優先度=仕事>変態
「なぁ、本当にあいつが副官なのか?」
耳に囁かれた言葉にレイは書類から顔を上げた。目の前にはよほど押しの強い新任副官と二人っきりにするのが心配でならないらしいアルフレットの姿がある。昼から一時間と開けずにお茶を運ぶという建前でやってくる相手はにレイは呆れた顔を見せる。
「何?まだ疑ってんの?本人だと思うけど………俺は」
先程、誤用多発の報告書を握り潰し………違った握りしめてアルフレットに詰め寄っていた新任副官の姿を思い出したレイはクックッと笑いながら横に立つ相手を見上げる。斜め上の行動と予想外の行動力に押されつつあるアルフレットは笑い事じゃないと顔を手で半分覆う。
「だってさ………今まで色んなお貴族様にあったけど、一番あいつが濃いわ」
二年前から自分に巻き込まれて色んな修羅場に遭遇して色んな事を経験したアルフレットを会ってまだ数時間でそう言わせる新副官にレイは笑いを噛み殺す。
「まぁな………盛大に人間違いはするし、いきなり死亡発言するしな」
この年齢でこの地位に居る事を揶揄されたり、あからさまに七光りだと嘲られる事はあっても心配された事はない。
ー休んで下さい!あなた、死にますよ?ー
そう怒りの籠った瞳に見据えられて柄にもなく驚いてしまった。外見はさすがお貴族様と言わんばかりに綺麗で、整った人形のようだ。今も仕事をするには邪魔だと魔力の宿るとされる髪をさっさと紐で纏めてしまう大雑把さ。中身と外見がこんなに違うのも珍しい。
「でも、仕事に対する姿勢は噂通りだしな」
そう言ってくいっと指で新任副官を示すと熱心に書類と新しい紙を見比べて暗号に近い、報告書を解読している。先程のアルフレット圧死寸前事件もそれに端を発している。
ー飾り文字ー
現在エルバート公国において使われる相手への敬意や謝意などを表すために使われる単語である。だがそれを正確に読み書きして使いこなすことが出来るのは一部の王公貴族か商人。だが、貴族である役人に手紙を出したり、上官に報告書を書くときには一文官が伝え聞いたり、先輩から習った間違った誤用で文書を書く。先程、あやうく握り潰されそうになった書類に見覚えがあったレイもユークリッドの指摘に遠い目をしたものだ。
「あの書類が読むに耐えない書類だって気づいた時点でアイツが本物の副官であるのは紛れもない事実なんだよな」
そう言って肘を机について顎を手のひらに乗せたレイは新しい補佐官を一通り観察すると目の前で受け入れがたい事実に呻くアルフレットを一瞥する。
「ま、パンツ一丁が俺の仕事スタイルだなんて言い出す奴じゃなくて良かったじゃん」
「そうだな~!レイ!」
アルフレットはレイの指摘にハッと我に返る。1年半前にやって来て優秀だが仕事に追い込まれ始めると服を脱ぎ出す悪癖を持っていた正真正銘の変態事務官よりはよほどいい。あまりにも周囲に不評だったため、たった3ヶ月という短い期間で王都に送り返された悲しい事務官だ。アルフレットの同意にだろ?とレイはため息を吐く。今、現在仕事は出来るが甘やかされて育った弊害か厳しく育てられた弊害か………一人部屋に押し込まれて仕事していると聞く。服を脱ぎ出す以外は至って優秀だから法律を作り、検討する部署でその力量を発揮しているらしい。ふうとため息を吐きつつレイは遠くをみやる。
「だって、俺。アイツが来なかったら持てる権力を総動員してでもフラムを呼び戻そうかと考えたしな」
目の前で服を脱ごうが裸体でも仕事をしてくれるんならいいやと本気で考えたこの3ヶ月が懐かしい。それにこの第5竜騎士団にまともな人員が左遷されてくる筈もないのだ。
「俺はもう………一緒に仕事を片付けてくれるんならどんな変態でも受け入れるって決めてるんだ………」
「レイ!」
どこか達観した表情で微笑む上司の懐の大きさに感動したアルフレットは持って来たお茶をカップに注ぐ。
「とりあえず、お茶」
「もう………いいから」
アルフレットが部屋を訪れる度に注がれるお茶にレイは遠い目をした。
ーさてー
新しい上司が自分の行動力に諦めにも似た心地で盛大に受け入れている事を知らないユークリッド・コンフリートは手にした書類を正しい用法の報告書に書き換えて行く。エルバート公国でも使われる“飾り文字”。それは現代日本において例えれば尊敬語、謙譲語、丁寧語。そして手紙の挨拶文と言ったものに近い。相手の立場に合わせて使い分ける言葉と言えば中学生時代に出会い………そして憎しみすら抱いた人も多いのではないだろうか………皆さん思い出して欲しい………あの古文に近いものだと………。
「よし………」
ぶつぶつと一心不乱に解読作業に徹していたユークリッドは一枚目を訳し終えてふぅーと一息吐く。
「お疲れさん、大丈夫か?」
何度も部屋を訪れては自分を気遣ってくれるアルフレットにユークリッドは頭を下げる。
「お気遣い頂きましてありがとうございます。いただきます」
一時間とおかずにお茶を給仕しにくる相手から新しいお茶をもらいながらユークリッドは再度頭を下げる。
「先程は取り乱しまして失礼しました」
「や………まぁ………大丈夫ですよ………すっげえ驚きましたけどね……」
四時間ほど前の出来事をいきなり謝罪されたアルフレットは頬をひきつらせながらも苦笑する。その様子にユークリッドは更に頭を垂れる。
「本当に申し訳ありません………」
「いやいや………」
ユークリッドの申し訳ないと言わんばかりの謝罪にアルフレットは嘆息する。四時間ほど前に鬼気迫る表情で握り潰した書類を手に自分に迫って来た人間と同一人物という方に驚きが勝つ。
“ノワール様!申し訳ありませんが、この壊滅的なセンスで飾り文字を使う方を呼んで下さい!!”
目を通し始めた書類を握りしめて近づいて来たユークリッドはそう叫んだのだ。別件を話していた自分とレイが顔を見合わせる中、ユークリッドは震える唇で言葉を紡いできた。
“なんで………なんで………報告書なのに………拝啓、隊長様なんですか”
“へ?”
“ああ………”
呆気にとられる自分を横目に事態を理解したのは横に居た上司。あまりの衝撃に震えるユークリッドを前に達観した表情で手を組んで微笑んだのだ。
“それな………壊滅的なセンスだろ………”
“………はいっ………なんで………なんで報告書が手紙チックなんですか!”
机とユークリッドに挟まれてのけぞる自分を無視した会話が自分の肩越しに続けられる。絶望的な表情で顔を覆ったユークリッドに痛ましげな表情を向けたレイは首を振る。
“とりあえず、それは置いとけ。そいつが書いたのはほぼほぼ残念な事には全て手紙チックな報告書だからな。時世の挨拶文から始まってる奴は何でだよ!って突っ込むぞ。しかも何の奇跡か………時たま、真面目にかけた申請書を見かけたら涙が出るんだよな………嬉しすぎて”
“申し訳ありません………私には壁が高すぎました………”
ー一体、何の壁だよー
と二人の意味深な会話についていけないアルフレットをよそに二人だけで分かりあったらしい二人は息をするように投合する。
“それは俺が引き受けるわ”
“すいません………”
レイの言葉に非常に申し訳ない表情で自分の机に戻っていくつか目を通した書類を持ってくるユークリッドはどうやら自分が視界に入ってなかったらしい。
“ぐえっ!”
ユークリッドの凄まじい勢いの突進と書類に押し潰されたのは記憶に新しい。そんな件も踏まえて出会って数時間でユークリッドに苦手意識を抱くようになったアルフレットは先程の出来事を思い出して遠い目をする。
「不可抗力ですから。お気になさらず………」
謝るユークリッドを前にアルフレットは嘆息する。それに“本当に申し訳ありません”と再度頭を下げたユークリッドはそう言えばとアルフレットに問いかける。
「不躾なことをお伺いしますが何時ごろ、仕事は終わりますか?」
「仕事?」
書類を山と積んだユークリッドからの質問にアルフレットは頭に浮かんだ?を隠しもせずに眉根を寄せる。まだ日も高いが疲れたのだろうか………。そんな訝しげな表情を浮かべてしまうとユークリッドは申し訳無さそうに口を開く。
「はい………図々しいとは思いますが………ひとつお願いしたい事がありまして………」
「何か?」
その問いかけにユークリッドが躊躇いながらも口にしたお願いを聞いたアルフレットはにんまり笑う。
「副団長、俺が責任を持って用意します。ご安心を」
アルフレットの言葉にユークリッドは肩から力を抜く。
「よろしくお願いします」
自分の願いが叶えられそうな事にユークリッドはホッと息を吐いた。
いつもお読み頂きましてありがとうございます。誤字脱字がありましたら申し訳ありません。
亀更新になりまして申し訳ありませんがお楽しみ頂ければ幸いです。
ユークリッドとレイの闘いをお楽しみ頂ければと思います。