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selection.20 最後の挑戦状(前編)

 ひとまず立ち話もなんだから、ということで、中へと案内する。皇帝の遣いは、ひとまず鎧櫃と剣、その他の得物をミルに預ける。彼女はまだ警戒を解いてはいなかったが、それで緊張はいくらか和らいだ。


「ひとまず状況の推移を簡単に説明しますね」


 応接の間で席に着いた遣いの男は、柔和な笑みを浮かべてそう切り出す。


「先日、フィリシスさんに作っていただいた皇帝聖下の魔杖は、献上が認められず、フィリシスさんに引き取っていただく形になりました。当然、新しい杖の作り手を探さなければなりませんが、皇帝聖下のお眼鏡に叶うようなクラフター、魔導調整師というものは、なかなかちょっと見つからない。そうした折、シルウィード・ズ・イズモ公爵が、献上品を持参して帝宮までいらしたのです」


 アヒルちゃん事件の時のものだ、と、ラグラもフィリシスも思った。遣いの男は続ける。


「献上品のアヒルちゃんは、皇帝聖下の御心を大層癒したそうです。聖下は、このアヒルちゃんを作ったものに、杖の製作を命じるよう、イズモ公爵に通達しました」


 だが、イズモ公爵はわずかな逡巡の後、皇帝に告げたという。すなわち、アヒルちゃんを厳選したラグジュアリー・セレクションと、それを調整したフィリシス・アジャストメントの名をだ。

 明確な規定はないものの、一度杖の献上を却下されたものが、再度献上を許可された事例は今のところ存在しない。皇帝の逆鱗に触れたからだ。


 イズモ公爵の言葉に、皇帝はこう答えたという。


『構わぬ連れて参れ。無論、相応の素材を用いて作るならばの話だが。もし私の納得いく品を献上できたのならば、アジャストメント家の嫡女が私にトイレットペーパーの芯を献上したという事実も、帳消しにする』


 その言葉に安堵したイズモ公爵は、ラグラとフィリシスに向けて毎日のように書状を送ったが、ラグラはそれを一瞥もせず、毎日のようにゴミ箱に捨てたということである。


「ま、そんな感じですかねぇ」


 遣いの男はにこにこと笑いながら、そう言って話を締める。


 フィリシスは腕を組んだまま、じっと黙って話を聞いていた。が、すぐさま頷き、こう答えた。


「やるわ」


 1も2もない。一切の逡巡がない、きっぱりとした言葉である。


「ラグラも手伝ってくれるんでしょ?」

「フン、当然だ」


 フィリシスの隣で、ラグラもまた腕を組み、踏ん反り返る。


「貴様一人などに任せておけるか。俺が傑作と認めたもの以外、この城では作らせんぞ」

「では、お決まりのようで」


 遣いの男はにこりと微笑んだ。


「快諾いただけて何よりです。ラグラくん、随分とお父さんに似てきたようですね」

「なに?」


 ラグラは、不意に出てきた父の名に眉をしかめる。男は、ミルが出した紅茶にはまったく口をつけず、昔を懐かしむような遠い目で、応接の間の天井を睨んだ。


「グラバリタも、厳選のことしか考えていないようでいて、情に篤い男でしたよ。彼の持ってきた武器にはずいぶんと助けられたもんです」

「貴様、親父の……」

「旧い友人です。もう20年前にもなりますね。ま、今は思い出話をする時でもないので、よしときましょう」


 随分と若々しい外見なので思ってもみなかった。どうやらもう40近いらしい。

 厳選王グラバリタの旧友。その男が、皇帝の遣いとしてこの城を訪れ、フィリシスに魔杖の再製作を依頼する。妙な因果というか、奇縁を感じずにはいられない話だ。


 いや、


 男が立ち上がって、改めてラグラの方に視線を向けたとき、ひとつの確信を得る。


「では期待していますよ。お二人とも」


 彼が携えてきたのは、まさに亡き父からの挑戦状なのだ。これは奇縁でも偶然でもない。必然だ。皇帝がどのようなつもりでフィリシスへの再製作依頼を命じ、そしてその任をこの男に与えたかは定かではない。

 だが、この男はおそらく、フィリシスだけにその事実を告げに来たのではない。ラグラとフィリシス、その二人に対し、かつて厳選王グラバリタが遺した高い頂を突きつけにきたのだ。


 皇笏ライゼンドグランド。


 グラバリタが皇帝へと献上した、歴代最強の魔杖。

 それを破るのは、辛酸を舐めたアジャストメント家の血を引くフィリシスでなければならず、そしてまた、父を越えるべき息子ラグラでなければならない。

 これは二人に対して、同時に突きつけられた挑戦状なのだ。


「お帰りですか」


 ミルが警戒を解かずに尋ねる。遣いの男は苦笑いして答えた。


「帰りますよ。恐妻家でしてね」


 部屋の隅に置かれた荷物を取り、男は手をひらひらと振って応接の間を後にする。ばたん、と扉が閉まる音を聞きいてなお、ラグラは険しい表情を解かない。


「どしたの?」

「ああ、いや、うむ……」


 ラグラはやや歯切れが悪そうに額を掻く。


「まぁそうだな。これから最強の杖を作るにあたり、貴様にも伝えておいた方がいいだろう」

「何を?」

「それを含めてこれから話す」


 椅子から立ち上がり、ラグラはミルにこう命じた。


「ミル、武器庫に案内しろ」





 厳選城モット・セレクションの〝武器庫〟に保管されている武器は、実はそう多くはない。ここに加えられるのは、大抵が厳選済みのアイテムであり、それはすなわち、厳選王ないし厳選王子の厳しいチェックを通り抜けた作品であることを示す。

 厳選王グラバリタがこの地に城を築いて20余年。理想品と呼ばれる類の武具は10にも満たないのだ。数年前は理想的な品であると思われた武器が、それからしばらくしての〝新発見〟によって、ゴミに成り下がることもままある。


「かつて皇帝に献上されたという皇笏ライゼンドグランド。貴様も知っているだろう」


 武器庫の扉を開ける前、ラグラはそう尋ねた。フィリシスは頷く。


「ちっちゃいころから聞かされてたしね」


 それを上回る杖を生み出すことこそが、アジャストメント家の悲願だ。

 フィリシスの話を、ラグラは黙って聞く。その悲願を達成するのは、フィリシス当人であると目されていたらしい。彼女が皇帝より直接の使命を賜った際、フィリシスの父トレイトは舞いあがって大喜びしたという。

 が、結果として、その悲願は為されなかった。トイレットペーパーの芯が素材では、いかような技術を持っていたところで皇笏ライゼンドグランドを上回ることは不可能なのである。


「それを作ったのは、俺の親父だ」

「………」


 フィリシスの纏う空気が、少し変わった。数秒の間の後、彼女はこう答える。


「なるほど。まあ、合点のいく話ではあるわね」

「あまり驚かんのだな」

「まあ、ねえ」


 彼女の話では、既に厳選王グラバリタが魔導調整師としても一級の実力を持っていたことは、察せていたという。一流の素材をもとに、一流のアイテムを作り上げる。ラグラとフィリシスが二人がかりでやっていることを、一人でやっていたのがグラバリタなのだ。その最高傑作のひとつとして、二人の後ろにはミルが立っている。

 人材育成の最高傑作がミルならば、アイテムクラフト、カスタムの最高傑作がライゼンドグランドだ。技術や常識は常に変化しているはずなのに、20年以上前に作られたはずのそれを上回る杖が、一度として世に出ていないことがその証明でもある。


 ラグラは、意を決したように武器庫の扉を開けた。ひんやりとした空気が漏れ出す。


「うわぁ」


 中を覗き込んで、フィリシスがつぶやいた。


「意外と少ないのね」

「まぁな」


 ラグラは中に足を踏み入れ、保管された武器や防具の中のひとつに、迷いなく手を伸ばした。


「ラグラ、それ、なに?」

「3年前、俺がダンジョンから見つけてきた魔杖の最高級品だ。すべての数値が理想値に達している。理論上、これより高性能な杖は、ダンジョンからは発掘されない」

「ふむふむ」


 手に取りフィリシスに差し出したそれは、オリハルコン製の無属性魔杖。タグのはスペックが羅列されている。


種別:魔杖

素材:オリハルコン

魔導修正:200

魔法攻撃修正:800

スロット:500

エンチャント:なし


「魔法攻撃修正800かぁ……。大したものねぇ」

「エンチャントがかかってはいないが、逆に言えば拡張性が高い。おそらく、親父が皇帝に献上したものは、これと同じ杖だ」

「皇笏ライゼンドグランドが?」

「親父から直接聞きだしたわけではないが、間違いない」


 厳選王グラバリタが自らの手でダンジョンから見つけ出し、それに自らの手でカスタマイズを行い、銘をつけたものがいわば皇笏ライゼンドグランドだ。エンチャントによる魔法攻撃修正の単純な強化、スキルパーツによるアイテム能力の拡張、その結果が、少し魔力を込めただけで帝宮の壁に大穴を穿ったという、光の杖なのである。

 皇帝の居城に穴をあけることができた兵器など、それまで存在しなかった。伝説に謳われる〝勇者〟であればともかく、人間の御業ではおおよそ不可能だ。それをほんのわずかな魔力で為し得たというのだから、ライゼンドグランドがいかに恐ろしい〝兵器〟であるかは説明するまでもない。


 その強化元が、この杖なのだ。


「なるほど」


 フィリシスは頷く。


「ラグラのお父様がこれをもとに最強の杖を作り上げたのなら、私にも同じくらいのものができるかもしれないのねー」

「ま、そうだが……。フィリシス、そのまま持っていろ」

「え、こう?」


 フィリシスはオリハルコンの杖を床につくようにして、その上の部分を両手でつかむ。ラグラは重々しく頷いた後、


「それを、こうする! えいッ!」


 喉元から裂帛の気合を迸らせ、素早い下段蹴りを見舞った。鎚のように振るわれたラグラの右足が、えぐり込む軌道を描きながら、杖へとぶち当てられる。彼自身が見つけ出し、現時点で発掘しうる最強の武器だと自信を持って自負できるその杖に対し、ラグラの取った態度とはそれであった。


 杖はびくともしなかった。


「………?」


 フィリシスが首を傾げる。まぁ当然であろう。なにせオリハルコンである。現在、世界で確認されている金属の中でもっとも高い密度と、それに反比例した軽さを持つ魔法の金属なのだ。おおよそ、人体によって破壊できるような代物ではない。


「で、どうしたの? ラグラ」

「う、うむ。なんでもない。そのまま持っていろ」


 じんわりと沸いてきた汗をぬぐいながら、ラグラは再度杖を睨み、下段蹴りを放つ。


「えいッ! えいッ! えいッ!!」

「坊ちゃま、代わります」

「うむ、任せたミル!!」


 ラグラは向う脛を抱えて少し涙目になりながら、ミルの提案に頷く。メイドのミルは恭しく頷き、両拳を握って腰まで引いた。静かに目を瞑っての精神統一。一同が固唾を飲んで見守る中、彼女の薄い唇が開かれ、呼吸を整えるための吐息がゆっくりと漏れていく。それは白い靄となって、ひんやりとした武器庫の空気になじみ、溶けて行った。

 カッ、と両目を見開いた、後の、


「えぃやァッ!!」


 口から気合が漏れていた時には、既にミルの足が宙を舞っていた。フィリシスが持っていた杖は真っ二つに叩き折られ、ばきゃり、という音は後から聞こえてくる。


「おおおおー……」


 フィリシスがぱちぱちと手を叩いた後、視線をラグラへと向けた。


「え、でも、あれ、これ壊して良かったの?」

「うむ!!」


 ラグラは腕を組んで大きく頷く。


「俺が厳選をはじめてかれこれ10年、毎日のようにダンジョンへと潜って、その中で一つだけ手にした超理想品! これだけの性能を持つ杖を、今後発掘してこれる確証もない! 正直、未強化の状態でも、小国ひとつを傾けるだけの価値は十分にあるだろう!」


 床に散らばったオリハルコンの杖、その破片を眺めながら、彼は語った。


「だが要らん! これを強化していけば、ライゼンドグランドと同じだけの性能を持つ杖はできるだろうが、それでも要らん!」

「私がそれ以上のものを作るから?」

「そうだ! わかっているじゃないか!」


 偉大なる父を越えなければならない。それは、ラグラだけではない。フィリシスにとっても同じことだ。で、ある以上、同じスタートラインから、同じゴールを目指すつもりはない。もっと遠いスタートから、もっと遠いゴールを目指す。二人三脚であっても、厳選王グラバリタを越えるためには、それくらいしなければならないような気がしたのだ。


「自信がないとは言わせんぞ」


 ラグラがじっとフィリシスの瞳を見据えると、彼女は力強く頷いた。その口端はわずかに吊り上り、瞳には不知火チックな炎が浮かび上がる。


「当たり前でしょ。私を誰だと思っているの?」

「誰なんだ? 言ってみろ」

「フッ……」


 フィリシスは腰に手をあて、大きく胸をそらした。


「私は一億万年に一人の天才美少女、フィリシス・アジャストメントよ!」

「ようしそうだ。その意気だ!」


 ラグラはそこで、フィリシスと互いの拳を打ち付け合わせる。


「これから俺たちは、史上最強の杖を作る! 親父を、親父の作ったライゼンドグランドを越える!」

「やるわよラグラ! 私とあなたが手を組めば、針の穴に糸を通すよりもたやすいことだわ!」

「それ結構難しいからな!?」





「もうダメかもしれん」


 一週間後、フィリシスの研究室でボロ雑巾のように転がっているのがラグラだった。


「諦めるのはまだ早いわ、ラグラ!」

「貴様相変わらず元気だなあ」


 この一週間何があったかの解説をしよう。


 特に何もなかった。


 いや、何もなかったと言うには語弊がある。が、まぁ実際特に何もないようなものだった。フィリシスに最強の杖を作らせると約束したラグラは、各地へ飛び回って最高級の素材を集めまくった。特に力を入れて探したのはオリハルコンだ。重魔法金属オリハルコンは、古今東西あらゆる高級武具の素材として知られてきた。

 近年はダンジョン下層から発掘されるオリハルコン武器を鋳溶かすことで、市場に流通するオリハルコン自体もその数を増しているが、やはり一部の魔法鉱山から採掘される純度の高いものが、素材としてはより適している。


 必死で掻き集めてきた素材を、フィリシスへと手渡す。まずこれが一苦労だった。フィリシスは素材を見つけるのが致命的に下手くそだったので、たとえ目の前5センチにオリハルコンを持ってきたところで、視界に入らなかったりする。

 それはまあなんとかした。無理やりにでもなんとかしたのだ。


 だが、ラグラが必死こいて集め、そうして手渡してきた素材を、フィリシスが活かせたかというと、実はそんなことはない。

 出来上がった魔杖は、いずれもラグラが(ではなくミルが)叩き割ったあのオリハルコンの杖を、かろうじて上回る程度の性能しか持ち合わせてはいなかったのだ。


 人間の手で鍛造されたアイテムが、ダンジョンから生み出されたそれを凌駕することは原則としてあり得ない。その常識を考えれば、フィリシスの成し得たことは人類史上に残る偉業であったが、ラグラはその偉業の数々をすべて叩き割った(叩き割ったのはノイノイ)。その程度では、皇笏ライゼンドグランドには届かない。届かない以上、すべてゴミだ。


 結果、身になるものはほとんどなかったという有様である。


「貴様の実力はまだあんなもんじゃない……あんなもんじゃないはずだ……」

「そうよ! よくわかっているじゃないラグラ! 私の実力はあんなもんじゃないわ! だから元気を出して!」

「なんでこれ俺が慰められる流れになっているのだろう」


 フィリシスが作り出した杖を『ゴミだ!』と断じ、叩き割ることにラグラも多少の躊躇はあった。だが妥協は無用だ。残しておいては、どこかに『及第点と言える作品が残ってるんだから』という甘えが生じる。だから、心を鬼にして、すべてフィリシスの作品を破壊した。


 ところがフィリシスの態度はケロリとしたもので、『私もそう思っていたのよ! 次のに挑戦するわ!』と叫ぶや、再び研究机に向かったのである。

 ことの次第を思い出しながら、ラグラはぽつりとつぶやく。


「なんでフィリシスはそんなにメンタルが強いんだ……」

「私ねー、褒められたことあんまないのよねー」


 まさか返事がかえってくるとは思わなかったので、ラグラは思わず上体を起こす。


「なんだと?」

「お父様も、マスター・カローラも、みんな厳しかったから。褒めてもらえることなんて滅多になかったのよ。だから、へこたれなくなったわ」

「………」


 普段見せるあの自信過剰な態度は、その裏返しだとでもいうのか? せめて自分だけは自分を褒めていないと、自信が持てなくなってしまうから?

 まさか、そんな繊細なタマではないだろう。

 だが、先日の清貧印騒動の一件を思い出す。様々な人間にちやほやされて、嬉しそうに微笑むフィリシスの姿を。褒められたことがなければ、確かにあれだけのことで舞い上がってしまうものなのかもしれない。


「貴様は天才だ。間違いない」

「フッ、何言ってんのよ。当然でしょ」


 慰めるつもりで言ったのにあっさりと切り返されて、ラグラはちょっとムッとする。


「だが貴様、カンピスンのところにいる内に腕が鈍ったんじゃないだろうな! あるいは貴様、高級素材を取り扱い慣れてなくて、実は雑草とかの方が良いの作れるとかじゃないだろうな!」

「そ、そんなわけないでしょ! 私は天才よ! アルティメット天才美少女フィリシスちゃんよ!」

「ここに来て新しい単語を生み出すな! くそう、俺はまた貴様のために新しい素材を探して来ねばならんのか!」

「厳選よ厳選。ラグラ、これは厳選なのよ」

「それはなんだ! 貴様が傑作を生み出すのは運だとでも言いたいのか!?」

「頑張って、ラグラっ」


 腕をきゅっとしながら応援するフィリシスには、ラグラはなんのトキメキも感じない。フン、と冷たく鼻を鳴らしてから、こう言った。


「約束は約束だ。言われずともやるがな。俺を激励するなら、何故か俺が来るたびに外すその眼鏡をかけてだな。その上で同じように、」

「頑張って、ラグラっ」

「うん、がんばる」


 やっぱこいつ眼鏡似合うな、と、ラグラは思った。





「そう言うわけで。もっと素材収集の手を広げることにした!」


 ゼルメナルガの冒険者ギルドで、ラグラは拡声器を片手に叫ぶ。後ろにはミル、ノイノイが待機していた。今日もダンジョンに潜ろうとやってきた冒険者たちは、ラグラの姿を認めるや、なんだなんだと集まってくる。その中には何人か、『フィリシス命』と書かれた法被を着た男たちがいて、そいつらはなんかムカつくので蹴っ飛ばした。


「クエストボードに依頼をはっつけておいた! 受ける奴を募集している! 基本は素材収集だ! プラチナランカーには別途サブクエストもあるので、クエストを受注した奴は別途俺のところへ来い! 以上だ!」


 それだけ言って、ラグラは椅子にどっかりと腰を下ろす。

 自分一人で各地に飛び回るには限界がある。冒険者ギルドにクエストを発注して大量に素材を集め、その中から一級品の素材を選りすぐっていくことにした。普段は閑古鳥が鳴いているゼルメナルガのクエストボードは、ラグラの貼り付けた依頼で一杯になっている。


「ご苦労様です。坊ちゃま、あーん」

「うむ。あーん」


 ミルが切り分けたケーキをラグラの口元に運ぶ。これはフィリシスが戯れに作ったもので、素材もスポンジや雑巾や雑草やセミの抜け殻などでは断じてない。普通に厳選された素材を使って作られた普通に超一流のケーキである。


「うむ、やはり普通に美味いなぁ! フハハハハハハ!」


 腕を組んで上機嫌に高笑いするラグラの元へ、装備を整えた冒険者のパーティーがやってくる。


「ラグラ様ぁーっ!」


 先頭で手を振っているのは、ラグラガールズのリーダーであるサヤカ・ノンドーロフだ。


「ラグラ様がクエストを発注されたと聞いて、すぐに受注してきましたぁ!」

「うむ、ご苦労」


 ラグラは腕を組んで、満足げに頷く。サヤカ達の取り出したギルドカードを確認しながら、ミルの差し出してきた書類をテーブルの上に広げた。邪魔になるので、ケーキの載った皿をミルがどかす。


「カウンターで簡単な説明を受けているだろうが、こちらからも内容について話す。お前たちが受けたのは魔晶植物の納品依頼だ。特に純度の高いものに関しては個別に買い取りを行う。サヤカ、おまえのパーティに《鑑定眼》持ちは?」

「えっと……いません」

「では、簡単に純度の高い魔晶植物の見分け方を説明する。ミル」

「はい、坊ちゃま」


 ミルが取り出した人数分の書類には、魔晶植物の見分け方がきちんと解説されている。ラグラがそれに沿って説明し、サヤカ達は真剣な顔でそれを聞く。


「以上だ。外には俺の城のヘリコプターゴーレムを待機させてるので、現地まではそれを使え。幸運を祈る」

「はい! ありがとうございます、ラグラ様! フィリシス様にもよろしくお伝えください」


 サヤカ達は満面の笑みを浮かべ、ゼルメナルガの冒険者ギルド支部を出ていった。ラグラはテーブルの上の書類を整理しながら顔をあげる。

 プラチナランカーの冒険者たちが列をなす。ラグラはミルに目で合図し、別の書類を用意させた。


「厳選王子、今日は潜らないのか」

「それどころではない。言っただろう。俺は最強の杖を作らねばならんのだ」


 ばさ、とテーブルの上の書類を広げる。


「貴様らは霊森海に向かって、万年神樹の幹を素材として切りだして来い。素材の質の見分け方はこちらの紙だ。あとこの時期は、霊森海に神翁獣アラガミが出現する。痕跡を見つけた場合は知らせるように」

「それがサブクエストか?」

「ああ。神翁獣の素材は魔法素材との親和性が高い。が、申請や質の選別が大変面倒なので、ミルに狩りに行かせる」


 ラグラの真横でミルが恭しく頭を下げた。


 とにかく、かれこれ数時間。ラグラはクエストを受注した冒険者の対応をひっきりなしに行い、彼らの出発を見送った。ようやく、一通りの冒険者が出払った後、ラグラはがっくりとうなだれて天井を仰ぐ。


「疲れた……」

「お疲れ様です。坊ちゃま」


 ミルはいつの間にか取り出した団扇で、汗だくのラグラに風を送る。


 冒険者ギルドに発注したクエストの数は合計で100は下らない。発注書を持ち込んだ時、食中毒から立ち直ったばかりのゲゲドモンガ支部長は発狂したものだ。ゼルメナルガの冒険者はみなダンジョンに潜り、クエストの依頼者はいつもそう多くないのである。こんなクエスト、一日の間に処理しきれないと泣きつくゲゲドモンガを蹴り飛ばし、カレハ熱の特効薬の件をチラつかせて強引に押し通した。


 こうしてミルと二人きりになると、以前、高原で魔晶結晶を取りに行った時のことを思い出す。


 どうやら、ラグラは変わったらしい。確かに、素材をかき集めるためにこれほど大量のクエストを発注することは今までなかったし、そのために誰かに着せた恩義を盾にゴリ押すことだってなかった。そういった意味で、ラグラは確かに変わった。

 16年生きてきて、これほどまでに短期間で、明確に変わったことはない。父親が死んだ時でさえ、変化は劇的ではなかった。


「旦那様のことをお考えですか?」

「む……まぁな……」


 汗のかわいてきた額を、ミルの指先が這う。生え際のあたりをそっと撫でられながら、ラグラは頷いた。


「親父が死んでから1年という実感が、まるでない」

「つい昨日のことのようですか?」

「そんな気もするし、もっとはるか昔のことだったようにも思うな」


 厳選王グラバリタは、ラグラにとっては偉大な父親だ。同時に越えなければならない壁でもある。ずっとそう思って生きてきた。

 だが、父を〝越える〟ということがどういうことなのか、ラグラは今まであまり考えたことがなかったのである。父より良いものを探し、見繕い、コレクションに加えれば、それは果たして超えたことにはなるのだろうか。


 ラグラは、その人生で父グラバリタが厳選できなかったいくつかのものを厳選したし、最高級品として倉庫に保管されていたアイテムよりも、なお高性能なものを探し出し、記録を塗り替えることもあった。


 だがそのいずれの行為をもってしても、父の背中を明確に超えたとは言い難い。今回は、良いチャンスだった。


「坊ちゃまは、成長されましたよ」


 変わった、ではなく、成長した、と言われて、ラグラは思わず頭を上げる。


「ふむ、成長したか?」


 普段ならば、胸を張って『フハハハハハ、そうだろう。俺は一分一秒、今この時も常に成長し続けている』などと大言壮語を吐くラグラではあるのだが、今回ばかりはついそのように首を傾げてしまった。それだけ、状況に参っているということなのかもしれない。


「少なくとも、お城の中で泣きながら私を呼ぶことは減りました」

「最近はそれどころではなかった気もするからな……。フィリシスの奇行に慣れたというのもあるが……」


 目の前で、そっとケーキを切り分けるミルの髪から、わずかに甘い芳香が漂ってくる。


「そのフィリシス様ですが、」


 ケーキを切る手をふと止め、ミルもまた視線をラグラへ向けた。


「もし、杖の出来が皇帝聖下に認められることがあれば、厳選城を去ることになるかもしれませんね」

「勘当の事実が消滅するからな」

「はい。フィリシス様は〝アジャストメント伯爵家の嫡女〟という立場を取り戻されます」


 そもそもフィリシスが厳選城にやってきたのは、トイレットペーパーの芯で作られた杖を皇帝に献上し、その事実から実家を追われたのが原因である。だが、皇帝の遣いは、フィリシスの杖が認められた場合その事実そのものを取り消すとはっきり宣言した。アジャストメント伯爵家がフィリシスを勘当している理由がなくなる。皇笏ライゼンドグランドを越えた杖を作りあげさえすれば、フィリシスは大手を振って実家に帰れるのだ。


「フィリシス様がご実家に戻られることに、何か思うところはございませんか?」

「えっ、べべ、別に特に思わないよ?」

「いなくなって清々する、とは、おっしゃらなくなったのですね」


 ミル、おまえも相当変わったぞ、という言葉を、ラグラはすんでのところで飲み込む。代わりに、ぽつりとこう呟いた。


「そうか、あいつ、帰るかもしれんのか……」


 ひと気のすっかりなくなった冒険者ギルドで、そのつぶやきを聞いたのは、ミル一人だけであった。

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