selection.02 その少女、フィリシス
「坊ちゃま、お客人がいらしております」
ミルにそのように言われたので、一級品のソファーでくつろいでいたラグラは『ほう』と呟いた。
「この俺の優雅な朝のひとときに介入し、邪魔をしてまで用を済ませたい客とは一体どのような奴だ」
「冒険者協会ゼルメナルガ支部のゲゲドモンガ支部長、帝国貴族イズモ家のシルウィード・ズ・イズモ公爵、大陸北方商人キャラバンのゼルード氏、それに……」
「すべて帰ってもらえ! 俺の一分は連中の一分と同価値ではない! それもわからぬような無礼者どもなど、客として厳選する必要もない!」
「かしこまりました」
ミルは恭しく頷き、傍に待機していた応接ゴーレムに指示をくだす。
厳選王グラバリタによって厳選された一級品の応接ゴーレムもまた、重厚な機械音を漏らしながら一礼した。全身を軋ませながら、無駄に広い〝くつろぎの間〟を後にする。ラグラはその間も、ソファの上で厳選されたテディベアを抱き枕がわりにゴロゴロしていた。
このテディベアは、ラグラが生まれて初めて厳選し、周囲を驚かせた超一流の品である。今となっては、パジャマやナイトキャップ同様、完全にラグラにとっての夜のお供となっており、このクマちゃんが無ければ彼は安眠できないどころか、情緒不安定になって夜泣きするレベルだ。
かつて、大陸三大賢者の一人と呼ばれたマスター・ジャロリーが趣味でこしらえたぬいぐるみの一つ。繊維の一本一本の魔力が編み込まれた特別仕様であり、手にしたものに揺るがぬ安らぎを安息する究極の逸品だ。伝説ともよばれるこのテディベアには贋作や後追い作が次々と生まれたが、ラグラはそのいずれにも惑わされることなく、マスター・ジャロリー作のテディベアを勝ち取った。
そのようなわけで、このテディベアはラグラの人生の方向を決定づけた、重大な一品なのである。
ラグラは、自らが厳選したものに強い誇りを抱いている。父グラバリタが厳選したものとは別に、『俺の厳選ルーム』を作り、今まで厳選したものをずらりと並べている。中には、父を凌駕したものも、またいくらか存在していた。
テディベアを抱きしめながら、ラグラは天井を見上げる。超一級品の天井に、超一級品のシャンデリアがぶら下がっていた。
「なぁ、ミル」
「はい、なんでしょう坊ちゃま」
「おまえは親父によって厳選されたメイドだ」
「はい。12年前より、セレクション家でお世話になっております」
「もし、俺がおまえより優れたメイドを見つけたとしたら、どうする」
父親を越えるということは、父親が厳選した記録をさらに上から塗り替えるということでもある。
この屋敷も、調度品の数々も、そして数々のゴーレムや今目の前にいるメイドのミルも、いずれはより優れた〝上位互換品〟に取り換える日が来てしまうかもしれない。そうした意味を込めた質問であった。
対するミルの返答はこうだ。
「私は旦那様のお眼鏡にかない、坊ちゃまの世話役として12年務めてまいりました。その私を越えうるメイドを坊ちゃまが見つけることができたとすれば、それは坊ちゃまが旦那様を越えたという証明に他ならず、坊ちゃまの世話役として至上の喜びにございます」
「うむ」
ラグラはやや満足そうにうなずく。
「100点満点だ。このやり取りも何度目になるかな」
「旦那様がお亡くなりになって一週間後からほぼ毎日繰り返されておりますので、327回目にございます」
「フハハハハハ! さすがの記憶力だな! おまえを超えるメイドを探し出すのは難しそうだが、俺は必ず成し遂げてみせるぞ!」
「はい。楽しみにしております」
厳選された機械時計が朝食の時刻を告げたのは、ちょうどその時である。ミルは少し顔を上げて、ラグラの寝っころがるソファの前に傅いた。
「では、坊ちゃま。これより朝食の時間でございます。厳選された調理ゴーレムが、厳選された食材を厳選された調理法によって厳選された食器と共にお出しいたします」
「うむ、いつも通りだな。では案内しろ」
「かしこまりました。ですが坊ちゃま、坊ちゃまはまだ寝巻でございますので、お召し物をお換えいたします」
「フハハハハハハ、頼んだぞ。あまり痛くしないようにな!!」
「バカな! では、厳選王子殿はお会いにならんとおっしゃるのか!」
厳選城モット・セレクションの城門前で声を張り上げたのは、冒険者協会ゼルメナルガ支部支部長、ババドモンガ・ゲゲドモンガである。
若い頃に不祥事をやらかして、この北の最果てであるメノスティモ平原に飛ばされたが、平原でちょくちょく野生のダンジョンが発生するようになってからは、即座にゼルメナルガを開拓、その後は支部長の椅子で私腹を肥やした強かな男である。
だが、ゲゲドモンガの言葉を聞いても、城門前に立つ屈強なゴーレムは、微動だにしなかった。全身を軋ませるような音と共に、小さな頭をわずかに左右に振ることが、唯一の意思表示である。
「私は、セレクション殿に是非挨拶をしたいと思い馳せ参じたのです。帝国貴族イズモ公爵家の名を出しても、面通りを願えませんか」
シルウィード・ズ・イズモ公爵の言葉を受けても、ゴーレムはかぶりを振る。
「大陸中の珍しい品々を集めてまいったでゲス! ラグラ坊ちゃんにも決して悪い話ではないでゲス!」
これは、大陸北方商人キャラバン、ゼルードの言葉だ。しかしやはり、ゴーレムの対応は同じだった。
「あなたじゃ話にならないわ!」
たまりかねたように、三人の後ろに待機していた少女が叫ぶ。
「確かに、ひとことも喋らないのでは会話になりませんね……」
「そういうことじゃなくてね!」
全身をローブに包んだ少女は、ローブの背面にぶら下げた様々な資格証明章をじゃらじゃらと鳴らしながら、ゴーレムに近づいていく。
「もう一度言うわ! 私は魔導調整師フィリシス・アジャストメント! この名前を知らないとは言わせないわよ!」
ゴーレムはかぶりを振った。
「……えっ、知らないの?」
ゴーレムは頷いた。
「アジャストメント家に生まれた1億万年に1人の天才美少女よ! 勘当されたけど!」
ゴーレムはかぶりを振った。
「そもそもあなた、ちゃんとご主人様に私が来たって伝えてるの!?」
ゴーレムはかぶりを振った。
「伝えてないの!?」
ゴーレムは頷いた。
「この三人のことは伝えてるのに!?」
ゴーレムは頷いた。
「ちょっと、中に入れなさいよ! 私が直々に話すわ!」
自称1億万年に1人の天才美少女は、無理やり押し通ろうとするものの、ゴーレムは機敏な動きで彼女の行く手を阻む。少女フィリシスがフェイントを交えつつなんとか回り込むが、ゴーレムはそのまま一歩下がって、彼女の顔面にデコピンをお見舞いした。
「へぶっ」
少女の身体は軽々と吹っ飛び、城門前ののっぱらをバウンドしながら転がっていく。
ゴーレムが、再度その顔を残り3名に向けると、彼らは一様に姿勢を正した。
「お会いしていただけないのなら仕方がないな!」
「セレクション殿にはよろしくお伝え願いたい!」
「では失礼するでゲス!」
ゲゲドモンガ、イズモ公爵、そしてゼルードの3人が、ぞろぞろと列をなして帰っていく。その様子を眺めて、ゴーレムは職務の遂行に満足したのか、門を開き中へと入っていった。
3人がとぼとぼとゼルメナルガへの道を歩き始めた時だ。
がしっ
「ぬわっ!」
「ゲゲドモンガ支部長!?」
ゲゲドモンガが転び、イズモ公爵がその名を呼ぶ。見れば、顔面デコピンを喰らって以降ぴくりともしなかった少女フィリシスが、ゲゲドモンガの足をふん捕まえているところであった。フィリシスは立ち上がると、三人に向けてこのように叫ぶ。
「あなた達、もう諦めるの!?」
「そんなことを言われてもなぁ」
すっ転んだままのゲゲドモンガが、フィリシスを下から見上げて頭を掻いた。
「厳選王子殿は、会ってくださらないと言うと会ってくださらないのだ。日を改めるしかあるまい」
「私は諦めたりしないわ!」
「聞けよ」
フィリシス・アジャストメントは、拳をぐっと握りしめていきり立っている。
「相変わらず、威勢の良い方でいらっしゃいますね。レディ・フィリシス」
「久しぶりねイズモ公。でも私はもう伯女じゃないわ。アジャストメント家を追い出されたの」
「伺っておりますよ」
元・帝国貴族であるフィリシスは、どうやらイズモ公爵と旧知の仲であるらしかった。
そんな彼女に、ゼルードも尋ねる。
「しかしフィリシスさん、諦めないってどうするんでゲス? あの様子ではもう中に入れてくれないでゲス」
「無理が通れば道理が死ぬという言葉があるわ!」
「道理が死ぬ前に我々が死にかねんぞ」
ゲゲドモンガも、立ち上がりつつ身体についた草っぱを払った。
「見たか、あの応対ゴーレムを。あれは厳選王グラバリタが厳選に厳選を重ねた超一級品のプラチナゴーレムだ。レベル10ダンジョンの90階層付近に出没するモンスターと、ほぼ同じ危険度を有している」
「流石は冒険者協会の支部長ね。その通りよ」
だが、フィリシスはやはりまだ強気な姿勢を崩さない。更に彼女はこうも言ったのだ。
「ただ優れているのは素材だけではないわ。プラチナゴーレムの中の、個体ごとの微妙な性能差を見抜き、それに見合った性能の再調整と教育……。行動パターンの魔導プログラムに至るまで、1ミリの無駄もないの。おそらく、厳選王は数多のプラチナゴーレムを厳選する中で、その運用目的までを見据えて厳選したに違いないわ」
その台詞の最後のあたりは、やや緊張に震えている。
「一体、どんな人が調整したのかしら……。会ってみたいわね」
「会ってみたいのは構わぬのだが」
ゲゲドモンガのフィリシスを見る目は冷たい。
「その具体的な手段を聞いているのだ」
「これを見て!」
フィリシスがばばっと広げたのは、厳選城モット・セレクションの見取り図と思しき1枚の紙である。ゲゲドモンガ、イズモ公爵、ゼルードの3人は、互いに顔を見合わせた後、フィリシスがのっぱらに広げた紙を覗き込む。
「このお城は地下が東側にある野生のダンジョンと通じているの! ダンジョンのレベルは1、隠し通路のは2階層にあるわ! ここを通っていけばあっという間よ!」
「しかし冒険者章を持たずにダンジョンへもぐることは協会規定で罰則を受けるでゲス」
「それはゲゲドモンガ支部長がなんとかしてくれるわ!」
「何も言ってないぞ」
ゲゲドモンガは複雑そうな顔をするが、フィリシスは一人で盛り上がりながら見取り図を懐に納める。
「さぁ、行くわよ! 私がみんなを目的の人物に会わせてあげるわ!」
意気揚々と歩き出すフィリシスの背中を見つめてから、3人は互いに顔を見合わせた。
ぼんっ、という音がして、微細な振動が厳選城モット・セレクションを揺るがした。超一級品の皿に入った超一級品のスープに波が立つ。しかし、その間も超一級品のメイドが持つ超一級品のスプーンに入った超一級品のスープは、一滴たりともこぼれることなく、超一級品の前掛けをつけた厳選王子ラグラ・セレクションの口に運ばれた。
「愚かな鼠が罠にかかったか……」
スープをごくんと飲み込んでから、ラグラはつぶやく。
ミルもまた、わずかに顔をあげて城の東側へと目を向けたが、すぐに食卓へと視線を戻す。音をたてぬようスプーンを置き、超一級品の皿に置かれた、超一級品のローストビーフを、超一級品のナイフとフォークで切り分ける。
それをゆっくりとラグラの口元に運ぶと、彼は口を大きく開けた。
「確認してまいりましょうか?」
「むぐ……ん。ふん、構わん。あとで警備ゴーレムを向かわせろ。不届き者は地下牢にぶち込んでおけばよい。俺は昼からまたダンジョン探索だ。おまえもついて来い」
「かしこまりました。坊ちゃま」
ごくん、と肉の塊を飲み込むラグラに、今度はジュースの入ったグラスを差し出すミル。厳選王子ラグラの食事は、厳選されたメイド・ミルの手によって、もはや完全にオートメーション化していたと言って良い。
「では、準備ゴーレムに準備をさせます」
「うむ。いつものように30秒で戻れよ。寂しいからな! フハハハハハハ!!」
「かしこまりました。坊ちゃま」
ミルは言うなり、その場から姿を消す。ひゅん、という風切り音と、わずかに浮かび上がるラグラの前髪にのみ、彼女がそこにいたという痕跡が残された。今頃ミルは、厳選された超一級品の準備ゴーレム達に準備を命じ、厳選された超一級品の金角獣を馬屋から出していることだろう。
ラグラは非常に健康的な生活を送っている。毎朝決まった時間に起き、決まった時間に朝食を摂る。当然、ダンジョン内であろうと決まった時間に昼食と昼寝をするため、荷車にはお昼寝セットと昼食セットを持っていくのが基本だ。ラグラはそこを指示しなかったが、当然、ミルは一級品のメイドである。そのあたりの準備も、抜かりのないことだろう。
今日も、退屈で果てなき、しかし輝かしい厳選の1日が始まる。椅子に腰かけたまま、ラグラは天井を仰ぐ。天井に設置されたステンドグラスは、父の存命中にラグラが厳選してきたものだ。今にして思えば、まだ未熟さの垣間見える厳選っぷりであり、超一級と呼ぶにはまだ一歩及ばないところがある。ラグラにとっては恥と自戒の象徴であり、いつしかアレを超えるステンドグラスを厳選しなければならない、と思っていた、
その矢先、
がしゃん、ばりん、と、ステンドグラスが割れた。
「な、何ッ!」
厳選王子ラグラ、如実に狼狽する。彼の頭上に、破片が雨の如く降り注いだ。
「うわあああああああッ! ミル! 助けろ! ミルウウウウウウッ!!」
棒立ちになって叫ぶラグラの身体をさらうように、突風が横から吹く。直後、ラグラはちょっぴり柔らかい感触に抱かれながら、先ほど立っていた場所とは十数メートル離れた地点にいた。やや癖のある巻き方をした銀髪が耳朶をくすぐり、規則正しく聞こえる吐息がうなじに吹きかかる。ちょっぴりこそばゆかった。
「お怪我はありませんか、坊ちゃま」
「ううう、ミルゥ……。指をちょっと切ったぞ、ミルゥ……」
「申し訳ありません。私の不覚でございます」
ミルはラグラをそっと床におろし、指先に治癒魔法をかける。わずか1ミリの裂傷は瞬く間に完治したが、ラグラの瞳からぽろぽろと零れ落ちる涙は止まる気配がない。ミルはもう一度ラグラの身体を抱きしめ、その背中をぽんぽんと叩いた。
「はい、痛くありません。痛くありませんよ」
「痛くない……。痛く……ない。ううう……」
「はい、痛くありません」
「痛く……ない。痛く……フ、フハハハハハ……!」
立ち直った。
「フハハハハ! さすがだなミル、この程度の怪我! 厳選された絆創膏を使うまでもなかったか! 血も出てないし痛くもないぞ! そして俺は泣いていない!」
「はい、坊ちゃまは泣いておりません」
「うむ、そして問題はこいつだな!!」
ラグラが、先ほどまで自分が座っていた椅子の方を見る。
天井のステンドグラスが割れ、厳選されたテーブルの上には厳選されたグラスの破片が散らばっている。厳選された食器は既に大半が片づけられた後だったが、唯一残された厳選された鍋の中に、特に厳選した覚えのない少女が頭を突っ込んで臥していた。
シチューが飛び散り、厳選したテーブルクロスが見るも無残に汚れてしまっている。幸いこの家には、厳選した洗濯用洗剤のストックがあるのでリカバリーは可能であるのだが。
「なんだこの娘は、新手のコメディアンか? 身体を張った女芸人の厳選はまだ済ませていないし、する気もないぞ」
「ふ、ふふふ……」
鍋から顔を引っこ抜いた少女は、不敵な笑みを漏らす。
「ついに見つけたわよ、厳選王子!」
シチュー塗れとなった少女は、テーブルの上で仁王立ちをしながら、高らかに言い放つ。
「私はフィリシス! フィリシス・アジャストメント! 1億万年に1人の天才と呼ばれた、魔導調整……」
「帰ってもらえ、ミル」
「かしこまりました、坊ちゃま」
ミルが天井からぶら下がっている紐を引っ張ると、少女は仁王立ちをしたまま、テーブルと共に落とし穴へ落ちて行った。
3話は20時投稿予定です。
今日は3話か4話まで投稿しますねー。




