しかし、その瞳には欲望の炎が燃え上がっている。
「カルザー」
「はい」
男、カルザーは再び頭を垂れる。
「ウロボロス、及び契約主であるニンゲンの子を始末してきなさい。それも迅速によ。あれは、時間が経つほど力を増してしまうわ」
「了解しました」
カルザーは了承の意を伝える。それを聞いたフィラーセは笑みを浮かべた。
――ウォロ達に、再び魔の手が忍び寄ろうとしていた。