別にこの世界が嫌いではありません
「じゃあ、ユークリッドさんもお元気で!」
馬車に乗り合わせた冒険者の一人が自分に声をかける。この街まで同じ道を辿って来た相手に馬車から荷物を下ろしながらユークリッドは微笑む。
「あなたも元気で」
二度と会うことはないだろう相手に微笑むとまだまだ年若い駆け出し冒険者の彼は“はい!”と返事をする。その若さを好ましく思いながらも馬車を下りたユークリッドは初めてくる街をぐるりと見回す。まだ日は影っていないが忙しなく行き交う人々の顔は生き生きとしている。
ーあれから早一週間と3日ー
野盗と遭遇する事もなく、野獣や魔獣に遭遇することもなかったため、予定通りにこの街につく事は出来た。3日後が着任予定日なのでまだ余裕がある。
「とりあえず、着任のご挨拶が先ですかね………」
どうするかは決まっていないが馬車止めに留まっていると邪魔になるだろう。再度自分の乗って来た馬車に一礼すると、馬車から顔を覗かせていた子供達が元気に手を振ってくれている。
「お兄ちゃん!元気でね~!」
口々に自分に向かってかけられる声に手を上げて応えるとユークリッドはその場を後にする。
ーそしてー
「今から………ですか!」
そのままの足で街の入り口に向かったユークリッドの耳にすっとんきょうな声が届く。きちんと身分証明書を見せて、街の人に聞いてやってきたユークリッドはその反応に押し黙る。国境警備を兼ねる騎士団に行きたいと告げると皆が皆。街を覆う城壁からでも見えるぐらいの砦を指差したので、街の入り口に歩いてきたのだ。
「出来れば、行きたいんですが難しいですか?」
重ねて問いかけると街の出入り口を警備していたまだ十代半ばの兵士が困ったような表情で唸る。
「今から行くとなると………あ………でもやっぱり止めといた方がいいですよ。大きいから近いと思う人が多いんですが意外に遠いんで今から行くと閉門時間に間に合いませんし」
「閉門………?」
生まれてこの方……王都で育ったユークリッドにとって馴染みのない単語に小首を傾げる。その反応に身分証明書からユークリッドの出自を理解していた若い兵士は苦笑混じりに口を開く。
「街には人を入れていい時間が決まっています。国境を越えてくる奴も例外はありません。どうしても今日中に行かなければならないって話なら止めませんが、閉門に間に合わない可能性が高いです。まだ日にち余裕があるなら今日は宿に泊まって、明日昼飯買ってから行った方がいいですよ」
「………そうですか………」
慣れない場所でのアドバイスにユークリッドは街の門から見える山の中腹に位置する砦を見上げて決断する。
「分かりました。明日にします」
「そうして下さい。あ、泊まるなら“宿り木”が安くて飯も上手いっすよ!」
にかっと人好きする笑顔で応対する少年の姿にユークリッドは優しく微笑む。
「アドバイス、ありがとうございました」
「また明日~!」
貴族でありながら偉ぶった様子を見せないユークリッドに好感を抱いた若き兵士は礼を言って去っていく男が第5竜騎士団の副団長就任予定だとはこの時、まだ知らずにいた。
「ふぅ………流石に疲れましたね………」
お薦めされた宿に向かって部屋を押さえたユークリッドはようやく旅用のローブを脱ぎ捨てる。長いた旅路と度重なる戦闘で王都を出るまでは白かったローブは茶色にそまりつつある。少し奮発して一人部屋を押さえたかいあって今日はゆっくりベットで休めそうである。馬車の中では夜営時は雑魚寝が基本だった。
「………それにしても色々ありましたね………」
凝り固まった肩を回しながらベットに腰を下ろしたユークリッドは疲れの滲む横顔を晒す。この魔法と呼ばれるものが満ち溢れる異世界に生まれ落ちて早24年。まさか自分が左遷人事に会うなんてこれっぽっちも思っていなかった。どうやら前世の記憶を持ってしても人生はそう簡単ではないらしい。前世の娘が夜中に好んでみていたアニメや漫画、小説の中では前世の記憶を持った人間のことを“チート”と呼んでいた。ちらりと覗き見した時、培った知識を使って無双するなんていう設定もあったが現実として異世界を生きる人間として言える事はある。
ー世界はそんなに甘くないー
前世でも新しい考え方を受け入れてもらうには時間がかかったし、理解者が必要だった。耳を貸してもらうにはそれなりの実績と実力が求められる。結果が出なければ世迷いごとをと一笑にふされて終わってしまう事が大概だ。そんな中で、自分は必死で生きてきた。
「………………………………………」
まだ24歳という若さで達観した考えに至りながらもユークリッドは確信していた。この世界に必要なのはー前世の知識ーではない。ー知識ーを理解し、その存在を受け入れる人間が傍に居て初めて世界は動くのだ。たった一人では何にも変えられないのだ。
「何事も一人では始まりませんね………」
自分も世の中の役に立ちたいともてる限りのポテンシャルで仕事に望んだのにその結果がこれだ。
「人生………そうそう上手くいかないものですね………」
王都での左遷人事が思いのほかショックだったユークリッドは宿屋の人間が用意した盥とお湯が届くまでぼんやりと虚空を眺めて一人ごちた。
ー翌朝ー
「はい、大丈夫です」
開門と同時刻ぐらいに昨夜と同じ出で立ちでやってきた貴族から受け取った身分証明書を確認し、どうぞと促す。
「昨日はいい宿を薦めて頂きましてありがとうございました」
昨日の夕刻と変わらない若い兵士にユークリッドは返された身分証明書を受け取り、礼を言う。宿賃からそれなりかなと思っていた以上に接客も食事も申し分なかった。ちなみに砦に用事があるというと銅貨二枚で追加で昼の弁当まで持たせてくれた。
ー帰りもご贔屓に~!ー
と見送られたが帰れる日がわからないので曖昧に答えておいた。そんなユークリッドの言葉に若い兵士はニパッと微笑む。
「毎度ありです。うちの実家なんすけど、お気に召して頂けて良かったです」
「………そうでしたか………なら女将さんにお礼をお願いします」
「かしこまりました!」
ニパッと悪びれなく微笑む兵士を前にユークリッドは肩を竦める。
「ではまた」
「はい、行ってらっしゃい~!」
そう告げて城門を出ていくユークリッドの足取りは昨日よりも軽い。そんなユークリッドの背中が山道に消えていくのを見送っていた若い兵士はその姿が消えるのを見届けるとポツリと呟く。
「で、結局………あの人何しに行くんだろ………」
砦に重要な報告に行くにしては旅装姿だった。
ー何より………ー
「あの人、なんで馬に乗らないんだろ?」
この先に待ち受ける坂を知らないのか………貴族であるにも関わらず、徒歩でやって来た相手に興味が湧いた。
「さぼんな!」
そんな怒声が自分の背中にかかるまで若き兵士は山道を凝視していた。
いつもお読み頂きましてありがとうございます。珍しく、昨日と今日。連続投稿出来ました。
何やら今は書きたい気持ちが強いようです。