selection.06 ダンジョンに潜ろう!(実践編)
セレクション家が保有するダンジョンは、いずれもプラチナ限定のランク制限がかけられた最高難度を誇るものばかりだ。ゼルメナルガに集う一流冒険者は、このダンジョンでアイテムの探索やレベル上げを行うのが通例だ。
装備をきっちり整えた冒険者は、そのままゼルメナルガを去って別の地方で活躍したり、野良ダンジョンの下層まで潜ってダンジョンオーナーを目指したりする。その中で、ラグジュアリー・セレクションは、アイテムの厳選だけに執心しているというわけなのだ。
ギルドの受付カウンターで、ダンジョンの入場申請を行う。
ギルドカードは高性能の魔導情報端末だ。これまでに探索したダンジョンの情報が記載され、その情報をもとにダンジョン内の各エリアに設置されたセーブゾーンからの再チャレンジが認められている。ラグラやミルのギルドカードにはもちろん最下層付近のセーブゾーンへのアクセス権が認められている。
「これから挑むダンジョンって何階まであるの?」
「地下100階だ。ちょうど90階部分にセーブエリアが設置されているので、そこまで飛ぶ。発掘アイテム傾向に魔導書があるレアなダンジョンでな! 階層やエリア配置、モンスターの出現傾向なども極めて理想的だ! 魔導書を求めた魔法使い系冒険者が絶えず潜るので、ダンジョンも枯れることがない! 俺の親父が厳選した!」
「へー」
申請書に必要事項を書きこみながら、フィリシスは相槌を打つ。
なんだかんだ言って、フィリシスはラグラのパーティに入ることになった。つまり、90階層のセーブエリアまで一気に飛んでいけるのだ。耐久260、精神10万越えという数値に加え《不屈Lv50》を備えたフィリシスのパラメータが認められた結果である。
申請書を受付嬢に渡し、フィリシスはどんと胸を叩いてラグラにこうのたまった。
「任せなさい! 私は絶対役に立つわ! 損はさせないんだから! なんてったって、私は一億万年に一人の天才美少女!」
「もうこのやり取り飽きた!」
ラグラは両手を掲げ、全身でのけぞりながら絶叫する。
「最初に言っておくぞフィリシス! 俺が貴様を連れて行くのは荷物持ちとしてだ! それ以外の働きっぷりには一切! 一っっっっっ切期待していない!」
「荷物持ち!? このフィリシス・アジャストメントを荷物持ちにするの!?」
「そうだ! ダンジョン内で入手したアイテムは霊子情報化してギルドカードに保存される! だが、ダンジョンから帰還した際、霊子情報を物質化して持ち出せるアイテムの数には限りがあるのだ!」
ふたたび厳選王子ラグラによるダンジョン講座が再開した。
物質化できるアイテムの数は、ギルドカードランクによって変動するが、プラチナランクでもダンジョン内で入手したアイテムをすべて持ち出すことはできない。そこには技術的な問題もあるが、空間生命体であるダンジョンを、情報欠乏から保護するという理由も存在する。
だからこそ、ダンジョン内である程度アイテムを選んでおくための《鑑定眼》スキルが重要になるのだ。ある程度の取捨選択をした上で、地上の鑑定屋に持ち込む。この際、持ち込むアイテムを増やすための荷物持ち。それがすなわちフィリシスなのだ。
「でもなんで私が荷物持ちなの?」
「貴様にしか頼めんからだ」
「フッ」
フィリシスは不敵な笑みを浮かべて言った。
「任せなさい。私は一億万年に一人の天才美少女よ。荷物持ちくらい、これ以上ないってくらい完璧にこなしてみせるわ。私の荷物持ちっぷりには天地は震え海は裂け、神も恐れおののき泣いて許しを請うに違いないわ」
「そうか。貴様コツを掴めば結構扱いやすいな」
ラグラも緩い目つきになって頷く。
「はい、申請を受け付けました」
ちょうどその時、ギルドの受付嬢が、笑顔でラグラ、フィリシス、そしてミルの分のギルドカードを返却する。ミルのギルドカードだけ分厚い封筒に入れられて内容を閲覧できないようになっていた。
「ショートカット用のローディングポータルを準備中ですので、もうしばらくの間お待ちください。では次の冒険者の方」
ラグラとフィリシスは再び酒場の方へ移動し、しばらくの待ち時間を潰すためにどっかりと座りこむ。ミルはラグラの後ろに立ったままだ。遠巻きに、何人かの冒険者がラグラやミルの姿を眺め、会話をかわしながらギルドを出ていくのがわかる。
「ねぇラグラ、もっとダンジョンのこと、いろいろ教えてよ」
「ほう! フハハ、よかろう。勉強熱心なことだな。この厳選王子ラグラが、無知蒙昧なる貴様にダンジョンの真髄を叩き込んでくれる。さぁ、何を聞きたいのだ?」
「あなた結構扱いやすいわよね」
フィリシスはぼそりと言って、口元に手をやり考え込む。
「何を聞きたい……って言っても、初めてなのよね。どんなモンスターが出るのかしら」
「貴様は帝国出身だったな。帝国南西部に位置するガデッサ湿原を知っているか?」
「ああ、うん。あの沼の魔女がいるっていう」
「あそこに生息するマーシュヒュドラが、冒険者ギルドに危険度認定10を受けている。帝国精鋭の魔導騎士、1個師団を投入してようやく討伐が可能となるレベルだ」
「うん」
マーシュヒュドラは亜竜型モンスターの中では最高クラスの危険度を持つ怪物として、帝国内でも広く認知されている。個体数は決して多くないが、ガデッサ湿原から川を伝って上流の街に出現した際は、大騒ぎになった。毒炎と呼ばれる特殊なブレスを放つのが特徴で、結局、そのマーシュヒュドラが暴れた街は、ブレスによる汚染が酷く現在も封鎖されたままになっている。
そのマーシュヒュドラが、どうしたというのか。いや、だいたい想像のつくことではあるのだが。
「80階層からは、マーシュヒュドラの近縁種であるクリプトヒュドラが出現する。危険度認定は同様に10だ」
ラグラはあっさりと、そう言った。
「まぁ出会うモンスターはすべて危険度認定10だな。冒険者ギルドの基準で、それ以上のランクは存在せんのだ」
ラグラの話では、このクラスのモンスターとなると高レベルの冒険者がパーティーを組んでなお、気の抜けない脅威であるらしい。下層に潜れば潜るほど、良質なアイテムを発見しやすくなるのは確かだが、危険度認定10のモンスターと連戦していては、消耗も激しく命の危険がある。そのため、最下層付近まで足を踏み込む冒険者は、パーティーの平均レベルが500以上のものばかりだ。それでも、運が悪かったり小さな判断ミスをしたりすると、ダンジョンの地下深くから生還することはできなくなる。
「あなたよく今まで生きていたわね」
「フハハハハハ! 当然だろう! この俺のレベルは600越え、まさしく最強クラスの冒険者だからな。なぁ、ミル!」
「はい。おっしゃる通りでござます、坊ちゃま」
ミルは恭しく一礼をし、頷いた。よく出来たメイドである。
「パーティ〝厳選王子と愉快な従者たち〟の皆様、ローディングポータルの準備が整いました。12番ゲートの方まで移動をお願いします」
「フッ、ちょうど準備ができたようだなぐわあああああああああ」
ラグラは勢いよく立ち上がり、そのまま盛大にスッ転んでミルに起こされていた。目元にはじんわりと涙が浮かんでいる。そんなラグラに食ってかかるように、フィリシスが叫んだ。
「ちょっとラグラ、そのパーティ名なによ!」
「なによとはなんだ。俺たち3人の現状を的確に示したこれ以上ないほど完璧なパーティ名だろうが。それとももっと相応しいパーティ名があるとでも言うのか? え?」
「そうね……。〝天才美少女フィリシス、初めての荷物持ちに挑む〟って言うのはどうかしら」
「なに『ちょっと名案思いついたわ』みたいな顔してふざけたことを抜かしておるのだ!」
ラグラはテーブルをバンバンと叩いて猛講義する。
「このパーティの主役は俺だ! 貴様じゃない! 貴様はせいぜいギルドカードのアイテムスロットを空けて死なないよう逃げ回ることに専念していろ!」
「わかったわ! 任せなさい! 私は死なないよう逃げ回ることにおいても天才的な才能を発揮する完璧な美少女よ! あなたは私の人知を超越したまでの逃げっぷりに恐れおののき涙を流すことでしょうね!!」
「こいつめんどくせぇ!!」
ついには頭を掻きむしりながら、身体をのけぞらせてのたうちまわり始めるラグラであった。その間にもフィリシスは胸をそらし大股で受付カウンターの方へ歩いていく。くるりと振り返り、腰に手を当てたまま尊大に叫んだ。
「さぁ、行くわよ厳選王子! 新たなる厳選の旅、めくるめく大冒険が私を待っているわ!」
「何故貴様が仕切るんだ! 勝手に話を進めるんじゃない! そもそも12番ゲートは逆方向だ!」
ラグラものしのしとそれを追いかけ、ミルは黙って静かについてくる。
「だがそうしていられるのも今の内だ! ダンジョン内にひしめく危険度認定10のモンスターを目の当たりにした時、貴様は己の無力を悟り真の恐怖に絶望しながら失禁することだろう! フハハハハ! フハハハハハハ!!」
「うわあああああああ! 助けてくれえええええええ!!」
ラグラは己の無力を悟り真の恐怖に絶望しながら失禁していた。
運が悪かったのである。ローディングポータルが繋ぐ地下90階のセーブエリアは、基本モンスターの出現エリアから少し離れた場所に存在している。極めて理想的なエリア配置であり、厳選王グラバリタの苦心の結果が見受けられた。
だがまぁ、運が悪かったのである。転移が完了し、意気揚々とセーブエリアを出たラグラを待ち構えていたのは、計3体のクリプトヒュドラであったのだ。どうやら一頭のメスを二頭のオスが取り合っている現場に、遭遇してしまったらしい。
希少種と呼ばれるクリプトヒュドラが3体、しかも求愛決闘の場に出くわしたのである。帝国稀少生物書士隊のメンバーがここにいれば、涙を流して喜んだことだろう。だが、ラグラには稀少モンスターの生態を解き明かそうなどという崇高な探究心など存在しなかったので、ただひたすらに泣き叫ぶのみであった。
「ミル! ミル! 助けろ、ミル! うおおおおお、ミルウウウウウウ!!」
「かしこまりました」
それまで静かに待機していたメイドが、主人の必死の呼び声に対して、極めて冷静な返答をする。争い合う二頭のクリプトヒュドラがミルに気づき、多頭の顎をめいいっぱい開いての威嚇行動を開始した。ともすれば眠たげにも見える彼女の眼前にまで竜の首が伸び、ミルの頭部よりも一回り大きな牙から、毒液が滴る。
ミルが片手を振り上げると、ひゅぱっ、という音が響いて、ひとつの頭を縦断する一本線が刻まれる。直後、ヒュドラの頭がその直線に沿うようにして、縦に裂けた。ぶしゃあ。血が飛び散る。
「!?!?!?!?」
頭の一本を潰されたクリプトヒュドラのオスが、混乱と激痛にのたうちまわる。ミルの掲げた指先から虚空に向けて、つう、と血が流れていった。
目を凝らせば見えることだろう。彼女の指にはめられた五つの指輪から伸びる、極細の金属糸が。ミルの得物、オリハルコン製のワイヤーである。
「坊ちゃま、お下がりくださいませ」
ミルは右手だけではなく、左手にはめたワイヤーも使いはじめる。クリプトヒュドラの吐く毒炎ブレスを避けるように跳躍し、一本、二本とその首を輪切りにしていく。その硬質さから、相手どるには一級刀鍛冶の鍛えた業物が必要とされるクリプトヒュドラの鱗だったが、彼女のワイヤー捌きを前にしては、まな板の上のキュウリも同然であった。
「……ふッ」
ミルは計10本のワイヤーでクリプトヒュドラをスパスパ解体して行きつつ、その巧みな体捌きによって返り血を一切浴びていない。一頭のオスをバラし終わると、そのまま更にもう一頭に向けて飛びかかった。
「シャアアッ!」
空中のミルに向けて、ヒュドラの毒炎ブレスが放たれる。方向転換や回避が効かない状況下で、ミルは一切慌てずに右手を縦に振った。ひゅぱん。オリハルコン製のワイヤーが炎すらも縦に割る。
「はッ!」
左手から伸びるワイヤーは、まるで生き物のようにヒュドラの首に絡みつき、網目状に切り刻む。骨の硬度など、あって無きようなものだ。そうしばらくもしない内に、二頭目のヒュドラも哀れなサシミと化した。
血と臓物の海に、ミルがふわりと着地する。落下の風圧で短いスカートがわずかに跳ね上がって、黒のガーターベルトに差し込まれた無数のナイフが露わになった。しかしさすがに厳選されたメイドである。下着まで見せるほどはしたなくは無い。
ややヒールの高い、黒いエナメルの靴が、ぴちゃん、ぴちゃんと血だまりを叩く。ミルがひゅぱんとワイヤーについた血を払いながら、最後に一頭残されたメスへと歩を進めた。
「………」
ミルの無言の圧力を前に、クリプトヒュドラのメスはじわじわと後退を始めた。最終的に、その巨体をくねらせて洞窟の奥へと消えていくヒュドラを見送り、ミルは再度その手を大きく振った。オリハルコン製の硬質ワイヤーが、そのひと振りですべて指輪に収まっていく。
「坊ちゃま、片付きました」
「ふええ……怖かったよお……」
「大丈夫ですよ、坊ちゃま。大丈夫です。もう怖いものはありませんよ」
ズボンを濡らしたまま泣きじゃくるラグラの背中を、ミルは優しく叩いた。それから30分ほどミルが慰めた甲斐もあり、ラグラはなんとか落ち着きを取り戻す。
「はい、坊ちゃま。ちーん」
「ちーん!」
ミルが差し出したハンカチで鼻をかみ、ラグラは周囲を見渡した。
「そう言えば、フィリシスはどこだ? ヒュドラに食われてしまったのか?」
「ここよ!!」
「うわぁっ! びっくりした!」
元気な声が上から聞こえてきたので顔を上げると、天井にぴたりと張り付くフィリシス・アジャストメントの姿がある。
「貴様そんなところで何をしている! ゴキブリか何かか!?」
「フッ。わからないのかしら、ラグラ!」
「多分、わからないと思うが、あまりわかりたくもないな……」
「死なないよう逃げ回っていたのよ!!」
天井に張り付きながら、しっかりと胸を張ってみせるあたり、大した自尊心と自己顕示欲を持っていたと言えよう。
「言ったでしょう! 私は一億万年に一人の天才美少女。死なないよう逃げ回ることにおいても究極の才能を発揮するのよ! 見たかしら、ラグラ。この私の素晴らしい逃げっぷりを! お陰でクリプトヒュドラに一度も見つかることなく、戦闘のとばっちりを受けることもなく、完璧に逃げ回ることができたわ! 神の逃走術と言っても過言ではないわね!」
「わかったから降りてこい」
「フッ……」
手をぷるぷると震えさせながら、フィリシスは不敵に笑った。
「降りられないわ……」
「そうか。ではそこでそのまま天井を這うカメムシとして一生を過ごせ。行くぞミル」
「待って! 待ちなさいよ! 私は荷物持ちとしてあなたの役に立てるって言ったでしょう! この逃げっぷりを見なさい! こんなに素晴らしい逃げ回り方をする荷物持ちを見捨てるなんて、あなた人生を損しているわよ! こんなの冒涜だわ!」
「カサカサ這いながら移動するな! もう良い、そこで手を離して落ちろ! 貴様のVITならそうそう死にはしない!」
「わかったわ」
ぱっ。ひゅーっ。ぐちゃっ。
「うわぁっ! グロっ!」
「天才美少女フィリシスの帰還よ。ラグラ、泣いて喜んでも良いのよ」
「美少女を名乗るなら潰れたトマトみたいな頭をなんとかしろ! ミル、これ以上この女を見ていると引きつけを起こして失神しそうだ!」
「かしこまりました。坊ちゃま」
ミルが片手をフィリシスの頭部にあてがうと、緑色の柔らかい光が彼女を包み込み、正視に堪えなかった彼女の傷がみるみる内に塞がっていく。潰れたトマトにランクダウンしていたフィリシスのルックスが、美少女まで回復した。
頭部外傷が癒え、天井から地上へと復帰したフィリシスは、少し不思議そうな表情を作って鼻をくんくん動かす。
「ねえラグラ、何か変なニオイがしない?」
「変なニオイだと?」
「ええ、これはアンモニア臭だわ」
「フハハハハハハ! 気のせいだろう。とうとう鼻もおかしくなったか。救いようのない奴め! それはそうとミル、替えのアレを持ってきているか!?」
「はい、こちらにございます」
「良い。開けるな。出すな。それを寄越せ。いや、手伝え。良いかフィリシス、俺はこれから極めて重大な準備をせねばならんからそこで待機していろ。決して覗くなよ。貴様の我慢強さにかかっているのだ」
ラグラが早口で言ってのけると、フィリシスはすっかり恒例になった不敵スマイルとともに胸を張る。
「任せなさい。私は待つことにおいても完璧を極める天才美少女よ」
「貴様本当に扱いやすいな。ではそこで待っていろ」
フィリシスは神妙な顔で『わかったわ』と頷き、それから首を傾げた。
「ところで、話は変わるんだけどラグラ」
「なんだ」
「なんであなたのズボン濡れてるの?」
「話変わってない! もう貴様は黙ってろ!!」