2 暗躍の影
「うぉりゃぁぁ!」 グショ
「ハッ....」 スパッ
「フンッ!」パシュッ
吐き出される息とともに繰り出された斬撃は、迫りくる魔物達を一網打尽にしていた。辺りには鮮血を撒き散らしながら息絶える魔物たちの死骸が至る所に転がっている。
ウォロは、飛び掛かってくる疾風狼達を屠りながら、数分前の出来事を思い出していた。
***
「ウォロ、これを持っていろ」
その言葉とともに、ウォドルは何かを投げた。日の光を反射しながら投げられた小さなそれを左手て受け取る。手を開くと、そこには散々見てきた物が乗っている。
「蛇守の指輪ッ....」
小さな輪に翡翠の宝石がついているそれは、彼らカルゴン家に代々伝わる家宝の一つだ。カルゴン家は、『悪魔大戦』が終わった300年前からある神を祀り、守ってきた一族だ。〈カリャ〉がある王国の中に二ヶ所しかない神の眠りし場所という事で、国から保護を受けている。
そんなカルゴン家は、別名で言われることが多い。それが、『蛇守の一族』だ。一族の当主になった者は、先代からいくつかの品を受け継がれる。そのうちの一つがこの"蛇守の指輪"。この指輪には、祀っている神の力の一部が封じられていて、代々の『蛇守の一族』当主は、この指輪を使用することで、未来を視ることができるという。しかし、その代償に魔力をごっそり持っていかれてしまう。昔、とある当主がこの指輪を乱用したところ、魔力枯渇で干乾びてしまったという事件が起こった。それ以来、指輪を使うものが居なくなったという代物だ。
「なんで俺に?」
ウォロも当然この話を聞いていたので、突然渡されたことに驚いている。指輪は、その対価の強大さゆえに、当主以外には持たせてはいけないという不文律があるのだ。
ウォドルは、目を前方に向けると、決然とした表情で語り始める。
「昨夜、不思議な夢を見たんだ」
「夢?」
「ああ。そこで視たんだ」
ウォドルは真剣な眼差しをウォロに向ける。
「お前が、この指輪を使っているところがな」
「....そんなバカな」
ウォロは目を少し見開きながら零す。
「この指輪は、当主にしか使えないんじゃないの?まだ父さんが当主だから、俺には使えるはず―――」
「夢には続きがあるんだ」
使えるはずがない、そう言おうとしたウォロを手で制して、ウォドルは続きを話す。
「お前がその指輪を掲げるとともに、巨大な龍が出てきたんだ。その龍は、魔物達をまるで餌かのように呑み込んでいった」
「......」
「どのような状況か分からない。何故お前が出来たかも分からない。だが、その指輪はお前が持つことで本領を発揮するのだと、私は思う」
ウォロは手のひらにある指輪に目を落とす。翡翠の宝石がキラリと輝く。まるで、ウォドルの言っていた事を肯定するかのように。ウォロは指輪を摘まみ上げると、右手の中指に嵌め、手を握って目を閉じる。次に開かれた時には、その瞳には決意の光が宿っていた。
「分かった。これは俺が持っておくよ」
「ああ」
ウォドルは微笑んで頷くと戦場へと駆け出した。
***
右中指に嵌まっている指輪を一瞥して思いを馳せていると、後ろに魔物の気配を感じた。右手の剣を握り直し、振り向きざまに一閃。飛び掛かってきた疾風狼は開かれた顎から真っ二つに斬られ、飛び掛かった勢いのまま少しの間滑空し、地面へと墜落した。
いくら魔物が強くなくても、ここは戦場。気を抜いたら次には死が待っているという事を忘れていたウォロは、自分の事を戒める。そして、目を細め、辺りの状況を確認する。
そんなウォロの下に、気配を殺して駆け寄ってくる一体の魔物。ウォロは、その影に気が付かない。気配を察知した時には、魔物は飛び掛かっていた。
「しまッ―――」
ウォロは咄嗟に剣を振ろうとするが、時既に遅し。開かれた顎が頭を咬み砕く―――
「〝ファイヤ〟ッ!」
寸前で、横から飛んできた火の玉に吹き飛ばされる魔物。そのまま炙られている魔物を尻目に、火の玉が飛んできた左側を見ると、そこにはグレンの姿があった。
「ぼさっとしてんじゃねーよ」
右手の大剣を地面に突き刺して魔物から身を守り、左手をこちらに向けている。その手には、先程の火の残骸がちらちらと揺れている。
「ごめん。気を抜いた」
「気ぃ引き締めろ。魔物の様子がおかしいからな」
そう言ってグレンは大剣を引き抜き、彼を攻撃していた魔物の首を一度に斬り落とす。そして、左手から火の玉を飛ばして牽制しながら、次々にその命を刈り取っていく。
ウォロも、迫りくる魔物を斬っていきながら、並行してグレンの忠告について考え始めた。
―――魔物の様子がおかしい?一体どこが....
考えながら振るわれていく死神の鎌は、鈍い音を立てて突如止められてしまった。現実に戻ってきたウォロが眉を顰めてその方を見ると、次にはその光景に目を見開く。
「地烈狼だと....」
剣を皮膚で受け止めている、茶色い毛色の狼。よく見れば、剣が接触している皮膚はまるで岩のように硬化している。ウォロは、驚きに少し硬直したが、地烈狼よりも早く現実に帰すと、剣を切り返し、横に薙いだ。硬化が間に合わなかったようで、鮮血を撒き散らし、息絶えた。
ウォロは、何かに気付いたかのように顔を上げる。すると、辺りにはここにいるはずがない魔物達が群がっていた。
***
――時は数時間前に遡る。
「何の御用でしょうか」
フードの付いた外套を羽織ったその男は、跪きながらそう尋ねた。
「今日呼んだのは、例のことについてよ」
そんな男を上座から見下ろす一人の女。黒いビキニ姿という露出の多いその女は、しかし人間ではない。その証拠に、背には小さな黒い翼が生え、黒い尻尾が空中に靡いている。彼女は、夢魔という魔物の魔人だった。名を、フィラーセという。
フィラーセは、目の前の男を誘惑するかのように足を組み替える。大胆に晒された足が、光を受けて薄く輝く。しかし、目の前の男はまるで動揺することなく、話の続きを目線で促す。
「はぁ。少しぐらい反応してくれてもいいんじゃないかしら。私、夢魔としての自信が無くなってしまうわ」
「私は悪魔族です。これくらいの誘惑に負けるのでは、悪魔ではありません」
「そうだったわね」
その一言とともに、フィラーセは指を鳴らす。すると、身体の輪郭がぼやけ、晴れたときには黒の衣服に身を包んだ妙齢の美女がいた。
「さてと、悪ふざけはこのくらいにしましょう。さっきも言ったけれど、貴方を呼んだのは他でもない、あの封印についてよ」
「封印と言うと....あの龍でしょうか」
「ええ、それよ」
フィラーセは微笑みながら、目の前にいる男を見る。
「先程、封印されていると予測している所から、大きな神気を確認したわ。その時は、もう近いかもしれないの」
「....封印が、解かれると?」
「ええ。そういう事」
男は、フィラーセの瞳を覗く。彼女が言わんとしたことを察した男は、一応確認を取る。
「私に調査に赴けと、そう仰りたいのですか?」
「直接傷を負わされた貴方に言う事では無いのかもしれないけれど」
「いえ。逆に私に命じてくださって嬉しいです」
「そうなの?」
フィラーセは瞠目する。目の前の男が、珍しく殺気を漏らしているのだ。目は爛々と光り、その憎しみの深さを物語っている。
「....私は、あの駄龍によって深い傷を負わされた。そして、私に復讐の機会を作ることなく封じられてしまった。それから300年。この気持ちをぶつける相手が居ないままそれだけに時間が経ちました。もう待てない。せっかくの機会です。貴方に献上する前に、私と同じ苦しみを味わわせてやる」
「最終的に私のものにしてくれるのならば、その過程で何をしてもかまわないわ」
―――その為に貴方を拾ったのですから
フィラーセは、妖艶な笑みを浮かべて男を見下ろす。その中に、嘲りの色が浮かんでいることに、男は気付かなかった。
***
上空に、一つの影が浮かんでいた。フードのついた外套を身に着けているので詳しくは分からないが、たぶん男だろう。彼は、眼下の状況を見ながら、頭を回転させていた。
「あの龍は、フィラーセ様にこそ相応しい。どこぞのガキに奪われる前に封印を解き、『忠誠の首輪』を付けてやらんとな」
『忠誠の首輪』は、その名の通り絶対の忠誠を強制する物だ。その効力は凄まじく、昔、一人の没落貴族が奴隷に付けて国を襲わせたという出来事も起こったことから、人間界のほとんどの国では使用が禁止されている。なので、この品を使っているのは主に魔人たちと言えるだろう。
男は、この首輪を封印されている龍に取り付けることで強制的にフィラーセの配下にしようとしているのだ。狙っている龍は神の一柱なので、一気に戦力増加ができるのだ。
神でも悪魔でもそうだが、彼らは精神生命体という、肉体を持たない者。この世界に顕現するには肉体が必要だ。一般的には生贄として動物や魔物、人間の体が使われることもある。
男も、そのようにしてこの世界に来たので、目的の龍も生贄を差し出せば顕現するのではないかと考えたのだ。
「我が固有特性は〔糸人形〕。意思のない魔物はほぼ必ず操ることができる。我に命令が下りたのも頷ける」
男は操っている魔物が次々に死んで行くのを見て、地烈狼や吸気花も投入する。
「さあ、早く姿を現せ。餌はたらふくあるぞ....!」
男は笑みを浮かべる。これから起こるであろう光景に思いを馳せながら。