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雨宿り

作者: 藤原 祐一

 それはある晴れた夏の日のこと。

 僕は坂のふもとのバス停で一休みしていた。このバス停は今は使われておらず、人通りも少ないので居心地がよく、図書館からの帰り道に坂を下りたら近くの自販機で飲み物を買い、このバス停に寄るのが僕の習慣となっていた。

 その日も僕は缶ジュースを片手にその元・バス停の椅子に腰掛けていた。いつもどおり数刻休むつもりでぼんやりとしていると、不意に、たったっ、という早足の足音を聞いた。顔を上げて音のするほうを見やると、一人の女の子がバス停へ駆けてきたところで、それが彼女との出会いである。


 女の子は息を整えると僕と同じように近くの手ごろな椅子に座った。座ったからといって何かするでもなしに外をじっと見ている。僕はというとめったにみない訪問者に驚いていた。女の子には見覚えがあって図書館の長机でよく見る子である。もしかすると彼女も図書館の帰り道にここで一休みするという共通の趣味を持つ人なのかな、だとしたら話しかけるのは野暮というものだろうなどと、「散歩コースの同じご近所さんを見つけた」のに近い喜びを僕は抱き、そしてバス停は女の子の来る以前の静けさを取り戻したのだった。

 女の子が立ち上がったのがそれから数分後であり、どこか満足げな表情でバス停を去っていった。それを見届けると僕もジュースを飲み干して立ち上がる。先ほどの喜びもそのままに帰路につき、その日は終わった。


 図書館へは毎週の休みの日に必ず行く。帰りにはバス停に寄るわけだから、必然的に毎週寄ることになる。そしてあの日以降、毎週あの女の子はバス停に来た。最初と同じように、早足で駆けてきては椅子に座り外をぼーっと眺めて数分したら去っていく。ただ、バス停にいる時間はまちまちで三分ほどで行ってしまうこともあれば、十分以上外を眺めていることもある。休んでいるわけだから時間が決まっているとは思えないけれど……。そういえばなぜいつもバス停に来るとき、駆けてくるのだろう?

 不思議に思った僕はある日、意を決して尋ねてみることにした。


「こんにちはー」

「……えと、こんにちは」

「君、図書館でよく会うよね、図書館からの帰りかい?」

「……はい、そうです」

 なんとなく女の子は上の空な様子。でもこのまま聞いてしまおう。

「いつもここで何しているの? 休憩?」

「……雨宿りです」

「え?」

「いつもこの時間に夕立、降るじゃないですか。それで」

 つまり、いつも駆けてくるのは急に降ってきたから? ここで雨をやりすごしていたというのだろうか。おかしい。そもそも、

「いつも雨なんて降っていたっけ?」

 そう、ここのところ僕はバス停で雨に降られた記憶がない。いつもなんて言わずもがなだ。

「私から見ると、降っているんです」

 そう言うと女の子は「もう止んだので、帰りますね」と申し訳なさそうな顔をして行ってしまった。

 当然このときも雨は一滴も降っていない。


 次の休みの日は、本当に雨が降りそうな天気で、僕は傘を一本持って図書館に向かうことにした。予想通り帰るころには雨が降り出し、しかし習慣となっている休憩はする。本当に雨が降った今、女の子がどんな反応をするのかも少し興味はあった。そして果たして――女の子は来た。

「すごい雨だね、大丈夫?」

「はい」

 女の子は折りたたみの傘を使っていたが、傘は小さく体のあちこちが濡れていた。この降り様では少しここで待つだろう。せっかくなので前回の話の続きをしてみる。

「いつも、こんな風に雨が降っているのかな? えと、君から見ると、でいいんだけど」

「そうですね、私から見ると、ですが」

「じゃあ何で今日みたいに傘をささないの? その傘、いつも持っているでしょう」

「それは、いつもならここに来る直前に振り始めるからなんです。このバス停にとおりかかる直前」

「直前に?」

「そう私が思ってますから」

「え?」

「……私にしか私の見える雨は見えないんですから、それならいつ雨が降るか私が決めてもいいじゃないですか。それで、雨が降るなら屋根のある近くがいいかな、って」

 ここまで言うと女の子は笑った。

 僕は彼女は妄想にでもとりつかれているのではと思うしか考え付かなかった。いやここまでまじめに語るということはもうどこか狂ってしまっているのかもしれない。この若さで狂人とは不幸なものだなぁ、と他人事のように冷めた感想を持った。

 僕は狂人をあえて矯正しようなどとは思わない。勝手にやってくれと思うし、向こうからしても大きなお世話だろう。しかし、一つだけ女の子の間違いを見過ごせなかった。

「つまり、雨が降るのはそう君が決めたから。雨が止むのも、君が止んで欲しいと思ったからってこと」

「そういうことです」

 女の子がいつかのように「では雨が止んだので」と立ち上がろうとするのを制し、僕は言った。

「まだ雨は止んでないよ」

 申し訳なさそうに振り返る顔が何か言う前に言ってやる。

「それは雨宿りじゃない。雨宿りっていうのはそんな都合のいいものではないんだ。いつ降り出すかわからなくて、いつ止むか予想もできない雨に我慢して耐えて、それで雨宿りと言えるはず。そんな自分勝手な雨はただの幻だよ」

 そこまで一気に言って反応を窺ってみる。女の子は目を丸くしてかたまってしまっていた。そして僕と、雨をまじまじと見つめる。外の雨は未だ降り続いている。まるで女の子にはそれがはっきりと見えていなかったように。


 その後は雨が止むまで二人でバス停で雨宿りをした。説教くさい話をしたせいで恥ずかしくなった僕は内心気まずかったのだが、なんと女の子から話しかけてきてくれた。晴れの日に雨宿りを敢行する子はどのような話をするのか気になったが、普通のとりとめのない会話だったので少し意外だった。名前はクミと言うらしい。いい名前だと思った。


 次の週から唐突に女の子は来なくなった。バス停に来ないだけではなく図書館にすら来なくなったようで、僕があの日話しかけたことがきっかけであることは確実だろう。

 僕の元・バス停での休憩はそのあとも長く続き、雨の日も雨じゃない日もあった。女の子との一節はたまにこうして思い浮かべることがある。道端で他人へ説教するのはあれが最初で最後だ。僕としては正しいことを言っていたと思うし、それは女の子にちゃんと伝わったと思う。だが、あの女の子の言う『雨』はもっと別のところに本質があったような気もする。そんなことを考えて、手元のジュースを飲み干し、満足すると僕は立ち上がって帰り道に戻った。

2011年8月21日コミティア無料頒布作品。

「雨宿り」シリーズの一作目。

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