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selection.21 最後の挑戦状(後編)

「こんな時間に呼び出すなんて珍しいな。どうしたんだ、親父」


 夕飯の後、ラグラは執務室の扉を開く。


 ラグジュアリー・セレクションとグラバリタ・セレクションの生活区域は、実際のところほとんど重ならない。どちらかがどちらかを一方的に呼び出す、ということもない。親子仲が険悪だったわけではないが、グラバリタは息子を一人の独立した男として扱っていたのだ。

 それが親の扱いとして正しかったかどうかはまた別の問題であるし、ラグラは独立した男どころか一人でご飯も食べられないような少年だったのだが、それもまた別の問題である。とにかく、ラグラとグラバリタは親子であり、同時に互いを尊重し合う二人の男であった。


「うむ。よく来たな、息子よ」


 腕を組み、執務室のド真ん中に立つ厳選王グラバリタ。

 一流の冒険者であるグラバリタのむくつけき背中には、鋼の筋肉がこれでもかというほど貼り付いている。大抵の場合はこちらに背中を向け、その筋肉を自慢するのが父グラバリタの趣味であった。


「貴様も今年で12になるな。どうだ。厳選には慣れたか」

「ああ、まあな」


 ぴくぴくと広背筋を動かすグラバリタに、ラグラは答える。


 ラグラは父グラバリタから厳選の極意を伝授され、それ以降は自分一人でやっている。正確には、ミルの手伝いもあってこそのものだが、父親と一緒に何かを厳選した、という記憶はほとんどない。それを寂しいと思ったことはないし、それで良いと思っていた。


「ラグラよ、貴様には厳選の才能がある。だから俺は、俺の持つ知識とスキルのすべてを貴様に伝授したつもりだ」

「いきなりなんの話だ?」

「まあ聞け。俺の見込みに間違いはなかった。貴様は12歳にして、既にいくつかの超理想品の厳選に成功している。実力的にはまだ俺の後塵を拝しているが、それもまた時間の問題だろう」


 父親の話はいつも唐突だ。ラグラは首を傾げてしまう。


「親父は相変わらず迂遠だな。もっと息子にわかりやすいように話そうとは思わんのか」

「子はいつか親を越えるものだ」


 グラバリタは静かに言った。


「俺もそうあるべきだと思っている。だがこれは一般論だ。俺個人としては、まだまだ貴様に負けるつもりはない」

「だろうな」


 目の前の父親が、何かに打ち負かされる姿というのは、ラグラにはあまり想像できない。そこでグラバリタは筋肉のアピールをやめ、振り返って微笑んだ。暑苦しい笑顔だった。


「貴様もそうあれ。と言うことだ。これは俺が貴様に言い忘れていたことだ」

「親父に挑み続けろと言うのか?」

「そうだ。俺がそうあり続けてきたように、貴様も常に全盛期であり続けろ。言っておくが、俺のいる頂は、高いぞ」

「フン」


 ラグラは目をそらし、書斎に据え付けられた窓から外を眺める。


「すぐに登りつめて、蹴落としてやる」

「フハハハハ、言ったなクソガキめ」


 グラバリタは、その手でわしゃわしゃとラグラの頭を掻き乱した。


 ラグラは矮躯だが、父のこの大きな手に劣等感を抱いたことはない。ただ、大きいとだけ思っていた。そして、その大きな手で乱暴に撫でられることが、そんなに嫌いではなかった。

 厳選王子が自信家に育ったのは、父の教育の賜物だ。厳選王グラバリタが息子に対し、道を示しはしたが、自らその規範たろうとはしなかった。父と子は違う生き物であり、同じように育つことはないのだとわかりきっていたのだ。その代わり、ラグラの持つ才能や可能性をすべて肯定し、伸び代を断つような真似は決してしなかった。


「その意気だ我が息子よ。久々に笑うか」

「応」


 グラバリタの言葉にラグラは頷き、その隣に並んで腕を組む。


「フハハハハハハハハ!!」

「フハハハハハハハハハハハハハハ!!」


 大きな体格差のある親子は、まったく同じポーズを取りながら高笑いする。その後ろでは、有能なメイドのミルがじっと待機していた。





「むっ……」


 ラグラは目を覚ます。夢だ。どうやら寝ていたらしい。


「あ、ラグラ起きた?」


 白衣を着たままのフィリシスが、振り向かずに言う。ここは彼女の研究室だった。

 クエストから帰還した冒険者たちから納品された素材を確認し、超一級と呼べるものだけを厳選する。その後、そうした素材をフィリシスの元へ持ち帰り、彼女に手渡した。新しい杖ができるまで待っていたのだが、どうやら疲れて眠ってしまったらしい。


「親父の夢を見ていた……」


 まだ半分ほど意識をまどろみに残し、ラグラはぼんやりと呟いた。フィリシスの手が止まる。


「お父様、厳選王ね。どんな人だったの?」

「背中の大きい親父だった……。いや、物理的な話だ」


 眠い目をこすりながら、父親の話をする。自分が厳選王のもとで、どのように育てられ、どのように生きてきたのか。フィリシスは作業の手を止め、黙ってそれを聞いていた。こちらを振り返らないフィリシスの表情は見えないが、やがて意識がはっきりするにつれて、ラグラは思い出す。


 フィリシスは、褒められたことがないと言っていた。父親にもだ。

 ひょっとしたら、ラグラの家庭環境が、羨ましかったりするのだろうか。ラグラは父親の影響で自信家に育ち、フィリシスもまた、父親の影響で自信家に育った。だが、その過程はまったく別物だ。だとしたら、厳選王のような父親が持てたラグラのことを、羨む気持ちもあるかもしれない。


「ラグラ、私、この杖を完成させたら、家に帰れって言われるかもしれないわね」


 作業の手を止めたまま、フィリシスがつぶやく。


「なんだ、帰りたくないのか」

「あまり帰りたくないわね」


 なら、ここに留まっていても構わん、と言おうとして、ラグラは口をつぐんだ。

 その言葉が、本当に正しいものなのか、躊躇があったからだ。


「それはそうとラグラ、いくつか試作してみたんだけど、ちょっと見てみてくれる?」


 わずかに声のトーンを落とした口調とは一転。明るい声でフィリシスが言う。彼女の指し示した先を見ると、確かに数本の魔杖の完成品があった。ラグラが厳選した最高級の素材を用いた、どれも最高級の魔杖である。ラグラはそれを手に取り《鑑定眼》でスペックを確認する。

 フィリシスの腕はさすがだ。素材のポテンシャルを完全に引き出している。この世界で、これだけの杖を一から作れるような魔導調整師は、彼女を置いて他に存在しないだろう。


 だが、まだ足りない。これでは皇笏ライゼンドグランドには、まだ及ばない。


「ゴミだな。まだまだこんなものではない」

「そう。じゃあまた新しいの作るわね」


 フィリシスはにっこりと笑って、また研究机に向かった。その背中を見て、ラグラはぽつりと呟いた。


「フィリシス貴様、まさか手を抜いてるわけじゃないだろうな」

「えっ、なんで?」


 きょとんとした顔で、彼女は振り返る。


「貴様の作れる杖がこの程度のものだとは、俺は思わん。もっと良い物を作れるはずだ。違うか?」

「それは、私が……」


 と、言いかけて、フィリシスは言い淀む。

 なんと言おうとしたのか、想像はつく。だが、それは一億万年に一人の天才美少女の口から、決して飛び出してはならない言葉だった。『私がまだ至らないから』なんて、そんな言葉を発すること自体が、今までの彼女を全否定しかねないものだ。

 だが、フィリシスはどうやら本気で心当たりがないらしい。自分が手を抜いているとすれば、その理由が一体なんなのか、まったくわかっていないようだった。


「帰りたくないからか」


 ラグラの言葉に、辛うじて動こうと、のろのろしていた彼女の手がぴくりと止まる。

 図星かな、と思った。


 フィリシスが杖を完成させ、皇帝に献上すれば、彼女がアジャストメントの家名に泥を塗った事実も帳消しになる。フィリシスの父は彼女の勘当を解くだろうし、名実ともに歴代最高の実力者となったフィリシスは、大手を振って実家へと戻れるだろう。だが、フィリシスはそうしたくない。

 この城は、彼女にとってそんなに居心地のいい場所だっただろうか。ラグラにとっては正直そうとも思わないのだが、今、フィリシスの足かせとなっているのもまた事実だ。


「あそこは嫌だわ」


 フィリシスは呟いた。


「ここは楽しいわ。最高級の素材がたくさんあるし、あなたもミルも優しいし、ノイノイは可愛いから」

「お、俺優しかったっけ……」

「アジャストメント家に帰っても、私の〝欠点〟なんか誰も理解してくれないもの」


 確かに、理解者がいれば、彼女は追い出されなかったかもしれない。


「あなたはどう思うの?」


 白衣のフィリシスが振り返り、その視線をラグラへと向ける。


「私は帰るべきだと思う?」

「俺は貴様に帰って欲しくはない」


 ラグラはきっぱりとそう言った。


「だが、俺の城が貴様の逃避先として選ばれているのは甚だ遺憾だ」


 その言葉に、フィリシスの顔つきが険しくなる。


「あなた、言ったじゃない。俺の為に作れって。私、嬉しかったんだけど。だって、求められたのよ? あの家ではそんなこと言ってくれる人なんていないわ」

「言った。だが、その言葉が貴様を縛っているならば取り下げる」

「………っ!」


 彼女が言葉に詰まる。フィリシス・アジャストメントの10万にも及ぶ鋼のメンタルに、楔が打ち込まれているような気がした。


 フィリシスの中に迷いがあることも、それが彼女の手を鈍らせているのも、もはや明白だった。彼女は意識せず、杖を作る手を抜いている。どこか手心を加えながら作っている。そうしている限り、フィリシスの手で最高傑作と呼べるものは生み出せない。


「私、ここにいたいのよ。いちゃダメなの?」

「む、むっ……」


 ラグラの額に脂汗が滲みだしはじめた。


 心の中に、妙にもやっとした感情が生まれている。見れば、フィリシスの両目に、いつもは決して見られないような、わずかな光の揺らぎが生じていた。潤んでいるのだ。それまでのラグラならば『ダメだ』と一蹴できるところが、できない。

 次の言葉を口にするには、多大な勇気を要した。


「そ、それで貴様が何かを作る手に迷いが生じるようなら、ここにいるべきではない」


 フィリシスの顔を見ていると心がくじけそうだったので、ラグラは彼女に背を向け、天井を睨む。


「貴様が実家に帰っても、二度と会えないわけではないだろう。どんなところにいても、俺と貴様の関係が消滅するわけではない」

「私とあなたの関係って何かしら……」

「わからん……」


 言語化することに危うさを感じるので、そこには極力触れずに起きたい。


「だいたい、なんだ」


 ラグラは腕を組み、言葉を探す。


「最強の杖を作るという約束だろうが。そこがブレてどうするという話だな。俺はプロで、貴様もプロだ。俺と貴様が手を組んだ、その結実というかな。力を合わせてこそできるものというか。二人の共同作業というか……」

「なるほど、共同作業ね……」

「俺また取り返しのつかないことを言った気がする」


 ラグラがちらりと振り返りと、フィリシスが白衣の袖で目元をぬぐっているのが見えた。


 そんなに実家に帰るのが嫌なのか、とは思わない。ここに居たいのだ。彼女は。

 皇帝に杖を献上し、父から勘当を解かれたとして、フィリシスには『家に帰らない』という選択肢もあるのかもしれない。だが、それはあくまでもラグラの立場だから言えることだ。そこで彼女が行方をくらませれば、皇帝の面子もアジャストメント家の面子も丸つぶれだし、その咎がどこに向かうのかはわからない。

 そこで奔放に振る舞い、家が取り潰されても構わないから、と言えるほど、彼女は不真面目ではないのかもしれない。


「わかったわ。今度こそ作るわ。私の全力で、最強の杖を」


 きっぱりと言うフィリシスの声はもう震えてはいなかった。


「うむ」


 頷くと同時に、ラグラもちょっぴり物悲しさを感じずには、いられない。

 この杖を完成させれば、フィリシスは城を出る。そう仕向けたのは自分だ。二度と会えなくなるわけではないが、この厳選城モット・セレクションには、もう帰ってこないかもしれない。そう考えると、どこか空虚な気持ちにもなる。


 ええい、女々しいぞ。ラグジュアリー・セレクション。


 父親を越える。常に全盛期であり続けろという、厳選王グラバリタの言葉に背を向けるつもりは、ない。


「フィリシス!」

「え、な、なに?」


 ラグラは振り返ると、彼女の腕をガッと掴む。


「あっ、ちょ……。今顔は……」


 目元を真っ赤に腫らしたフィリシスの顔を、まっすぐに見据えてラグラは叫んだ。


「笑うぞ!」

「えっ、わ、笑う……?」

「そうだ! 笑う! 良いか、いつも俺がやっているようにだ!」


 ラグラはフィリシスの腕を、その胸の前で組ませると、横に並んで同じように腕を組む。


「フハハハハハハハ! フハハハハハハハハ!!」

「ふっ、フハハ……ハ……?」

「もっと腹の底から笑え! 貴様は一億万年に一人の……」

「天才美少女よ! わかってるわ! 私は笑うことにかけても天才なんだから!」

「フハハハハハハハ! フハハハハハハハハハハ!!」

「フハハハハハハハ! フハハハハハハハハハハ!!」


 誰もいない研究室で、ラグラとフィリシスは笑った。

 やがて迫りくる別れの時を、せめてその不安を吹き飛ばすように。それからしばらく、大きな声で笑い続けた。


 その光景を、扉の外でじっとミルが眺めている。


「坊ちゃまも成長なされましたね。ノイノイ様」

「ぴー」

「女性とお付き合いするのなら、せめてご飯くらいは一人で食べられた方が良いと思うのですが」

「ぴー」


 二人の高笑いは、当分の間終わりそうにはなかった。





 さて、それからというもの、ラグラとフィリシスは精力的に働いた。


 とはいっても、やっていることに具体的な変化があるわけではない。ラグラは毎日のように冒険者ギルドへ赴いてクエストを発注し、フィリシスは研究室にこもって杖の製作に没頭した。変わったことと言えば、ラグラがフォークとナイフの使い方を練習し始めたくらいのものである。

 ラグラは更に手広く素材を集める為、あれだけ忌み嫌っていたゼルード商会にも大金を積んだ。贔屓にしている鑑定雑貨のスラグにもカネを積んで城へと招聘し、大量に運び込まれる素材の厳選を手伝わせた。霊森海にて冒険者たちが発見した神翁獣アラガミの討伐に関しては、イズモ公爵の伝手をつかって強引に申請を押し通した。神翁獣の討伐はミルが直接出向いて一日で終わり、魔法素材と親和性の高い動物性素材が大量に手に入った。最近コレステロールに悩まされているゲゲドモンガも、自らラグラのクエストを受注して運動不足を解消していた。暇人のカンピスンは手土産に大量のキャベツの芯を持ってきたので砲撃ゴーレムの十字砲火を撃ち込んで追い返した。


 以前に増して、最高級の素材がガンガン手に入るようになっていたし、ラグラはすべてフィリシスに『遠慮なく使え』と言って手渡した。フィリシスは遠慮なく使った。消費した素材の量は、小国であれば既に3度ほど財政崩壊を迎えてもおかしくはないほどであった。


 が、


「ぐっ、こ、これは……」

「どうなの、ラグラ!」

「これ、は……」

「正直に言って!!」

「ならば正直に言う! ゴミだっ!」

「わかったわ! はい、次!!」


 進歩がないかと言うと、そんなことはない。


 フィリシスに迷いを捨てさせたあの日以来、作成される杖のスペックは格段に上昇していた。中には、皇笏ライゼンドグランドを、辛うじて上回る作品も出始めていた。だが、それでは足りないのだ。もっと、もっと上を目指せるはずだと、ラグラは思っていた。


「素材がいかんのか……?」


 ミルの回し蹴りですべて叩き折られた試作品の山を見ながら、ラグラは考える。


「オリハルコン素材を使い、皇笏ライゼンドグランドに匹敵する程度の杖はもうできるようになっている……。確かにオリハルコンはあらゆる武具の素材としては一級品だが……もっと他に、最強の杖に適した選択肢があるのではないか……?」


 そう言って視線がいくのは、大量に山積みされた万年神樹の幹と神翁獣の素材だ。

 神翁獣アラガミは霊森海に生息するモンスターである。個体数がそう多くないため、狩猟には大きく制限がかけられている。体高のたかいイヌ、といったシルエットに、竜を思わせる意匠が加わった外見で、周辺に暮らすエルフ達からは神聖な生き物とされている。エルフが信奉するくらいだから精霊との調和能力が高く、その特徴は素材にも表れている。

 万年神樹との組み合わせでは、オリハルコンに匹敵するマジックアイテムを作り出すことが可能だ。だが、まだ一歩及ばない気もする。せめてあとひとつ、これらと親和性の高い動植物性の素材が欲しい。


「ぴー!」


 悩んでいるラグラのもとに、ノイノイが翼をはためかせて飛んでくる。


「おお、ノイノイ。貴様は相変わらず元気だなぁ。よしよし」

「ぴー!」


 ノイノイは首からギルドカードをぶら下げていた。プラチナランク。冒険者名は『ノイノイ』となっている。先日、スペックが水準を満たしたため、ミルが冒険者登録を済ませてきたのだ。モンスターの冒険者登録は事例が少ないが無いわけではない。ノイノイは、ゼルメナルガ史上初の、ノイズラプターの冒険者となった。

 これにより、ノイノイも自らの手でアイテムを持ち帰ることができるようになり、枠が非常に広まったのだ。もっとも、最近はラグラもダンジョンに潜らないので、その恩恵にあやかれたことはまだない。


「む、ノイノイ。それはなんだ?」


 その時ラグラは、ノイノイが足にひっつかんでいるアイテムが気になった。ノイノイは誇らしげに胸を張る(ちょっとフィリシスにアクションが似ていた)。


「ぴー!」

「なに、貴様これを俺に持ってきたのか」

「ぴー!」


 なんだろう、と思い手に取って、しかしラグラは落胆した。


 苔だ。


 正確には、苔の魔導書だ。スラグの鑑定書付きである。

 魔法攻撃修正700、スロット50、エンチャントなし、魔導書スキルは有用なものが多数。


 ぶっちゃけ理想品だった。


 普段のラグラであれば、小躍りして喜んだことだろう。ノイノイを胴上げし、お祝いのケーキをフィリシスに作らせ、三日三晩ノイノイ祭りを開催したに違いない。

 だが、この時ラグラは脱力するのみであった。今、ラグラが求めているものは、これではない。


「ノイノイ……貴様、本当に優秀だな……。だが今は……」

「ぴー?」

「いや、待てよ」


 どう見ても苔にしか思えないその魔導書を手のひらに載せたまま、ラグラはふと考える。


「そうか、こいつだ……!」


 天啓を授かったかのような衝撃が、ラグラへと襲い掛かった。


「ぴー」

「良くやったぞノイノイ! あとでプリンを食わせてやろう!」

「ぴー!」

「フハハハハハ、なるほど、この手があったか!!」


 ラグラは小躍りしながら、そのままフィリシスの研究室に向かって走り出す。ノイノイが案内してくれたので迷わずに済んだし、途中何度か転んだが、痛みより昂揚感の方が勝っていたので泣いたりはしなかった。


「フィリシス!」

「あ、ラグラ! 新作できてるわよ!」

「どれ鑑定してみよう! うむゴミだ!」

「わかったわ、ノイノイ!」

「ぴー!」


 ノイノイの口から発射されるディストーションハウルが、空間平面上に膨大な歪を生じさせながら直進し、フィリシスが必死にこさえた杖の数々を完膚なきまで粉々に粉砕していく。物質の固有振動数に働きかけ、最適な震動で働きかけるディストーションハウルに耐えられる物体は、理論上この世に存在しないのだ。

 ぱらぱらと砕け、舞い散る破片をいっそ清々しい表情で見つめながら、フィリシスはラグラに向き直る。


「で、なに?」

「次の素材だ。こいつを使え!」


 ラグラがばばっと手のひらに乗せられた苔を差し出し、叫ぶ。


「苔……?」

「苔の魔導書だ! 万年神樹の幹の神翁獣の素材も運び込ませる! 貴様、魔導書の素材特性についても研究していたはずだろう」

「うん、してたわ」


 顎に手をやりながら、フィリシスはラグラの手のひらの苔をじっと見つめた。


「合成素材には向かないのよね。武器って」

「ならばグリモワールワンドの要領でいけば良い。数年前に帝国でちょいと流行した、杖の上に魔導書をくっつけた形の、アレだ」

「あー。アレねー。多機能な割にバランス悪くてすぐ廃れたのよね」

「だがこの苔の魔導書なら問題はないはずだ! 魔法との親和性が高い、しかも動植物性の素材ならば、互いの魔力伝導を阻害しない!」

「なるほど」


 フィリシスは顎に手を当てて考え込む。


「これ、ひとつしかないのよね」

「うむ」

「なら、失敗はできないわね。一日かけて設計図を引く」

「うむ!」


 ラグラは、苔の魔導書をシャーレへと移し、大きく頷いた。


「次こそ完成させるわ。最強の杖を」

「うむ!」

「ラグラ、疲れてない? 少し休んで来たら?」

「そうはいかん。俺と貴様は一蓮托生。それにいよいよブレイクスルーになりそうなアイディアが出来たのだ。完成するまでここにいるぞ」


 ラグラがそう言うと、フィリシスは少しきょとんとした後、満面の笑顔を作って言った。


「ならば、そこで見ていると良いわ! この天才美少女フィリシスちゃんが、最強の杖を生み出すその瞬間をね!」

「フハハハハハハ、ではとくと見せてもらおう! 貴様が吐いた大言壮語が、どこまで真実足りうるかをな!」

「ラグラ、あなたにはその杖の命名権をあげるわ!」

「なるほど、では出来るまで考えていてやるとしよう! 男の子かな、女の子かな」

「多分男の子よ」


 フィリシスがそう言って、机に向かって設計図を引き始める間、ラグラはノイノイが持ってきた命名辞典とにらめっこして、真剣に杖の名前を考え始めていた。


 彼女が設計図を書きあげ、杖の製作に取り掛かっても、ラグラは部屋から動こうとはしなかった。オリハルコン製の杖でもライゼンドグランドを越えられなかった以上、今や一番勝利の可能性が高いのはこの苔の魔導書の杖なのだ。

 父・厳選王は言った。自らのいる頂は高いと。

 その高みが、今確かに、目前に近づきつつある感覚があった。一人では登って来れなかった険しい山道だ。ラグラには、その最後の瞬間を自らの目で見極める義務がある。そうでなければ、自分もまた山を登りつめた一人なのだと、胸を張ることができない。


 フィリシスは、ラグラに『休んだらどうか』という提案を、しなかった。あれだけつけるのに躊躇していた眼鏡をかけ、顔がすすけるのもいとわず、寝食を忘れて杖の製作に励んだ。フィリシスが寝ず食わずなのだから、ラグラもまた、寝ず食わずを貫いた。苦労を共にしたかったのだ。


 腹の虫はぐうぐう鳴いていたが、ラグラは泣かなかった。





 その夜、ミルはラグラを寝かしつけることなくタイムカードを切った。ラグラがそうするように言ったのだ。自分は徹夜をするから、先に寝ておけと。ミルは恭しく一礼し、彼の言葉通り退勤した。


 時刻が、明け方に差し掛かった頃だろうか。


 深めの寝酒をしたつもりが、案外あっさり目が覚めてしまったミルは、ほんの気まぐれから城内をうろつくことにした。二度寝して翌朝の出勤に備えても良かったはずだが、彼女はそうしなかった。メイドのミルではなく、ミルアルア・リアとして。メイド服ではなく、ズボンを履きシャツを羽織っただけのラフな私服で、ひたひたと通路を歩く。

 ミルアルアがたどり着いたのは、フィリシスの研究室だ。どうやら灯りはついているようだったが、中から物音はしない。扉にそっと手をかけ、覗いてみると、部屋の真ん中で寄り添うように寝る二つの影が見つかった。


「………」


 ミルアルアは扉を開け、部屋の中に踏み込む。ラグラとフィリシスの規則正しい寝息が、静寂を邪魔しない程度に響いてきた。


 研究机の上には、一本の杖がある。

 苔むした神樹製の杖に、神翁獣の毛皮や角などによる装飾がなされた杖だ。ミルアルアの目から見ても、力強い魔力を感じる杖だった。


 これは果たして完成品なのだろうか。ミルアルアが視線をずらすと、杖の銘を刻んだと思われるプレートが置かれている。


 〝神杖ラグリシス〟。


 それ以外に転がっているプレートを見るに、〝神杖フィリグラ〟や〝神杖フィリシスちゃん天才4号〟や、〝神杖ノイノイすごい〟や、〝ぴー〟やらで散々揉めた様子ではあったが、最終的にはその名前で落ち着いたらしい。名前の由来は大方察した。


 ともかく、完成だ。


 改めてラグラとフィリシスを見ると、二人はどこか満足げな表情で寝息を立てている。きっと改心の出来だったのだろう。ミルアルアは、くすりと笑った。一度部屋を出、それぞれの部屋から毛布を持ってきて、二人にそっとかぶせてやる。


「おやすみなさい。坊ちゃま、フィリシス様」


 皇帝からの遣いがフィリシスを迎えにやってきたのは、その翌日のことだった。

次回最終話です

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